院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

山陰駆け走り旅(6)(ゲゲゲの鬼太郎ロード)

2014-05-12 04:17:49 | 漫画
 昭和40年ころの高校時代、私は『月刊ガロ』と『月刊COM』を購読していた。『月刊COM』には一コマ漫画をコンテスト欄に投稿して、毎号掲載された。一席になったこともあった。評論家がコメントを書いてくれたが、内心「自分で描けないくせに、なにを偉そうに」と思っていた。

 そのころすでに、水木しげるは大人気で、私も単行本をもっていたが、それが何の漫画だったかは忘れた。少なくとも「ゲゲゲの鬼太郎」ではなかった。「ゲゲゲの鬼太郎」は元は「墓場の鬼太郎」といって、もっと毒があった。それがテレビに取り上げられたときには「ゲゲゲの鬼太郎」という軟弱な題名になって、それゆえか大ヒットした。

 (同じころ、『月刊ガロ』につげ義春の漫画が載った。あまりに面白いので発売日が待ち遠しかった。つげ義春は元は水木のアシスタントで、背景が細かく黒っぽくて人物が白っぽいところは二人に共通する。)

 そんな思い出もあって、境港の「ゲゲゲの鬼太郎ロード」に立ち寄った。鬼太郎や目玉の親父や各妖怪のキャラクターが小さなブロンズ像になって、道路の各所に置かれていた。GWだからだろうか、けっこうな人通りがあった。


(ゲゲゲの鬼太郎像。筆者撮影。)

 この道がなければ、境港は何の特色もない寂しい港町である。ロシア語の看板を出したスナックがあったから、ロシア人船員が立ち寄るのだろうか?

 正義の味方になって毒が抜けた鬼太郎なんて面白くも何ともない。同時代に鬼太郎を知っている私たちが死に絶えたら、「鬼太郎ロード」も忘れ去られるだろう。そして近くのスナックのママは、再びロシア人船員のお相手をして糊口をしのぐことになるのだろう。

アクションヒーローとしてのスーパーマン、バットマン、スパイダーマン

2014-04-23 05:18:48 | 漫画
amazon より引用。)

 スーパーマン、バットマン、スパイダーマンはいずれも超人ヒーローであるが、アクションはスパイダーマンが一番面白い。

 スーパーマンは空を飛んだりしてアクションに制限がなく、せいぜい「クリプトン元素」が枷となっているだけだ。バットマンは警察から敵視されているという程度の制限である。

 それに対してスパイダーマンは、蜘蛛の糸という制限がある。糸が伸びる範囲でしか動けないから、その範囲内で行われるアクションがかえって面白いのだ。

 制限があるからこそ面白いのは、俳句も短歌も同じである。

テレビアニメ「ガッ活」が面白かった

2013-12-22 07:05:33 | 漫画
Gakkatsu! Cap�・tulo 1 sub espa�・ol


 またアニメネタで恐縮である。上のアニメ「ガッ活」が面白かった。どのように面白いかは動画を見てほしい。5分以内で終わる。

 「面白かった」と過去形なのは、もう終わってしまったからである。Eテレでやっていた。

 場所は教室の中だけ。キャラクターたちの奇矯なデザインと、主人公(学級委員長・高千穂ちほ)の発言のナンセンスさが下手な漫才よりも面白い。とくに深みがあるわけではないが、セリフが盛りだくさんで、楽しめた。

 Youtube の動画にスペイン語のような字幕が付いているのはなぜなのか?別の動画には台湾語の字幕がついていた。


テレビアニメ「団地ともお」が面白い

2013-12-21 18:57:31 | 漫画

(Youtube ”団地ともお”より。)

 土曜日の朝9時半からNHKテレビで放送している「団地ともお」というアニメが面白い。私は土曜日の午前中は仕事だから、午後5時からの再放送を見ている。

 設定は現在なのだが、つまり携帯電話もパソコンも出てくるのだが、内容は昭和30年代の団地を描いていると言ってよい。

 絵柄は美しくなく、美男美女も出てこない。カッコよさのかけらもない。金持ちも秀才も出てこない。だがストーリーに哀愁が漂い、これまでにないタイプのアニメだと思う。

 巷では「ユーモアたっぷり」とか「かわいい」とかの評があるが、私にはそうした感覚が分からない。これは、のっぴきならない現実を描いた、シニカルなアニメである。このアニメを見て、私は不覚にも落涙することがある。

