院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

私のコンピュータ事始め(3)(デジタル回路の隆盛)

2014-05-23 04:57:38 | コンピュータ

テキサスインスツルメンツ社のHPより引用。)

 ワンボードマイコンが発売されたのは、8ビットのワンチップCPU(中央演算装置)が開発されたことによるが、それ以前にデジタル論理チップが廉価で出回っていたことも大きい。

 工学部の人々は測定器をデジタル化するようになった。彼らは論理チップを組み合わせるだけで測定器を制作する派と、マイコンを使ってハードはそのままに、ソフトだけで目的の測定を実現しようとする派に分かれた。

 論理チップを配線(ワイヤー)するだけで所期の目的を達することをワイヤードロジックと呼んだ。一方、IBM社は今後、自社の収入源はハードは1割でソフトが9割になるだろうと予言した。そして、短期的にはそのようになった。

 論理チップは上掲のテキサスインスツルメンツ社がたくさんの種類を提供しており、私はいろんなチップを使ってワイヤードロジックに挑戦した。デジタル回路の工作はきわめて面白く、熱中した。(扱うのが0か1かだけなので理解しやすかったのだ。)

 私が作った回路は、ボタンを素早く連続して叩いて、その時間間隔を測るというものだった。多くの技術を工学部の友人に教わった。

 ボタンを叩く間隔は極端に長いものや短いものは少なく、平均値付近に集中して、予想どおり正規分布をなした。たったそれだけのことだが、達成感があった。医学部を卒業して3年目のころだったと記憶する。


(ウィキペディア「正規分布」より。)

(心理学の方面で「タッピング検査」というボタンを叩いて器用さを測る装置がある。複数のボタンがついているだけの金属製の箱で、動力やセンサーは付いていない。「器用さ」は検査者が目視で測る。私の回路を使えばこの検査が数量化できると思った。)


私のコンピュータ事始め(2)(ワンボード・マイコン)

2014-05-22 04:53:57 | コンピュータ

(ウィキペディア「TK-80」より。)

 大型コンピュータは当時の値段で1億円くらいした。だが、コンピュータの取り扱いを覚えた私は、どうしてもコンピュータが欲しかった。入力したプログラム通りにラインプリンタから印刷物が出てくる快感は、これまで味わったことのないものだった。でも1億円ではねぇ。

 大学を卒業して2年たったころ、上のキットが出た。コンピュータの中身を勉強するため、NECが出した製品である。私は飛びついた。10万円ほどしたが高いとは思わなかった。別に5Vの電源が必要だったが、当時住んでいた浜松では売っていなかった。そこで、上京したおり秋葉原で電源を買った。電源だけで5万円もした。

 入力は右下のキーボードから行う。16進数のマシン語で入力するのだ。これによって私はマシン語とアセンブリ言語を覚えた。

 メモリは増設RAMを別に買わなくてはならなかった。RAM1個で0.25Kバイト。4個付けて1Kバイトにしかならなかった。当時、RAM1個が2,000円以上した。だが、自分のコンピュータを自由にいじれるのだから、高いとは思わなかった。

 出力装置は右上の8個の日の字型LEDである。この素子は現在でも使われている。でも、普通は数字しか表せない。ところが、このキットでは日の字型の1辺ずつを光らせることができた。だから、日の字の中央の横線だけを光らせて、さらにその右の日の字の中央の横線を光らせる。そのとき、前の横線を消すという動作を繰り返すと、日の字の中央の横線だけが、左から右に弾丸のように走っていくように見える。

 なんの役にも立たない動作だが、成功すると嬉しかった。私が現在でもハードのことをある程度知っているのは、このときの経験による。

 (あれ以後、私の5回の引っ越しに付き合って、TK-80と電源は自宅の納戸にまだ置いてある。)

私のコンピュータ事始め(1)(大型コンピュータ)

2014-05-21 04:45:20 | コンピュータ

京都コンピュータ学院のHPより引用。)

 上の写真は1970年ころの東芝製TOSBAC-3400である。

 私が初めて触ったコンピュータはこれだったような気がする。テレビがない。まだ出力装置にテレビは使われていなかったのだ。当然、入力にもテレビは用いられず、入力はパンチカードで行われた。

