えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

忘れずのひと

2012年03月18日 | 雑記
―2012年3月5日にみまかられました河井須也子さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます―

雨が降りそうな、重たい雲のかかる東京で、気に入りの紅茶屋に私は居座っていた日。その人はかつて暮らしていた家の畳の家で、娘たちに看取られながら息をひきとっていた。
河井寛次郎のひとり娘、河井須也子。
2010年に出版された「不忘の記(わすれずのき)」から2年。彼女の周りはたくさんの人で満ち溢れていた。柳宗悦一家、浜田庄司一家、バーナード・リーチといった民藝の人々から、吉屋信子、山下清、新村出、彼の家を訪れたあらゆる人々。そして何より、実父の河井寛次郎。
 こと感性にかけてぜいたくでぜいたくな世界にやっかみ半分で、本のすべてを読み通した。あらためて、その死を聞いて、読み直して、見逃していたことは、ちらほらと、つつましやかといえるほどに、父親たちに混じる彼女の姿だった。
 女の子があの、沈黙のバランスに包まれた場所を、そのままに受け止めて感覚に消化していくのはそこそこに大変なことだと思う。わずかな彩をかざる桃色と白の繭玉飾りを省いて、華やかであでやかで、いかにも女の子が惹かれそうなかわいらしい、と言える色のない家。わずかふすま一枚で隔てられた部屋が、少女のころの河井須也子にとって女の子らしいものに囲まれることのできる世界だった。

「―私はスクリーンビクトリアルという外国映画雑誌のスターの白黒写真を、二階の自室に押しピンでペタペタと貼りめぐらした。(中略)米国の男優ロバートテイラー、麗美ランドや、女優ダニエルダリュ、キャサリンヘップバーン等である。
 そして机には川端康成の『乙女の港』、吉屋信子の『花言葉集』を何冊か並べ、(中略)また、『少女の友』の付録の中原淳一の少女の絵も欠かせない私の宝物であった。
私はこの部屋のふすまをピシャンと閉め、なるべく人に見られないようにしていた。自分の世界に籠っていたかったのである。」―『不忘の記』より

 人に囲まれた彼女が、守り抜いた河井寛次郎記念館は、彼女が閉じたふすまの外の空気をいまでも湛えている。父を亡くし、父の後を追った夫も亡くし、導く人がなくなってゆく中で、写真の河井須也子は華やかな服をまとい、父と同じ目をしてほほ笑んでいた。
 その笑顔もなく、たった、たった二週間前にいなくなったのに、記念館の空気は何も変わらず穏やかでいた。

「3月5日に亡くなりました。苦しまず、やすらかに・・・。記念館を訪れた人には申し訳ありませんでしたが、最期は暮らしていたこの家で迎えさせてあげられました」

 末娘の、現河井寛次郎記念館の学芸員をつとめる鷺珠江さんは、にこやかにほほ笑みながら母の死を語った。そのすっと痩せた顔かたちは、あの写真そのままの笑顔。
私は早口のことばを聞きながら、胸が締め付けられるようにあつくなり、理由のない涙がこぼれそうになるのをおさえ続けていた。
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