漫画「サイボーグ009」のアラ捜し

2013-10-21 07:12:14 | 漫画

(復刻ドットコムより。)

 高校時代に読んだ石森章太郎の漫画「サイボーグ009」はすばらしく面白かった。

 うろ覚えだが、主人公(009)が宇宙で命がけのミッションを終え、ぼろぼろになって大気圏に突入していくのが結末のシーンだ。最後のコマは夜空に流れ星が一つ輝いて終わる。

 こんなの、それまでの漫画にはなかった。手塚治虫が石森に嫉妬したというが、分からぬではない。

 だが、いま考えるとアラがないではない。まず「009」という題名。その数年前にショーンコネリーのアクション映画「007シリーズ」が始まったばかりだ。だから、明らかに「009」は「007」のパクリである。今の漫画家には、そんなことをやる人はいない。

 もう一点、登場人物を10名にしてしまったことが、いけない。人間が一度に識別できる数は7個程度までである。これは実験心理学で証明されている(註)。昔のアイドルグループは3人が多かったし、ゴレンジャーも5人だ。虹の7色とか7大大陸とか、複数をまとめるときには7個程度までにしないといけない。「009」のサイボーグが総勢10名は多すぎるのだ。AKB48に至ってはセンターしか認識できない。

 まあ、いくらかのアラがあるにせよ、「009」は画期的な漫画だったけれども。

註:「マジカルナンバー7プラスマイナス2」というあまりにも有名な心理学論文がある。この論文は最後に「7つの海」や「アトラスの7人の娘」といった7にまつわる言い習わしや故事を繰り出し、7という数字をこれでもかと印象付けて締めくくられている。一回で認識できる7個程度のまとまりを、著者は「チャンク」と名付けた。

私が高校生のときの、やなせたかしさん

2013-10-16 06:11:12 | 漫画

(朝日新聞電子版より引用。)

 やなせたかしさんは、すでに私が高校生のころ漫画ファンの間では有名だった。『漫画家になる方法』という題名だったかは忘れたが、そのような本を出していた。虫プロの漫画雑誌『COM』に私は一コマ漫画を投稿して、しばしば入賞し、1席になったこともあったから、漫画家になることを少しは考えていたのかもしれない。やなせさんの本を買って読んだのだ。

 その本の内容で私が覚えているのは「デビューするなら一流誌からにせよ」という忠告である。三流誌からデビューすると絵が荒れるとあったので、なるほど多分そうだろうと納得した。

 同じころ、週刊朝日が見開き半ページに使用する10コマ漫画を一般公募した。私も応募したかったが、大学受験を控え、それどころではなかった。けっきょく週刊朝日に採用されたのは、やなせさんの「ボウ氏」という作品で、それが連載された。

 プロなのに素人に混じって一般公募に応募するのかぁと、やなせさんのハングリー精神に脱帽した。

 「ボウ氏」とは「某氏」と「帽子」をかけたもので、主人公が首まで帽子をかぶっていて顔が見えず、確かセリフがなかったように記憶する。シュールで上品な作品だった。けっこう新鮮で面白かった。

 以来、やなせさんはヒューマニズムあふれる作品を描き続け、その姿勢を崩すことはなかった。それがアンパンマンまで続いてきたのだ。

 アンパンマンは有名すぎるので、私があれこれ書くまでもないだろう。やなせたかしさんのご逝去にあたり、思い出したことを書いてみた次第。

ステロタイプな漫画批判

2013-09-27 04:59:57 | 漫画


 また新聞の投書欄ネタで恐縮である。

 きのうの中日新聞愛知県版に中学生の女の子の投書が載っていた。「マンガだけで学ぶのは問題」という見出しで、「(マンガが図書館に置かれているが、それが悪い点の一つは)マンガに慣れてしまうと小説に抵抗を感じてしまうことです」とある。要するにマンガは読みやすいが、文字だけの小説も読みましょうという趣旨だ。

 私は50年前にまったく同じ言葉を大人から聞いた。そのころ「トキワ荘」には、映画と同じくらいに影響力がある物語が、たった一人で紙とペンだけで造れると気づいた人たちが集まっていた。だが、50年後にマンガが世界各国語に翻訳されて輸出されるようになるとは、当時誰も思っていなかった。