 左の機械に傾斜したガイドが付いているのがお分かりになるだろうか?これは、ガイドにパンチカードの束を積んで、ザーッと読み取る機械である。

 出力はラインプリンタだけだった。アルファベットの活字がいくつもついた薄い鉄製のベルトが水平にぐるぐる回っており、その後ろに小さなハンマーが横並びになっている。ベルトの活字がまさに紙の印刷すべき場所に来た時に、そのハンマーがベルトを後ろから一瞬叩く。そうやってバリバリと文字列が印刷されていく仕組みだった。そんな仕組みでは、当然漢字なぞ印刷できない。

 右側に並んだ箱にはメモリが入っている。トランジスタでできたメモリで、なんと4Kバイトしかなかった。トランジスタだから当然、熱をもつ。熱のためトランジスタが誤動作することがある。そのため、電算室(当時はそう呼んだ)には常に冷房がかかっていた。

 一般家庭に冷房が行きわたっていない時代に、電算室だけは聖域のように冷房が利いていたのだ。

 当時、詠まれた俳句に次の句がある。詠み人はサラリーマン俳人だったが名前を忘れた。

    電算室に入る椿のやうに濡れ

コンピュータグラフィック(CG)の今後の進歩

2014-04-24 00:54:35 | コンピュータ

amazon より引用。)

 ディズニーのアニメ「アナと雪の女王」が大ヒットしているそうだ。これからアニメも本格的な3D時代に入るが、今後の改良の余地は人物の顔の表現に残されているだろう。あそこまでの表情は手描きのアニメでは表わせない。

 CG業界では、表情をどうやってコンピュータに馴染みやすくするかが大問題になっているらしい。数学で、これまであまり利用されていない数式がCGでの表情表現に役立つという。数学科出身者が活躍できる場が増えたわけだ。これまでは、数学科出身者は教師になるのでなければ、金融工学くらいしか進路がなかった。

 今、クラウドやビッグデータを扱うのに数学の知識が必要になった。CGでは数学がもっと必要になるというから、就職先が限られるという理由で数学科を敬遠していた学生が、数学科に戻ってくるかもしれない。

 残念なことに「アナと雪の女王」はミュージカルのようだ。私がミュージカルを理解できないことは「ミュージカル大嫌い」(2007-08-14)に書いておいた。

システムエンジニアという職種

2014-01-17 06:15:35 | コンピュータ
 私が大学生のころ、すなわち1970年代初めには、システムエンジニアは大変な高給取りだった。今の価格なら年収4,000万円ほどになるだろう。

 なぜかというと、コンピュータ技術者が細分化されておらず、システムエンジニアはプログラミングはもちろん、システム設計や、果てはマシンの修理までしなくてはならなかった。すべてができる人材は少なく、売り手市場だった。彼らには数学科出身者が多かった。私が大学でコンピュータを教わった先生も数学の助教授だった。

 システムエンジニアはスピードを速くするために、アセンブリ言語でプログラミングした。だから、トランジスタで組まれた回路の、どこがレジスタでどこがスタックかといった知識が必要だった。

 コンパイラはすでに実用化されていた。システムエンジニアはコンパイラの中身を知っていた。そのため、彼らはXの2乗と書くべきところを、X*Xと書いた。Xの2乗と書くと、コンパイラはXのπ乗でも計算できるルーチンに入ってしまい、計算時間が何十倍もかかるからだ。X*Xなら掛け算のルーチンですむ。

 今、システムエンジニアは高給取りではない。現在の高給取りは、ビッグデータを扱える人物である。それでも5年後には普通の月給取りになるだろう。それだけ技術の進歩が速いということだ。

統計学の実用化

2013-08-28 05:01:08 | コンピュータ
 最近、統計学は他人を説得するための手段になった。少なくとも私が学生だった時代には、一部の学術研究以外にこんなに統計学が利用されることはなかった。そうなったのはコンピュータの普及による。

 それまではデータの統計学的な解析には電卓を用いていたから、膨大な手間が必要だった。それが、コンピュータの低価格化(またはソフトの開発)によって、一瞬でできるようになった。

 電卓を用いた手計算ではとても不可能だった多変量解析という方法が手軽に実施できるようになったので、一時、多変量解析がブームになった。しかし、多変量解析は思ったほどの情報を与えてくれないことが分かり、すぐに下火になった。

 それで、ごく一般的なT-検定やカイ2乗検定がコンピュータで頻繁に行われるようになった。ここで、「有意水準」という概念が出てくる。ごく一般的には「有意水準」には5%という数字が使用される。

