院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

農耕の起源

2011-12-10 00:00:44 | Weblog
 農耕は今から1万5千年前に始まり、世界中に伝播した。それまで何十万年も同じような生活をしていた人類が、なぜ突然、農耕を始めたのか、実はよく分かっていない。

 一見正しそうな説に「人口圧説」がある。人口が増えてきて、広大な面積を必要とする狩猟採集生活では皆を食べさせることができなくなったからだという。

 ところがこの説は、なぜ人口が増えたかを不問にしている。何十万年も一定の人口だったのに、なぜ1万5千年前に人口が増えたかの説明が、この説には必要である。

 また、ラマルクの進化論のように、人間は文化を発展させる運命にあったという説がある。ちなみにラマルクの進化論とは「獲得形質は遺伝する」と唱えて、ダーウィンの進化論に駆逐された論である。

 こと文化の継承と言うことについては、先代の文化を受け継いで、さらに発展させるという性質を人類は持っているから、ここではラマルクの進化論が通用する。

 農耕の始まりはおろか、言語の始まり、土器の始まりなど、基本的なことがまったく未知であることに、宇宙時代の私たちはかえって驚く。

 文字の始まりなぞ、ついこの前のことである。

 

NHKのテレビ体操

2011-12-09 00:00:07 | Weblog
 日本人は民族的にO脚である。日本人でO脚でない人は極めて珍しい。だから、洋服が男女ともに似合わないことがよくある。和服ならO脚を隠せる。

 NHKのテレビ体操で女性が3人出てきて、1人だけ椅子にすわっている番組がある。あの女性たちをじっくり見たことがおありだろうか?

 3人とも足がまっすぐなのである。つまりO脚でない。

 テレビ体操の3人の女性はどういう基準で、どこから呼ばれてきたのかは知らない。ただ、はっきり言えることは、O脚では採用されないだろうということである。

 オリンピックの日本人体操選手でもO脚の選手が多い中、NHKはどうやってO脚でなく、しかもラジオ体操なら上手にできる女性を見つけてくるのだろうか?

ライブの魅力

2011-12-08 00:02:39 | Weblog
 音楽はライブに限る。レコードや放送は、料理で言えば料理の写真とか、本物そっくりの料理見本と似ている。やっぱり、香りや味がライブでないと味わえないのだ。

 だから、ライブしかやらないバンドや歌手の気持ちが分かる。テレビに出ないのは、少しは商業戦略的な面があるのかもしれないけれども、やはりテレビでは出せない魅力をライブは持っているからだ。

 ファンのほうの気持ちも分かる。特定の歌手を日本全国追い掛け回しているファンがいる。これも、ライブで大勢で騒ぎたいというような面が少しはあるかもしれないけれども、やはり録音や録画ではライブを超えられないから、足を運ぶのだと思う。

 私はオーディオブームのころ、金がないということもあったが、立派なオーディオ装置を持ったことがない。どんなオーディオセットでもライブを超えられないということを知っていたからだ。だから、好きなミュージシャンの演奏はラジカセで聴いていた。あとはライブのときの想像力で補う。

 立派なオーディオ装置を持っている人は、音楽が分からないのではないかと、当時私は思った。事実、オーディオ装置の値段以上にレコードのコレクションがあった人は、少なくとも私の周囲にはいなかった。

 10万円分のレコードを100万円のオーディオ装置で聴くなんて、順序が逆だろうと思った。100万円のオーディオ装置を持っているなら、レコードは1,000万円分くらい持っていなくてはならない。

 もし、いまMJQ(モダンジャズカルテット)が日本ツアーをやったら、私は追っかけよろしく、MJQにくっついて日本中を旅するだろう。

なぜ明治政府は漢方を捨てたのか?

2011-12-06 00:18:07 | Weblog
 「解体新書」が翻訳されていたことからも分かるように、江戸時代にすでに西洋医学は日本に入ってきていた。西洋医学を漢方に対して蘭方と言った。

 江戸時代には両方の医学が混在していた。しかし、明治政府は漢方ではなく、蘭方を正当の医学として認めた。それは何故だろうか?