 実はもっと以前(大正時代)には、猿飛佐助や霧隠才蔵を生み出した立川文庫に少年たちが夢中になった。しかし、立川文庫は大人たちには好まれなかった。それはまさに小説だったのに。

 投書の女の子は高校受験を控えている。入試は文字で行われるから、文字情報のほうが重要だと考えても無理はない。でも、投書のような立派な文章を書く利発な子である。あと数年すれば、日本語以外の言葉の大切さや、数学的記述の重要性も理解できるだろう。

 さらにもっと成長すれば、一流のマンガ家が、へたな小説家や学者よりよっぽど凄いことが分かると思う。

「仮面ライダー」が始まったころ

2013-08-09 05:56:49 | 漫画
 「仮面ライダー」の漫画が少年マガジンで始まったのは、私の大学生活が始まったころと同時期である。(実はそれ以前に小学生向けの「こどもマガジン」に掲載が始まり、「こども・・」が少年マガジンに吸収されたらしい。)高校生のころから漫画好きだった私は「仮面ライダー」に対して2つの感想をもった。

 1つは、これまで「○○仮面」というタイトルはあったが、「仮面○○」というのは初めてだなぁというものである。

 もう1つは、仮面ライダーの顔のデザインが特異だということである。仮面ライダーはいかにも正義の味方といった顔ではない。むろん悪人ヅラではなく、中立的なのだが、それが珍しいと感じた。

 仮面ライダーの顔のデザインは石森章太郎が何種類かを作って、当時まだ幼かった息子さんに見せたらしい。息子さんが一番カッコいいと指摘したのが、現在の仮面ライダーの顔のデザインである。石森章太郎自身がそう述べていた。

 漫画にすぐ引き続いて実写のテレビ版が始まった。(漫画とテレビのコラボは予定されていた。)そのころ私の名古屋の下宿にはテレビがなく、私は当時のテレビ版仮面ライダーを見ていない。(テレビだけではなく、扇風機も洗濯機も下宿にはなかった。)

 仮面ライダーは40年たった現在でも人気がある。こんなに長持ちするとは思わなかった。当時「黄金バット」のアニメがあった。「黄金バット」は父親が子供時代からあると聞いて驚いた。仮面ライダーは黄金バットに匹敵するくらい長命なのだ。

 仮面ライダーのテレビ版を見ることもなく、私の興味は手塚治虫作品の復刻版へと移っていった。

漫画家・つげ義春さん

2013-03-24 00:18:36 | 漫画
 漫画家、つげ義春さんの名前を知っている人は、よほどの漫画マニアかけっこう年配である。

 昭和40年代に「ガロ」という漫画雑誌があった。白戸三平さんが忍者ものを描いていた。ちょうど漫画より写実的な「劇画」が登場したころで、さいとうたかおさんの「ゴルゴ13」もこのころ始まった。

 つげ義春さんはこの「ガロ」に何篇か読み切りを寄せた。漫画ファンだった私は、こんなに面白い作品はこれまでになかったと思い、毎月「ガロ」が発売されるのを心待ちにした。

 つげ義春さんは水木しげるさんのアシスタントをしていた人で、背景の茂みは水木さんと同じく詳細に描きこまれていた。

 作品で印象に残っており、かつ世評もよかったものが「李さん一家」、「紅い花」、「ねじ式」である。「紅い花」はテレビ映画化もされた。

 だが、その後のつげ義春さんの消息は分からない。昭和60年ころ20年ぶりに漫画集を出したが、さして面白くなかった。伝え聞くところによると、つげ義春さんは神経症で、耐久力がないらしいとのことだった。

 世間では「ねじ式」が最高傑作だと、おおいに讃えられたが、高校生だった私にはそうは思えなかった。実験作としてなら、夢のような不条理や脈絡のなさを漫画にした功績はあるけれども、大衆作品としての面白さはなかった。あれ以上の実験はさらにわけが分からなくなるだけで、事実、つげ義春さんはそこで行き詰まった。

 「ねじ式」の冒頭に出てくる正座をした男性の細密画は、アイヌ団体会長の写真の模写である。この写真は当時の「文芸春秋」誌の見開きに掲載されたものである。これまで誰も指摘しないから、私がここで指摘しておく。(当時、他人の写真作品を絵画に模写するのは盗作と言えるのではないかという議論が、油絵の世界であった。)

