えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・それなりの「グヤバノ・ホリデー」

2019年02月23日 | コラム
 傘を閉じると雪の塊が落ちた。閉じた傘を自動ドアの外で振ると、外はぼたん雪が羽のように降り続けている。アメ横から線路を挟んだ反対側のドトールでオレンジジュースを頼み、壁際の席に缶を詰め込んだビニール袋を置いた。

 Panpanya『グヤバノ・ホリデー』の表題作「グヤバノ・ホリデー」はアメ横から始まる。アメ横の地下街の輸入食品街で「グヤバノ・フルーツ」和名バンレイシを使ったジュースを気に入った著者はそれ以降、アメ横に立ち寄るたびにグヤバノの缶ジュースを買い求めるようになった。けれどもある時ぱったりと入荷が止まり、グヤバノの味から著者は遠ざかる。ドライフルーツや生の果実を探しても日本にはないグヤバノを求めて、著者はグヤバノ・ジュースの産地であるフィリピンに旅をすることとなった。その次第一切を描いた漫画が「グヤバノ・ホリデー」である。
 待ち合わせの時間までは一時間近く余裕があったので傘を携えてアメ横を歩いた。まだ雪の粒は塩粒くらいの小ささで、コートをはたくと簡単に落ちた。雪を理由にシャッターを下ろした店もちらほら見受けられた。

 地上の店で扱われている輸入食品はドライフルーツが中心で、マンゴーやパパイヤに交じって桑の実やレモン、オレンジが置かれている。スターフルーツは気になったが「グヤバノ・ホリデー」ではジュースがあまりおいしくないと書かれていたので見送った。積もりそうで積もらない雪が散る徳大寺まで歩く。堂内からはお祓いを受けているのか、男性が本尊の前に座り住職らしき紫の法衣をまとい白い頭巾を被った僧が読経を進めていた。その奥の厨子にオレンジ色のLEDで照らされた本尊が二人を見下ろしている。しばらく見ていると読経が終わるとともに、厨子には舞台の幕のような緞子が降りて本尊の姿はすっかり隠れてしまった。少しおかしくなって外に出ると雪は強くなっていた。

 もう一度商店街を戻っていると、店が途切れてタイルの敷かれた入り口があった。「輸入食品」と書かれている。傘袋に濡れた傘を入れると、下り階段から生臭い臭いが漂ってきた。階段を降りると、電灯は煌々と点り明るいはずなのに、どこか薄暗く埃っぽい。冷凍された肉の塊や生きているカニがうごめく水槽が無造作に散らばり、壁には簡体字の商品名のロゴの缶や瓶が並び、どこからともなく香辛料が鼻を突く。塊肉を売っていた店の前でバロットが売られていた。

 その店があったのは私が入った入り口からは一番奥で、コカ・コーラの自販機とベンチが置かれた休憩所には色の黒い男たちがたむろして煙草を吸っていた。店と入口の間際の棚にジュースの缶が並ぶ。『Gina GUYABANO NECTOR』が漫画のパッケージそのままに置かれていた。隣には『GUAVA』のジュースが紛らわしく置かれているところもそのままだ。180円で三つ買った。背が届かなかったので、一つは店員に頼んで取ってもらった。店員は床の段ボールから缶を取り出し、私へ一つ渡すと残りで私が缶を抜いた穴を埋めていた。味を比べたかったので『GUAVA』のジュースもひと缶買う。その場で飲もうかと考えたが、上から吹き込む寒い風とこちらをじろりとねめつけた男たちの目で取りやめた。

 肉の生臭い臭いが移った白いビニール袋を提げて階段を登ると、雪はまた強く降り続けていた。時計を見ると待ち合わせの時間まであと10分を切っていた。ビニール袋でゆっくりと冷える缶をゴロゴロ言わせながら、待ち合わせの店に急いだ。
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・『ヤン・リーピンの覇王別姫』

