(会津若松トラック協同組合のHPより引用)。
9年ほど前にフランスのトラック組合がストを打った。理由は55歳定年制が延ばされそうになったから。そのとき私は、わが国の定年制に文句を言う人が少ないので、このブログで定年制は体の良いクビであって、定年制そのものが問題なのだと批判した。(「定年制に対する疑義」2008-10-04)。
で、この9年間で私自身が勤務医だったら迎えていたはずの定年を少しだけ超えた。それでどう思ったか?
個人差はあるだろうが、ある年齢から急に体力と知力が落ちた。長距離を歩けなくなった。だったら車をつかえばよいとお考えの向きもあろうが、車の運転自体が怖くなったのである。むかしは、そんなことは考えたこともなかった。
もう一点、前ならカルテの氏名欄を見ただけで、どの患者さんかパッとわかったのだが、いまはカルテの中身まで 見ないと分からないことがある。要するに知力、記憶力が急速に低下した。
むかし老人が「アレがアレして、アレだから困るんだ」というような、指示代名詞ばかりで話すので意味が分からず、それこそ当方が困った。だが老いるとそのような話し方しかできなくなることが身をもって納得できた。
だから定年制には一定の合理性がある。しかしながら私は定年制賛成の側に回ったわけではない。そうではなくて、この仕事はもう無理と知ったら自分から身を引けばよい。身を引きやすくするには年金がもっと高くなければならない。
さいきん国の経済政策にからんで、老人がため込んでしまうのでお金が世間に回らないという批判的な論調がある。新卒の初任給以下の年金しかもらえないから、貯めておくのは当たり前じゃないか!
定年問題は年金問題と密接に関係している。フランスのトラック組合年金はさぞ高いのだろう。
(世界の年金には自分で積み立てる方式と、若い世代から吸い取る方式があって、わが国は吸い取るほうの方式だということは知っている。それを言い出すと話がまぎれるので、ひとまず置いておいた)。
※私の俳句(秋)
もう少し歩けば街よ稲の花