 「有意水準」5%で「有意差あり」とは、同じような統計的な研究が100個あったとして、うち95個くらいの研究結果は正しいだろうという意味である。

 私の学生時代には「有意水準」に1%が用いられることがあった。1%で「有意差あり」なら、これは研究結果100個のうち99個くらいが正しいだろうと予想でき、かなり確からしいことが言える。ところが今度は、1%では研究結果そのものが発表しにくいという弊害が出てきた。(1%ではなかなか「有意差」が出ないのだ。)

 それで最近では「有意水準」というと決まったように5%が採られるようになった。統計学という数理科学の一分野に、便利かどうか実用に耐えるかどうかという人間の勝手な価値観が混ざっていて、どこまで精度を犠牲にできるかを恣意的に決めているので面白い。

(統計というと、マスコミの世論調査を思い出されるかもしれないが、世論調査は統計学を一切利用していない。)

(金融工学といって、金融商品に統計学を応用して、もっともリスクが低くなるように計算された商品が開発された。それらは多種類大量に販売された。だが、リスクの分散が裏目に出て、先のリーマンショックを招いた。)

参議院選挙でのネットの使われ方

2013-07-01 04:47:42 | コンピュータ
 今度の参議院選挙で候補者によるインターネット使用が可能となったが、どのような使われ方をするか想像もつかない。

 あるネット評論家は、候補者が有権者と一緒に有権者の携帯に映り、その写真が Facebook に流されるのがもっとも効果的だと言っていた。なるほどと思う。

 では、アイドルのブログに候補者が「出演」するのはどうだろうか?アイドルのブログは参照数がきわめて多いから、顔を売るにはうってつけだろう。別に違反でもないようだ。

 それなら、アイドルに金を支払って、ブログに載せてもらったら違反だろうか?買収行為のように扱われるのだろうか?

 企業や個人のHPの持ち主に、候補者が自分のHPに飛ぶようなバナーを載せるように頼んだら違反だろうか?HPの持ち主が勝手にそれをやるのは違反にはならないような気もするが、どうだろうか?

 ネットの使用方法は、想像がつかないようなものが出てくるから楽しみだ。Facebook だって、最初に出てきたときには驚いたのだから。

インターネットは便所の落書き

2013-05-03 00:07:43 | コンピュータ
 患者さんに医学的な説明をしているときに、ネットには違うことが書いてあったと言われ、ムッとすることが多々あった。あなたは目の前の専門家が言うことよりもネットに書いてあることを信じるのですか?ネットとは誰でも何でも書き込むことができる、言ってみれば便所の落書きと同じなんですよ、という気持ちだった。

 ネットの書き込みと便所の落書きが違うところは、ネットは活字になっているという点である。活字で書かれていると、なんとなく信じてしまうものだ。だから、私が口で言うよりもネットの活字に信憑性を感じてしまうのは分からぬではなかった。

 ところが最近、ネットにはこう書いてあったと話す患者さんが激減した。それだけネットが普及し日常的なものになったため、ネットには間違いや悪意が存在していることを利用者がようやく理解したのだろう。

 私が感じた不快さは、ネットが十分に行きわたるまでの過渡的な現象だったようだ。最近はムッとしないで済んでいる。

 ところでこのブログだが、私は一生懸命に書いているのだが、間違った情報を書いてしまうことが必ずあるだろう。ネットに慣れた読者なら、テキトーに読み飛ばしてくださると思う。もし親切心があれば、コメント欄で訂正していただきたい。これまでの7年間で、そうしてくださったありがたい読者が何人もいらっしゃった。

追記:
 この連休に旅行に出ますので、このブログは3日間お休みします。

クラウドコンピューティングとは何か?

2013-02-21 01:04:09 | コンピュータ
 最近、クラウドコンピューティングがしきりと言われるが、いったいそれは何なのだろうか?

 私がまず出会ったのは、セキュリティーソフトのクラウド化だった。セキュリティーソフトはメモリの膨大な領域を占めるので、PCのスピードが目立って遅くなった。それがクラウド化されると、PCの重さがなくなった。

 原理はよく分からない。セキュリティーソフトをPC内に置かず、クラウドに置いたからスピードがアップしたのだろうか?セキュリティーをサーバー側で実現しているのだろうか?

 いまひとつ、自分のデータをクラウドに預けるというものがある。たとえば写真データをクラウドに預けて自由に引き出せるという。そうすると、この機能は銀行の貸し金庫のように考えてよいのだろうか?

 しかし、個人ユーザーで預けなければならないほど大量のデータを持っている人がどれだけいるのだろうか?どんなに写真や動画のデータをもっていても、たいがい自分のPCのHDDに納まってしまうのではないか?