 ここからは推測だが、たぶん戊辰戦争(明治2年)が大きく影響していたのではないか?漢方には体質改善といった悠長な面があった。それに対して蘭方は外科手術など即効性があった。

 戊辰戦争のときに、傷付いた将兵に役に立ったのは漢方ではなく蘭方だった。そこで明治政府は蘭方を正当医学と認め、漢方を捨てたのではないか、というのが私の推測である。

 当時、漢方医からの激しい反対があったというが、負傷兵には漢方は役に立たなかった。今でも癌などには漢方は手も足も出ない。

 最近の漢方の復権は、西洋医学の存在を前提とした復権であることを忘れてはならないだろう。

エビが嫌いになった

2011-12-05 00:03:28 | Weblog
 あんなに好きだったエビが最近嫌いになってしまった。エビの天ぷらもエビフライも、昔ほどの感動がなくなった。

 幼いころ、父親に連れられて繁華街の洋食屋で食べたエビフライの味が忘れられない。タルタルソースという見たこともないソースがかかっていて、こんなにうまいものがあるだろうかと思った。

 私がエビが苦手になった理由は、おそらく輸入の冷凍エビ、ブラックタイガーにある。天ぷらもフライもブラックタイガーになってしまった。淡白でエビの香りがしないのだ。

 昔は天丼でもエビフライでも、車えびを使用していた。味も香りも濃厚で、これぞエビという感じがした。その車えびを最近見かけない。どこへ行ってしまったのだろうか。

 高級料理屋に行くと、間を飛ばしていきなり伊勢えびだ。そこまで高級でなくてもよい。天丼に使っていた車えびでよいのだが、それがない。

 先日、インテリアばかり綺麗なすし屋に行ったが、ブラックタイガーが生で出てきたので仰天した。

 だから、最近はエビを忌避するようになってしまった。

アイゼンクの精神分析批判

2011-12-04 00:02:04 | Weblog
 実証主義的心理学者、H.J.アイゼンクが精神分析を徹底的に批判したのが1987年。(『精神分析に別れを告げよう』、批評社、1988)。

 たいへん面白い本である。以来、20年以上たつが、精神分析の側からの反論はいっこうに見かけない。

 見かけないどころか、精神分析医はアメリカではJ.ハーマンの「記憶回復療法」なるものによって、若者に「あなたは幼少時に親から虐待を受けていたはずだ」と思い込ませ、ありもしない記憶を掘り起こした。

 その結果、若者が親を訴える事案が続出し、裁判所もあやふやな証言のみで親を有罪にするようになった。

 身に覚えのない親たちは反撃に出て、ようやくこの混乱はおさまったけれども、(つまり「記憶回復療法」がまやかしであることが、はっきりしたけれども)、アイゼンクが精神分析批判をしたときに、精神分析医にいくらかでも謙虚さがあれば、こうした事態にはならずに済んだはずだ。

 ハーマンの本『心的外傷と回復』(翻訳版はみすず書房、1996、米での出版は1992)は、専門書でありながら、ペーパーバックになって、庶民に大いに読まれた。その結果がこうである。アメリカの大衆がいかにブームに乗せられやすいかという、これは好例である。この本を顧みるアメリカ人は、さすがにもういない。

 アメリカでは精神分析療法はそれなりに高価だ。精神分析医たちは金儲けのために「記憶回復療法」をやったと言われても仕方がない。

 そして「記憶回復療法」に大枚のお金を支払って、裁判でまた弁護士に儲けさせ、結局のところ「その幼児期記憶は、精神分析医による誘導で、単なるでっちあげだった」では笑い話にもならない。

 これは裁判所まで荷担したアメリカの一大スキャンダルだ。このような大事件を我が国のマスコミは全然伝えなかった。それがかえって不思議である。

 ハーマンはPTSD(心的外傷後ストレス障害)を拡大解釈した張本人である。

このブログのアクセス解析

2011-12-03 00:01:38 | Weblog
 このブログには毎日130人~200人の方からアクセスがあります。この数字は、一人で何回アクセスしても一人とカウントされるので、アクセスの延べ回数とは違います。

 ブログの左サイドの「閲覧数」は延べ回数です。そのうち大きな割合を占めるのが、グーグルによるロボット検索で、一日に1,000回以上に及ぶこともあります。なぜ、それほど頻繁にロボット検索しているのかは、理由は分かりません。

 常連さんは300人くらいです。それと同じくらいの一見さんがみえます。常連さんの居住地域を調べますと、名古屋が圧倒的に多いのです。私は長年、名古屋に住んでいましたが、だからと言って、私のブログの存在を知っている人が多いわけではありません。だから、謎です。

 次に常連さんが多いのは東京です。名古屋と東京だけで80%くらいを占めてしまいます。東京でもとくに多いのが渋谷区、新宿区、港区です。どうしてこの3区に集中しているのかも理由が分かりません。

 地元、豊橋での常連さんは意外に少ないです。ということは、私の患者さんでこのブログの常連さんになっている人は少ないと言えます。予想外でした。

 外国ではカナダ、アメリカ、中国に常連さんが各二人づつ見えます。アメリカの一人と、中国の一人はだいたい想像できるのですが、他の方はどなたなのか見当が付きません。

 変わったところでは、ベラルーシに常連さんが一人見えます。この方もどなたなのか想像もつきません。

 一日一編というのは、けっこう大変なのですが、これからも頑張りますので、このブログをご贔屓ください。

うなぎパイ

2011-12-02 04:52:05 | Weblog
 浜松のお土産と言えば「うなぎパイ」である。豊橋でも売っているので、私は愛用している。

 おいしいことも、、もちろん重要だが、とにかく軽い。だから、何個も持って行くときに非常に便利だ。家族が私たち夫婦以外は全員東京にいるので、何個もお土産にしても苦にならない。