 話を戻すと、「ねじ式」は新し物好きの連中が高く評価しただけで、作品としては面白くない。やはり「紅い花」が最高傑作であると私は思う。赤い花によって少女の初潮を示し、少女のエロチシズムをあそこまで描き切った作品を、小説の世界にも映画の世界にも私は知らない。漫画という表現形態をもってして初めて可能だったのではないかと私は思っている。

 「ねじ式」という前衛が称揚されたのは、当時さかんだった学生運動と無関係ではないだろう。学生運動家は前衛を好んだ。これは世界的な風潮で、ビエンナーレ(という国際的な美術展)にも今思えばわけの分からない「作品」がたくさん出品された。

 そうした中、私は希望に燃えて大学に進学していったのだった。

前号までのあらすじ

2012-12-15 04:36:36 | 漫画
 現在の漫画雑誌には週刊だからだろうか、「前号までのあらすじ」というコラムがない。私が幼少のころの漫画雑誌は月刊で、漫画一つひとつに100文字か200文字程度の「前号までのあらすじ」が付いていた。

 この「あらすじ」が読めるような年齢になったころ、「あらすじ」の内容の濃さに驚いた。前号までのストーリーが、いっさいがっさい書いてある。これだけの文字数で、それまでの全ストーリーを言われてしまうと、自分が何か月もかかって読んできた行為はいったいなんだったのだろうと、気が抜けてしまった。

 むろん私は幼少だったから、上のように言語化できたわけではない。ただ、「気が抜けてしまう」という感覚ははっきりと覚えている。

 自分が手に汗を握って読んできた漫画は、こんな100文字程度の「あらすじ」でまとめることができるのか。大人ってなんて凄いんだろう。自分のこれまでの感動を100文字でまったく漏れなく言ってしまうなんて・・と思った。

 今、「前号までのあらすじ」がないのは、漫画が出版される頻度が圧倒的に多いことと、漫画の質が上がってしまって、微妙な表現が絵で表されており、文章にできないからかもしれない。

 昔の「あらすじ」は誰が書いていたのだろうか?漫画がまだ俗悪なものとして大人たちに受け入れられていなかった時代である。そんな中でも、あのように立派な「あらすじ」を書く編集者がいたことに、驚きの念をもつ私である。

漫画雑誌のレベル

2012-11-04 12:45:33 | 漫画
 日帰り旅行の車中で、10年ぶりに漫画雑誌を買ってみた。そして、レベルの高さに驚いた。

 いつも私は、漫画は単行本しか買わない。一定のレベルが担保されたものしか単行本にならないからだ。

 しかし、単行本にならない漫画に、これだけの優秀作があるとは、私も時代の流れに乗り遅れている。どんなテレビドラマよりも面白い。そして、一味も二味も深みがある。これではテレビドラマの視聴率が上がらなくても無理ないなと思った。

 それらすばらしい漫画群がなぜ単行本化されないかというと、絵のクオリティーが低いからだ。

 逆に言うと、昔は絵のクオリティーは漫画の必須条件だった。だが、最近編集方針が変わってきたようだ。内容が深ければ、絵のクオリティーは二の次になったのかもしれない。

 ここで考えるのは、漫画家の年齢である。これだけ深い内容が漫画で描けるということは、ある程度年齢が行っているのだろう。

 一方、絵は10代から始めないと上達できない。つまり、せっかくだがこれらの漫画家は単行本を出せずに消えていく運命にある。彼らはいっそ梶原一騎や仮屋哲のように原作に徹したらどうか?(この世界で生き残っていくのは、それでも難しいが・・。)

 単行本でも成功している漫画には、原作と作画が別である作品がけっこうある。

機能美と人工美

2012-11-03 04:35:08 | 漫画
 SLや飛行機は美しい。別に美しく作ろうとして作ったのではないのに、美しい。それは無駄なものがなにもないからだ。SLに無駄なものが付いていれば、SLは動きにくい。飛行機に無駄なものが付いていたら飛ばない。