 しかも、大量のデータをクラウドに預けていて、クラウド会社がそのデータをバックアップもろともなくしてしまったという話も聞いた。これでは、銀行の貸し金庫どころか、データを野積みにしているのと同じではないか?

 クラウド、クラウドと言うけれども、いまひとつ信用が置けないなと感じている私である。

SNS依存症は実在するのか?

2012-12-22 06:35:01 | コンピュータ
 ネット依存症という病的な状態があるらしい。常に誰かと繋がっていなければ気がすまず、スマホが発達してきたから、それこそ一日中スマホで誰かとメールのやりとりをしていて、日常生活にも支障をきたすそうだ。

 これはありそうなことである。メールを出すと返事が待ち遠しく、また返事が来たらすぐにその返事を出すのだという。

 一方でSNS(social network system?)への依存症というのがあるというが、本当だろうか?私がやったことがあるSNSは Twitterと Facebook だけだが、どちらもハマってしまうようなものではない。

 Twitter はフォロワーが何万人もいる有名人なら楽しいだろうが、私のような無名の者にはちっとも面白くない。書いても面白くないし、読んでも面白くない。

 有名人は影響力があるから、何かを書いて反応が沢山あれば面白いだろう。しかし、はたでその反応を読むほうは、ちっとも面白くない。なぜ面白くないかというと、素人が書いた記事だからである。素人の反応は99.9%が月並みである。

 NHKは番組でよく Twitter を用いる。そこに寄せられる意見がまた面白くない。NHKは自分が大衆に開かれていることをアピールしたいのだろうが、それはマヤカシである。なぜなら、NHKが寄せられるツイートを検閲しているからである。(でも、検閲しなければ、もっと面白くないツイートをわれわれは読ませられることになる。)

Twitter をあれこれいじってみたが、やっぱりどうしても面白くなくて、私は何年も前に投げ出してしまった。こんなSNSにハマる人がいるのだろうか?

 Facebook のほうがまだ面白い。相手はたいてい知り合いだし、知り合いの知り合いも自分とまったく無縁の人とは言えない。知り合いがどういう交友関係をもっているのか知るのも面白い。かと言って、これもハマるようなものではない。

 SNS依存症というのはほんとうに存在するのだろうか?

情報産業は日の出の勢い

2012-12-18 00:56:00 | コンピュータ
(1)昔、検索サイトが新聞社に記事を無料で提供せよと要求した。新聞社は商品である記事を無料でとは何事だと断った。ひとり毎日新聞社だけが検索サイトの要望に応じた。しばらくすると世界中で、日本には毎日新聞社しか存在しないことになってしまい、仕方なく他社も追随するようになった。

(2)モバゲーがプロ野球チームを持つようになれるとは思わなかった。ソフトバンクや楽天もプロ野球チームを持っている。昔は鉄道会社のような産業しかプロ野球チームを持てなかった。

(3)このほどグーグルが世界中の書籍を検索できるデータベースを作った。そうしたら、日本ペンクラブが、われわれに無断でデータベース化するとは何事だと怒った。グーグルは、申し出があれば検索できないようにしますと引き下がった。日本ペンクラブは、そういわれてやっと自分たちの申し入れが自己矛盾だと気付いた。日本ペンクラブは最初のうち、書籍は読まれてナンボということに思い至らなかったようだ。

 情報産業のこのような日の出の勢いは、いつまで続くだろうか?上った日は必ず沈むものである。数を頼んだ慇懃無礼なグーグルの態度に反感を覚える。あと20年くらいしたら、別の産業が日の出の勢いになるだろう。

漬け物の名人

2012-11-10 06:32:13 | コンピュータ
 私の曾祖母が作る漬け物(糠漬け)は、近所で一番おいしいと評判だったらしい。漬け物の名人といわれていた。(むろん私が生まれたころには曾祖母は他界していた。)

 曾祖母はその日の気温や湿度に合わせて、漬け物を糠みそから取り出すタイミングが分ったらしい。それはほとんど分単位だったという。長年の勘がそれを可能たらしめたのだろう。

 発酵食品にはすべて同じことが言える。現在の酒蔵は、小規模なところはまだ杜氏の勘にたよっているけれども、大手酒造メーカーだとコンピュータ制御である。さまざまな実験を重ねて、最適な温度、最適な時間が分っているから、おいしい酒がコンピュータで造れるようになった。勘にたよる必要がない。

