八か月ぶりの浅草は「鈴廣かまぼこ」の支店が撤退し、大正十五年創業の真珠屋は真珠の取り扱いをやめて出所不明の織物を扱いだし、「Asakusa Café」の京都なまりの店主は「潰れる寸前」と呟いた。緊急事態宣言を過ごした浅草の街路はシャッターが増え、「梅園」は開店を一時間後ろにずらしていた。一瞬下ろされたシャッターに背筋がひやりとしたが、打ち水をしている眼鏡の店員と入り口近くのシャッターが開きかけていたので、開店時間の遅れを知ることとなった。尋ねると彼女はすまなさそうに「十一時からです」と答えた。
外国人観光客がいなくなった浅草の表参道は日本語が飛び交っていて、二月に訪れた時とは音の響きが違っていた。浅草神社で七五三をお祝いする晴れ着姿の子どもたちと礼装の大人たちの脇を、カメラとスマートフォンを掲げたマスクの人々が本堂へと歩いてゆく。総門手前の不動堂への通路は鎖で出入りを制限され、半開きのシャッターから提灯と賽銭箱をはみ出し、参拝客だけをそこに導こうと必死になっていた。鎖にぶら下がっている注意書きには写真撮影のために立ち入らないようにとの注意が日本語で書かれていることも意外だった。
総門を潜る。手水の前も香炉の前も人だかりはなく、かといって疎らではなく、人混みにならない程度に賑わっていた。数年ぶりに線香を買い七輪で火をつけて香炉に立てると、白い煙の束がゆったりと人の間を漂って行った。本堂は訪れる人の数が減った機会を利用してか、八月から天井の修復が入ったそうで足場が組まれており、本堂奥の賽銭箱の前だけが穴のように開いていた。ぎゅう詰めで賽銭を投げていた人の群れはなく、床に養生テープで無造作に作られた印に従って間隔を空けて四列に並ぶ。祈る時間と反比例して列が進む。時々神社の二礼二拍一礼を守って本尊の聖観世音菩薩に手を合わせる人がいる。誰もがしんと黙っていた。六角形のお御籤の筒を振る音も、お御籤の結果に一喜一憂する会話も聞こえない。移動できるキャスター付きのお御籤の棚と筒のセットがむしろ本堂には増えていたにもかかわらず、消毒液も手前に用意されているにも関わらず、誰もお御籤を引く人はいなかった。引きが悪いので私は引かなくなって久しいが、それにしても静かな参拝だった。
外国人観光客がいなくなった浅草の表参道は日本語が飛び交っていて、二月に訪れた時とは音の響きが違っていた。浅草神社で七五三をお祝いする晴れ着姿の子どもたちと礼装の大人たちの脇を、カメラとスマートフォンを掲げたマスクの人々が本堂へと歩いてゆく。総門手前の不動堂への通路は鎖で出入りを制限され、半開きのシャッターから提灯と賽銭箱をはみ出し、参拝客だけをそこに導こうと必死になっていた。鎖にぶら下がっている注意書きには写真撮影のために立ち入らないようにとの注意が日本語で書かれていることも意外だった。
総門を潜る。手水の前も香炉の前も人だかりはなく、かといって疎らではなく、人混みにならない程度に賑わっていた。数年ぶりに線香を買い七輪で火をつけて香炉に立てると、白い煙の束がゆったりと人の間を漂って行った。本堂は訪れる人の数が減った機会を利用してか、八月から天井の修復が入ったそうで足場が組まれており、本堂奥の賽銭箱の前だけが穴のように開いていた。ぎゅう詰めで賽銭を投げていた人の群れはなく、床に養生テープで無造作に作られた印に従って間隔を空けて四列に並ぶ。祈る時間と反比例して列が進む。時々神社の二礼二拍一礼を守って本尊の聖観世音菩薩に手を合わせる人がいる。誰もがしんと黙っていた。六角形のお御籤の筒を振る音も、お御籤の結果に一喜一憂する会話も聞こえない。移動できるキャスター付きのお御籤の棚と筒のセットがむしろ本堂には増えていたにもかかわらず、消毒液も手前に用意されているにも関わらず、誰もお御籤を引く人はいなかった。引きが悪いので私は引かなくなって久しいが、それにしても静かな参拝だった。