 極限まで無駄を排すると、美しくなる。これを「機能美」というのだろう。

 戦車や武器(銃や刀)も美しい。それらは攻撃するのに最善の形をしているからだろう。鎧も洋の東西を問わず美しい。目的が身を守るという一点に集約されているからだ。

 ところがSFアニメなどに出てくる鎧も美しいのは何故だろうか?たとえば、ガンダム。ガンダムは誰かがデザインした人工産物なのにカッコいい。

 他のアニメに出てくる人物が、鎧のようなユニフォームを着ていることがあるが、このデザインも美しい。下手な人が考えると、こんなにカッコいい鎧は描けない。

 そのようなデザインができる人は、どこか「機能美」のエッセンスを盗んで、それらしく描き上げるのだろう。何気なく見ているアニメだが、鎧のデザインは恐ろしく考え抜かれたものだと私は思う。

漫画「ヘルプマン」の方針変更

2012-10-11 06:03:36 | 漫画
 くさか里樹の漫画「ヘルプマン」は、山崎豊子の小説「恍惚の人」に匹敵する優れた社会派漫画である。

 主人公の恩田百太郎は勉強はからっきし駄目だが、こと老人介護に対する熱意がものすごい。一方、相手役の神崎仁は百太郎の親友で、怜悧な頭をもっている。

 最初の設定では、百太郎がいつまでも地べたで介護を行なっていくのに対して、神崎は頭脳を使って老人介護の仕組みを巧みに利用し、経済的にのし上がっていくように描かれている。

 その設定が途中から変わってくる。神崎のほうも損得抜きで老人介護に熱意を燃やすようになるのだ。

 この方針転換は成功した。神崎が金儲けだけに走ったら、この漫画はこれほどには面白くはならなかっただろう。

 この漫画は老人介護のもつ問題点を鋭くえぐり出している。高校でもこの漫画を読むように奨励されているらしい。学校が漫画を薦める時代になったのだ。

 2011年、この漫画は日本漫画家大賞を受賞した。今、第20巻まで出ている。一読をお薦めしたい。

銀の匙

2012-10-04 05:54:21 | 漫画
 「銀の匙」というと中勘助の小説だが、ここで述べる「銀の匙」は少年サンデーに連載中の漫画である。今年の漫画大賞を取った。

 漫画は次の号も買ってもらわなくてはならない。だから、書き出しから人を惹き付け、ぐっと引っ張って、その号の終わりは次への期待が生じなくてはならない。テレビも初めがつまらなければ、すぐにチャンネンルを変えられてしまうから、初めの「掴み」が大切である。(その点、劇場映画は前払いだから、すぐに掴まなくてもよい。)

 それはさておき、漫画「銀の匙」は大賞の名に恥じない漫画だ。北海道の農業高校という珍しい題材に目をつけている。

 私の好みをいうと、ファンタジーやSFモノは駄目だ。夢の世界であっても、それなりにリアリティーがあるのは知っているけれども、知識としての驚きや納得感がない。

 だから、現実の世界に題材をとった作品が私は好きだ。たとえば「BAKUMAN」。これは漫画業界の内幕が描かれているから興味を誘われる。「ヘルプマン」も老人介護の世界を描いているから面白い。

 逆に「ワンピース」や「ドラゴンボールZ」は所詮、絵空事だから私にとっては面白みに欠ける。

 「銀の匙」は近代的酪農とはどういうものかや酪農家の跡継ぎ問題、酪農家の家計、チーズの作り方や野生の鹿の捌き方まで出てくるので、いよいよ現実的な興味をそそられる。

 「銀の匙」は単行本が4巻まで出ている。第1巻に1コマだけ銀の匙のモニュメントが出てくるのだが、それがいったい何なのか第4巻まで読んでもまだ明かされない。

 いずれ、はっきりしてくるだろう。それとも、最後の最後でタネあかしがされるのかもしれない。

 ともかく、今後、目が離せない作品である。

自分と同じロボットを造るロボット(鉄腕アトムより)

2012-07-28 00:01:20 | 漫画
 初期の「鉄腕アトム」に出てきたエピソードである。

 ある悪者が、砂漠に工場をもっており、そこでは原始的なロボットが自分自身と同じロボットを作っていた。

 そのため、原始的なロボットは無際限に量産された。それらのロボットは兵士として使い捨てにされるといったストーリーだったと思う。

 幼い私は感動した。というのは、本当に実現するように思えたからだ。事実現在、自動車はかなりの部分が産業用ロボットで造られている。造られる自動車をロボットに置き換えれば、十分に実現可能である。

 こんな漫画を、手塚治虫は1950年代、まだ三丁目の夕日より前の時代に考えていたのだ。手塚はただの漫画家ではなかった。