精神科医の畏友のひとりに元物理学者だったという変わりダネがいる。
彼はある旧帝大の物理学科を出て、物理学博士になった。でも、理由は聞いたことはないが、その後別の旧帝大の医学部に学士入学して、今ではもう物理学者歴より精神科医歴のほうが長くなった。精神医学の著書もある。
彼は医学業界に入って違和感を感じたことがあるという。それは、この業界ではお互いを「先生」よばわりする点だ。同輩はもとより、先輩が後輩を「先生」と呼ぶ。それどことろか、教授が研修医を「先生」と呼ぶことさえある。
私も初心のころ先輩から先生呼ばわりされるのを、こそばゆく思った経験がある。
だが物理学業界では、まったく逆で、物理学者の卵は「お前は才能がない」「早く辞めたほうがよい」といわれ続けるらしい。実はそれは「愛の鞭」であって、中途半端なまま物理学業界で歳をくってしまうとツブシが効かなくなることを見越しての助言らしい。
物理学業界はプロの碁や将棋の世界に似ていて、才能も知能も十分でなければ食べていけない業界のようである。とんでもない天才しか必要とされない業界なのだ。
それで思い出すのが私が高校生のころ読んでいた「大学への数学」というマニアックな雑誌である。(この雑誌は今でもある)。当時、名古屋の東海高校生だったか、「森君」という信じられないほど数学ができる生徒が、雑誌で活躍していた。どんなに難しい問題でも解いてしまうのである。
雑誌の編集部もあきれて、彼を「怪物君」と呼んでいた。私もどんなヤツだろうと思っていた。それから20年ほどたってから、今度は新聞紙上で彼の情報がもたらされた。「森君」はどこかの大学の数学科の教授になっていて、数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞を受賞したと報道された。
報道にれば彼は小学校から高校まで、算数・数学は100点以外は取ったことがない、とあった。
才能というものはホントにどうしようもないもので、いくら努力しても追い着けるものではないということを、私は中学高校の同級生や「森君」から学んだ。高校生のころは医学に才能は不要とは知らなかったけれども、たまたま医学業界はまったく才能を要求されず、むしろ努力や熱意が評価されるので幸運だったと思っている。
冒頭で述べた畏友が、物理学業界から医学業界に転じたのは、どうしてだろうか?私には彼が「物理の才能がないから自分を見限った」とはとても思えない。彼の精神医学論文がすばらしいので、物理学に素人の私にはそう感じられてしまうのだろうか?
彼はある旧帝大の物理学科を出て、物理学博士になった。でも、理由は聞いたことはないが、その後別の旧帝大の医学部に学士入学して、今ではもう物理学者歴より精神科医歴のほうが長くなった。精神医学の著書もある。
彼は医学業界に入って違和感を感じたことがあるという。それは、この業界ではお互いを「先生」よばわりする点だ。同輩はもとより、先輩が後輩を「先生」と呼ぶ。それどことろか、教授が研修医を「先生」と呼ぶことさえある。
私も初心のころ先輩から先生呼ばわりされるのを、こそばゆく思った経験がある。
だが物理学業界では、まったく逆で、物理学者の卵は「お前は才能がない」「早く辞めたほうがよい」といわれ続けるらしい。実はそれは「愛の鞭」であって、中途半端なまま物理学業界で歳をくってしまうとツブシが効かなくなることを見越しての助言らしい。
物理学業界はプロの碁や将棋の世界に似ていて、才能も知能も十分でなければ食べていけない業界のようである。とんでもない天才しか必要とされない業界なのだ。
それで思い出すのが私が高校生のころ読んでいた「大学への数学」というマニアックな雑誌である。(この雑誌は今でもある)。当時、名古屋の東海高校生だったか、「森君」という信じられないほど数学ができる生徒が、雑誌で活躍していた。どんなに難しい問題でも解いてしまうのである。
雑誌の編集部もあきれて、彼を「怪物君」と呼んでいた。私もどんなヤツだろうと思っていた。それから20年ほどたってから、今度は新聞紙上で彼の情報がもたらされた。「森君」はどこかの大学の数学科の教授になっていて、数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞を受賞したと報道された。
報道にれば彼は小学校から高校まで、算数・数学は100点以外は取ったことがない、とあった。
才能というものはホントにどうしようもないもので、いくら努力しても追い着けるものではないということを、私は中学高校の同級生や「森君」から学んだ。高校生のころは医学に才能は不要とは知らなかったけれども、たまたま医学業界はまったく才能を要求されず、むしろ努力や熱意が評価されるので幸運だったと思っている。
冒頭で述べた畏友が、物理学業界から医学業界に転じたのは、どうしてだろうか?私には彼が「物理の才能がないから自分を見限った」とはとても思えない。彼の精神医学論文がすばらしいので、物理学に素人の私にはそう感じられてしまうのだろうか?