 「うなぎパイ」が初めて売り出されたのは昭和40年代後半である。当時はまだ有名ではなかったから、「うなぎの粉入りの夜のお菓子」という部分を前面に出して売っていた。形も男性のシンボルに似ていないこともない。

 だが、おいしいので「夜の・・」を強調しなくても売れるようになった。

 それをマネするように、名古屋で「きしめんパイ」というのが売り出された。これも軽い。しかし、味は「うなぎパイ」に及ばなかった。だから、じきに消えてしまった。

 「うなぎパイ」には今でも「夜のお菓子」と印刷してある。裏側に気が付かない程度に。

 「うなぎパイ」を食べると、貧乏学生のころ、友人の狭い下宿で「夜のお菓子だって~」と笑いながら食べたことが思い出されるのである。

俳句の季語「金魚」

2011-12-01 00:54:17 | Weblog
    死に絶えし金魚の水を流しけり  沈丁

 この句の季語は「金魚」で、季節は夏である。金魚は一年中いるものであるが、なぜか昭和初期から金魚は夏の季語となった。

 今でも歳時記に載っている季語で、現在ほとんど見かけないものは多い。「ひとえ」(着物の単衣)、「ネル」なんて、今日び相当な古老でも着ていない。

 歳時記篇者は、どの季語を保存するか随分悩むそうである。季語には文化的含蓄があるから、現在使用されなくなったからと言って、軽々に排除してしまうわけにもいかないらしい。

 新しい季語もなかなかできてこない。冒頭の「金魚」は昭和初期だと書いたが、それでも相当に新しい季語なのである。

歌手、女優・いしだあゆみさん

2011-11-30 00:03:22 | Weblog
 由紀さおりさんのアルバムが突然、世界中でヒットしているらしい。当時のバック演奏はいろいろなジャンルの音楽を取り込んだ大変凝った演奏で、そこに由紀さんの美声が乗っているのだから、世界的にヒットしてもなんの不思議もない。

 アルバムの中に「ブルーライト横浜」が入っているそうだ。知っている人には当たり前の知識だが、この曲はいしだあゆみさんの歌で大ヒットした。

 ここからは、みなさまがあまり知らない話である。いしださんは確か13歳でデビューした。極めてフツーの女の子という感じだった。その娘が、あるとき目を二重に整形した。それから、いしださんのスター街道が始まった。

 「ブルーライト横浜」は、いしださんが歌い方を変えて、あえてビブラートをつけないで歌った歌である。だからヒットした。最近、いしださんは女優業が忙しいらしく、歌を歌わないけれども、一度歌わせてごらん。ビブラートはつけないはずだから。

 いしださんは最近、お婆さんの役をするようになった。時の流れは恐ろしい。13歳だった娘が、お婆さんの役である。いしださんと歩調を合わせて、私もお爺さんになった。

 加齢は万人に平等に訪れる。

ビタミン剤には健康保険が効かない

2011-11-29 00:10:55 | Weblog
 20年ほど前、先輩医師たちが、しきりにアリナミンを処方していた。風邪薬にちょっとアリナミンを加えるという感じである。

 当時、風邪にはビタミン剤が効くと考えるような風潮があった。なんの証拠もないのに、ムードだけでアリナミンを追加処方していたのだろう。不思議に健康保険が有効だった。

 精神安定剤にもアリナミンを付け加えた。これは、さすがに意味が分からなかったので、私はマネしなかった。

 それから、しばらくして、ビタミン剤は健康保険が効かなくなった。根拠は「口から普通に食べ物を食べている人に、ビタミン剤は要らない」というものだった。健康保険組合の見解としては、珍しくまっとうだと私は思った。

 以来、今日までビタミン剤は、普通に食事をしている人には、健康保険が効かない。

 その代わりに、アリナミンのテレビ宣伝が今でも多い。ビタミン剤を飲めば元気が出たような気になるのだろう。厚労省もそれを規制しようとはしない。

 厚労省は科学的根拠よりも、国民が元気になったような錯覚に陥ることを重んじているのだろう。行政がしばしばこのようなスタンスをとることは、私が名古屋市の役人をしていた時代に、本物の役人から教わった。そのことは 2011-10-13 の放射能「除染」の記事にも書いた。