 20年ほど前、知人が蕎麦屋のチェーン店を作った。各店舗には蕎麦の職人は一人もいなかった。そのかわりに、蕎麦の量、茹で時間と温度、ダシの調合比率、汁の温度などすべてがマニュアル化されていて、アルバイト従業員でもおいしい蕎麦を出すことができた。

 この蕎麦屋チェーンは一時大もうけしたけれども、やがて斜陽になった。マニュアルではなくて、釜や鍋の温度や時間をコンピュータ制御することが可能となり、もっと少ない人数で一軒の蕎麦屋が経営できるようになって、駆逐されたのだ。

 マニュアル化できる作業は、すべてコンピュータで代替可能である。

 コンピュータの発達によって、ホワイトカラーはその仕事の多くを失った。帳簿付けなぞは、もはやコンピュータの仕事となった。

 現在の失業率の高さは、いろんな仕事をコンピュータがやってしまうところから出てきたのではなかろうか?商売や経済に疎い私としては、そうとしか考えられない。まだ他の要因があるのだろうか?

無駄なデータ

2012-11-09 06:42:21 | コンピュータ
 大昔、まだコンピュータのメモリが高価だったころ、メモリは徹底的に節約された。

 たとえば人物情報は、生年月日が入っていれば、年齢は入力されなかった。年齢は生年月日から計算すれば分かることだから、高価なメモリを使用するのは無駄遣いとされた。

 実に合理的な発想だった。メモリには他から導くことができない独立な情報だけが入れられた.

 現在も昔も、診断書には患者さんの年齢記入欄がある。上のような考えからすれば、診断書には生年月日が書いてあるのだから、年齢は余分なデータということになる。(ちなみに運転免許証には年齢は書いてない。)

 ところが、診断書に年齢が入っていないと、多くの人が怪しむ。メモリ節約時代に育った私は、どうしても年齢を書くのは無駄な感じがしてならない。

 しかし、年齢が入っていないと診断書を受け取る会社側がミスだと思って、けっきょく困るのは患者さんだから、年齢はかならず記入している。一方で余分なデータだと思っている私がいる。

入力と出力

2012-10-29 05:48:03 | コンピュータ
 キーボードからの情報はCPUから見れば「入力」である。パソコンが出る前のコンピュータは、パンチカードで入力した。つまり、直接キーボードで入力できるようになったのは少しあとのことだ。

 紙への印刷は「出力」である。昔のコンピュータは、入力と出力を同時にはしなかったから、キーボードから入力しても、紙に出力されなかった。だから、操作者の印象としては、キーボードを打っているだけで、正しく打てているかどうかは分からなかった。

 すぐにキーボード入力がテレビに出力されるようになって、入力が飛躍的に楽になった。それまでの間は、ただキーボードを反応も無く押すだけで、はなはだ心もとなかった。このような仕組みを「アンサーバックがない」キーボードと呼んでいた。

 出力装置にテレビが採用されてすぐに、キーボード入力はテレビに出力されるようになって、格段に便利になった。しかし、そのようなことができるようになったのは、CPUが速くなったからで、CPUが入力と出力をほぼ同時にできるようになったためである。

 現在、ひとことでファイルの書き換えと言うけれども、昔は入力ファイルが記録された磁気テープを回して、CPUで処理して再び別の磁気テープに出力しなければならなかった。だからファイルの書き換えという動作は、CPUが入力と出力をほぼ同時に行なうから、そのように見えるのであって、実は2段階の動作なのだ。(磁気ディスクが普及して、ファイルのランダムアクセスができるようになったのは、それより少しあとである。)

 このような時代を経てきた私にとって、現在パソコン画面がカラーであるとか、まして動画がみられるなんていうのは、まったくもって夢のような世界である。

ルービックキューブは20手以内で解ける

2012-10-21 05:10:46 | コンピュータ
 ルービックキューブが、初期状態がどのようであっても27手以内で解決できることは、いつぞやこの欄で述べた。それが証明されたのは2006年のことであるが、それから毎年のようにこの手数が減少していった。

 もっとも新しい証明では、20手以内で解決できることが示された。この証明は、キューブの動作を巧妙に場合分けして、それらをコンピュータでしらみつぶしに調べたものである。計算にはグーグルの援助を受けたそうである。

 以下のHPに解説が載っている。そこから今回のソースプログラムやキューブ解決の歴史記事(過去の計算)などにジャンプできる。

 でも、まだ追試した人はいないそうである。

http://www.cube20.org/