院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

消えた年金問題

2012-07-09 05:39:22 | コンピュータ
 あのころは、まだパソコンがなかった。あるのは大型コンピュータで、入力手段はパンチカードだった。

 しばらくして、入力がキーボードとテレビに代わった。当時、テレビはCRTと
呼んだ。CRTはモノクロで、しかもオシロスコープのように緑色だった。

 CRTについてはデマに似たことがいろいろ言われた。長く見ていると、目をやられるとか、CRTからは放射線が出ているとかである。

 むろん、家庭のテレビにはそんなことは言われなかった。新しい物に対する警戒感あって、CRTは普通のテレビと同じなのに、上のような疑いを抱かれた。

 その頃、単純計算ですむデータはコンピュータ化が急がれていた。むろん、年金データもコンピュータ化された。

 年金データを入力する役所の職員はキーボードに慣れておらず、何ストローク打ったら10分休ませろ、と極めて非効率な要求を出し、それが通った。

 上記のようにCRTをずっと見ているのはイヤだとも言った。そんなにいやいややっていた作業だから、誤入力がおびただしくあった。名前も読めないものは適当に読んで入力してしまった。

 年金担当職員組合の理不尽な要求が通ってしまったわけだ。組合はいつもサボろうとする。

 そこに現在の消えた年金問題の元凶がある。もう、取り返しがつかない。結局、紙にペンで書いた元データに当たることになったが、それにも限界があった。

 今言われている年金問題のかなりの部分は、コンピュータ化したときに、十分すぎるほどの種が撒かれていたのだ。

大型コンピュータの昔の名称

2012-07-01 00:03:37 | コンピュータ
 30年前、大型コンピュータを電機各社が競争のように造っていたころ、各社がコンピュータにつけた名称が面白かった。ほとんどダジャレなのである。

 名称の末尾は「・・ック」というのが流行った。日本電気(NEC)は「ニアック」、日立は「ハイタック」。東芝にいたっては「トスバック」と笑えてしまうような命名だった。

 ひとり富士通だけは「ファコム」で、ダジャレ度が低かった。富士通は唯一、部品を全部国産にするのにこだわった会社である。私の同期で優秀な連中が富士通に大量採用されたのも、この時代だった。会社としては大きな賭けだっただろう。むろん、応募した者にとっても。

 彼らが切歯扼腕した結果として、今のスーパー・コンピュータ「京」(けい)がある。富士通は他社と違ってテレビや冷蔵庫などには手を出さなかった。コンピュータだけで商売になると分っていたかのごとくである。

 「京」が最近、アメリカのスーパー・コンピュータに抜かれたという。今度は富士通が抜かす番である。あたかも五輪競技を見ているような感じがする。

四則計算ができないコンピュータ

2012-02-02 11:36:36 | コンピュータ
 昔のコンピュータなら難なくできた四則計算が、現在のコンピュータ(WINDOWSマシン、マックOS)ではすぐにはできない。

 例えばある薬の血中濃度を唾液中濃度から類推する場合、次のような関数を用いる。

 ((X^0.2/p^3.1)*(Y^0.3/p^4.2))/((X^0.4/p^0.4)*(Y^0.3/p^0.5))

 ここで X は唾液中濃度 Y は体重あたりの服薬量 p は唾液の pH である。

 こんな四則計算はFORTRANやBASICではお茶の子さいさいだった。それが、最近のコンピュータでは、表計算のマクロを使っても一苦労なはずだ。だいたいマクロでべき乗ができるのだろうか?

 このような計算が日常的に必要な人たちは、どのように計算しているのだろうか?FORTRAN以前には電卓でやっていたのだが・・。

プログラミング言語

2012-01-30 10:05:42 | コンピュータ
 大学時代にコンピュータのプログラミングを習った。高価な大型コンピュータで、冷房の効いた部屋に置かれていた。でも、メモリはトランジスタで出来ていて、4Kバイトしかなかった。

 言語はFORTRAN。行列式の計算などをやった。ラインプリンタはすでに現在のと同じ性能で、私は玩具のように大型コンピュータで遊んだ。

 卒業したころに、ワンチップマイコンZ80が発表された。体育館のような大部屋を食っていた大型コンピュータと同じ性能が、ワンボードで実現された。面白くて、これも玩具のように楽しんだ。メモリはワンチップで0・5Kバイトが2000円以上した。言語はアセンブラで書いた。

 その後、パソコンが現れて、BASICとOSがコミになったような変な製品が売れに売れた。これが、マイクロソフト社が発展する先駆けとなった。

 同じころ、マッキントッシュが発売された。これもいじってみた。言語はC言語。画面のレイアウトが固定されているという画期的な製品だった。それでも、まだC言語でプログラムが書けた。

 このほどスマートフォンのプログラムをしてみようと思い、参考書を買ってきたが、なんと複雑になっていることか。まず、用語やアルファベットの略号を覚えなくてはならない。もう少し簡単にならないものか。WINDOWSのVISUAL BASICよりも、よほど難しい。