あきれた市長

2011-11-28 00:02:07 | Weblog
 市立病院と言えば市長が形式的にはオーナーである。ある時、A市立病院で市長が訓示にくるという。そのため各科の診療部長が集まった。私も他の部長もみんな忙しい中を時間をやりくりした。

 市長なら市立病院で診療部長を集めて訓辞をする権利はあるだろう。市長はなごやかに訓話を始めた。そこまでは、よかった。

 そのうちに市長はこう言ったのである。「みなさん、K療法をやりましょう。K療法はいいですよ」と。みな唖然とした。私はこの市長は莫迦かと思った。莫迦と言って悪ければ、とんでもない勘違い野郎だと思った。

 K療法が悪いというのではない。素人の市長が、錚々たる部長連を前にして、彼らの臨床行為に口を出したから莫迦かと思ったのだ。

 オーナーだからといって、何を言ってもかまわないということはない。この一言で、市長は医者たちの信頼を失った。私のA市立病院在任中に市長は何人か代わったが、訓示に来たのは、この市長だけだった。他の市長と較べても格落ちだったと、未だに思う。

民主主義の輸出

2011-11-27 00:00:35 | Weblog
 先進民主主義国家はなぜ民主主義を輸出しようとするのだろうか?まさか民主主義を最善の政治手段だと思っているわけではあるまい。

 民主主義は大衆の恨みを買うことは少ないけれども、もっとも非効率な政治形態である。普通の会社を考えてみて欲しい。社長を民主的に決めたり、人事を民主的に行ったりしたら、その会社はすぐに潰れるだろう。

 トップダウンのほうが本当は効率がよいのである。だから、民主主義でない他国が、あまりに効率がよいと困るのではないか?そのような民主主義でない国家を弱体化させるために、民主主義国家は非効率な民主主義を輸出しようとしているのではあるまいか?

 最近、学問の世界でも民主化が図られている。日本精神神経学会は、もう随分前から評議員は選挙で決める。そんな必要がなぜあるかというと、同学会は1970年代の学園紛争のころ、大もめにもめたからである。これでは民主化するのも仕方がない。

 だが、もめてもいない学会が次々と民主化されているのは、なぜだろうか?私は流行に過ぎないと思う。戦後の民主主義教育で育った世代が、世の「重鎮」になったからである。本人たちも深く考えもせずに、民主化はよいことだと刷り込まれている。

 思うに、あまりに極端に民主化をすると、今度は弊害のほうがたくさん出てくるだろう。私の地区の医師会は民主化なんて全然考えていない。人望がある人が会長や役員に(投票なしで)なればよいのだし、仕事で都合が悪い人は役職を辞退すればよいだけの話である。民主化する必要はまったくない。

玉木雄一郎議員の発想を批判

2011-11-26 04:15:05 | Weblog
 先日、国会内で「政策事業仕分け」というのが行われた。今回はこのこと自体を批判しようというのではない。そんなことは、すでにマスコミがやっている。そうではなくて本欄では、この会議で玉木雄一郎議員が「仕分け」の対象と位置づけた医師の収入について、若干の批判を加えたい。

 玉木議員は「勤務医は激務なのに、開業医より平均収入が少ない」という意味のことを言った。つまり、「勤務医」と「開業医」を一対の対立軸として立てたのだ。このような対立軸の立て方は、根本的なところを見ていない極めて皮相な立論である。要するに次の観点がまったく欠落している。

 「開業医はすべて、もとは勤務医だった」

 この観点を抜きにして、あたかも勤務医という階層と開業医という階層が独立かつ固定的に存在しているかのような立論で「仕分け」しようとするのは論理的でない。

 玉木議員は財務官僚出身と聞く。優秀といわれる元財務官僚がこのようなお粗末な論理しか展開できないのだろうか?極めて不思議である。

 開業医の呑み会に出ると、ゴルフや外車の話ばかりのときがあり、辟易することがあるのは事実だが、このことと「勤務医対開業医」という図式は何の関係もない。

昔の青年海外協力隊

2011-11-25 00:10:09 | Weblog
 昔、青年海外協力隊(以下、協力隊と略)を経験したことがある女性の話である。昔の話である上、私の伝聞なので、現在も通用するかどうかは疑問であることを、あらかじめお断りしておく。

(1)協力隊には天皇陛下の激励があった。間近で陛下を見て感動した。

(2)協力隊は志願なので、日本での職業生活を犠牲にして海外へ行く。日本へ帰ってからの再就職などの保証はない。

(3)上の理由で、そもそも日本で適応できなかった者が志願することも、ままある。

(4)特に男性であるが、現地で酒と女におぼれる者が散見された。

(5)協力隊は、思っていたほど清廉ではなかった。

 以上のようなことを彼女は四半世紀前に言っていた。