2019年02月22日 | コラム
・切り刻む身体の語り掛け

白い剪紙の「静」が掲げられると水を打ったように客席が静かになり、琵琶の名曲とされる「十面埋伏」が切り裂くような弦の一音と共に始まった。

21日初日の『ヤン・リーピンの覇王別姫』は中国の京劇の古典「覇王別姫」を下地に、雲南省の少数民族出身の舞踊家ヤン・リーピンが演出、制作の鞭をとった舞踊劇だ。既にイギリスやアメリカで公演され非常に高い評価を得ており、本邦では今回が初の公演となる。
オーチャードホールの扉が開くと、遠目からでもわかるほどに舞台には無数の鋏が釣り下がり、上手では白い服の女性が大量の紙に包まれながら無言ではさみを動かして紙を切り続けていた。やがて琵琶の演奏が終わり、「相」の字と共に現れた劉邦の参謀の蕭何が、物語を京劇の発声で語り継ぐ背後より

次々に人が現れ、人が舞い、若々しい項羽とたおやかな男性演じる虞美人が物語を体で現わしていった。
京劇では日本の歌舞伎や能と同じくすべてを男性が演じるというしきたりがあるため、中心人物は虞美人を含め全員男性の演者が演じている。虞美人を演じた役者のすさまじさは既にあちこちの批評で言われているように、裸身の登場からして既に身体こそ男性だけれども体の生々しい動きの全ては見事に女性を表していた。鞭を思わせる腰のしなりから足の甲の反り返りまでが美しく、服を着るよりもむしろ、裸で筋肉を伸ばしながら身体を確かめるようにうごめいていた時の方が女性を感じた。京劇や歌舞伎の女形では袖や裾で男性らしさを隠すが、それを逆手に取りつつアジア人の男性に時々ありえる華奢な線を身体一本で彼は作り上げていた。

その虞美人と舞う項羽は若々しさを強調された髪形のおかげか、京劇の敗軍の将というよりは三国志の小覇王の方がふさわしかった。虞美人以外は全員バック中する中でも、特に項羽の登場場面のバック中は型も高さも「雄飛」という文字がぴったりで、ハサミの真下でひらめく紺色のすその長いスカートのような衣装が、跳躍する足によく映えていた。

相対する劉邦はなんとなく豊臣秀吉を彷彿とさせる、項羽と対峙しておちゃらけた滑稽を見せると思いきや、項羽を罠にはめるため韓信と策謀を巡らせ、最後は敗北者となった項羽を背景に堂々と舞台の中心を占めて仁王立ちする「帝」の文字にそぐった立ち居振る舞いを見せていた。

彼らは最後に真っ赤な羽毛を跳ね散らかしながらそれぞれの運命に従ってゆく。自刎した項羽は逸話通り、その体を切り刻まれるかのように人の群れに取り囲まれ、乱れた長い髪を顔の側面に垂らしてうなだれ動かなくなる。戦に勝利する劉邦は赤い羽根の雨を喜ぶかのごとく受け取り開いた足を崩さない。虞美人は来ない。いつの間にか天井近くにあった鋏の群れは彼らの頭上に落ち、剪紙の女は紙の山にうずもれた。切り取られたかのように瞬間的に過ぎる二時間の見事な終わりだった。
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:『顔真卿展』 東京国立博物館 二〇一九年二月

2019年02月09日 | コラム
・孤立する文字

 東京国立博物館本館を出て正面の池のほとりに小型のバンが二台止まっていた。片方は唐揚げ屋でもう片方はソーセージ屋だった。ソーセージ屋で「ローストポテト」を四百円で買うと、店主の男は紙袋にポテトを入れて粗塩を掴み入れ、袋の口を閉じて上下に勢いよく振ってから「どうぞ」とメニュー越しに手渡した。二つあるベンチの片方には老女の二人連れがペットボトルの緑茶に口をつけながら話続けていたので、一人分の隙間が空いていたもう一つに座る。雲のないぼやけた冬と春の合間の空は久しぶりに快かった。
 電車の車窓から立て看板を何度か見かけて上野に行った。年々ざわめき声が煩わしくなり、毎度の特別展ではコミケットのように団子になった人に揉まれるのを避けていたらいつの間にか上野の公園側にはいかなくなっていた。特別書画に造形が深くない。顔真卿という名は看板から知った。今年一月に出たばかりの伝記を斜め読みすると高級官史の彼は書こそ群を抜いていたが詩文はまずかったらしいとある。古本屋でも彼について書かれた本は見当たらなかった。
 国立西洋美術館の横にある緑の屋根の総合案内所で入場券を買った。昔はJR上野駅の中に券売所があったのだが、改装に合わせて閉鎖し喫茶店になったりドリンクスタンドになったりしているうちに目的を見失ったのかシャッターを下ろしていた。国立博物館の入り口もすっかりあか抜けて、入り口の手前にはガラス張りのミュージアムショップが出来ていた。京都国立博物館にも同じ建物があったように記憶している。
 肝心の美術展の入り口も屋根付きの建物となり、美術展は十分待ちの入場と看板に書かれている。足早に平成館へ向かうと丁度列の動くところに出くわしたが、並んだ私の直前で列は止められた。これがあるからこの頃は行く気をなくしていたのだが仕方ない。
 どうしてか一か所しかない入場口のエスカレータを登り切ると中国語で「右手に向かうように」と書かれた紙を持った初老の女性が立っていたので従う。あまりに久しぶりで第一会場の出口から入ったことに気づいたのは『祭姪文稿』を見るための列に並んでからだった。
「説文解字」の写本や千二百前の酔っ払いの達筆の所を過ぎて黄絹板『蘭亭序』くらいはまともに見ようかと列に並んだ。その背中で、「ちゃお・すぃ・りゃぉ」と、音が聞こえた。振り向くと中国語だった。この時だけは、なぜかその響きが会場になじんで心地よく聞こえた。
『祭姪文稿』の順番を待ちながら天井から下がる赤い大きな短冊の字を見上げる。とめどなくこぼれるあらゆる思いが自分の創り上げた書体も崩して墨になだれ込む。誰の書か忘れてしまったが、やはり悲しみと怒りのないまぜになった書を見た時と同じものを覚える。それは行列の退屈を紛らわせるための解説動画の前で立ち止まる人たちにも平等に伝わっていた。後ろに並んでいた老夫妻が「我慢できなかったのね」「三行までは抑えて書いたんだな」と、言い交していた。列が現物の前に着いた。「立ち止まらないでください」の声に気を取られたっせいで、かろうじて書きつぶされた炭の跡だけが目に留まった。
 いつも東京国立博物館の第二会場は人が疲れ切っていてものを見るには丁度良く人がばらけている。神田喜一郎の随筆で名を見たきりの米芾の肉筆の方が、よほど炭の色も鮮やかで払いの切れの良さが美しく見られた。最後に清の時代の書を以て会場を後にした。時々、会場にある展示品の気に入った一つを手元で一日かけて眺めたいと思う。そういうものが一堂に会するとそれを見に来る人の量もさながら、もの達の気配に圧倒されて頭を殴られたように茫然とする。それでも『祭姪文稿』は手元で眺めようとする気すら失せさせる、ひたすらに悲しい孤独な書だった。
「稿」の名の通り、これは下書きと伝えられている。彼が正規に残したどの書よりも人の心を打ったという理由で『祭姪文稿』は当代一の書と評されている。明朝体の元になった字体は判を捺したように整然だ。それが「安史の乱」に巻き込まれ、政治の暴走を止められず、ついには一族が命を奪われた報を顔真卿は受け取る。会場に並ぶ書の大半は穏やかな環境で字のために文のために落ち着いて筆を取られたものだ。完成品である。『祭姪文稿』は書き損じのある未完成品だ。一族の手向けに清書されるべき文である。それが残った。短い本体を守るようにこれを所持した人々の印は赤く散らばり、序文や解説が長く長く続く。歳を経た紙は華やかな白の後付けの紙とは対照的にくすみ、賊を罵倒し裏切り者を弾劾するすさまじい声が、字を評する誉め言葉を振り切るように文章から轟いている。その音のない声が、会場に集まる書を黙らせて孤高を保っていたのかもしれない。
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