えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

ひざこぞう

2011年05月29日 | 雑記
雨天にもかかわらずレンブラントの展示は盛況だった。盛況な美術館は、見せる側にとっては嬉しいのかも知れないけれども、見る側はたまらない。特別展示用の広い地下室へ降りるために下りる階段からさざめきが絶えず耳に届く。ひとりで見に来ているひとは少なくて、たいがいは誰かと一緒、カップルだったり女の子同士だったり、赤ん坊をかかえたり。階段を下りた。もぎりの人のこげ茶色の前髪がチケットを切るときに前かがみになって、またもどることをしきりに繰り返している。また階段を下りた。さざめきがざわめきになる。あわだつ空気に負けないよう気合を入れて自動ドアをくぐった。雨のこもる人いきれ。

その時代らしい絵を描く人と、次のステップに進みすぎてしまって今見ると新しく見える絵がある。レンブラントはその辺り、やっぱり後者なのかな、と思う。他の人が雰囲気の差程度に扱っているさまざまな技法を、陰影と光のキーワードで捉えて突き詰めているすがたはとても面白い。けれど、無条件に素敵だ、と脳髄にとびこむような感触の絵は少ない。なんというか、顔かたちやスタイルはものすごく綺麗なのだけれどお近づきになりたいとおもいづらい人のような、そういう線の人だ。描かれている人の、画家の目にうっかり捕まえられてしまった表情はばつぐんに楽しいのだけれど。『音楽家(聴覚)』の鼻の赤い男たちなんか、なんともわくわくしてきませんか。キリストの背景で顔をおさえていたり、そっぽを向いているおっさんたちの引き結ばれた口元のそれぞれに、思惑が見えかくれしませんか。

でも女の人はけっこう苦手だったのかなあ、と思う。裸体の女性を描いた版画がいくつも展示されているのだけれど、その膝がことごとく肉詰めしたゴムチューブのように単純な曲がり方をしていてきわめて不自然なのだ。腕が男の人のように肉のそげた腕をしていたりと、裸でまがっている間接が塩ビ人形のようでそこから以下の肉感がない。膝、膝、ひざのことごとくがあんまりいただけない。お肉がついて色っぽければよいというわけでもないのだけれど。

この人を見るときには、あまり線に注目しないで、陰影、光と影に照らし出される加減を見るほうが楽しいようだ。
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イーダのうなじ

2011年05月28日 | 雑記
部屋の最後、集中がつきたあたりで行き過ぎるか、彫刻の部屋から入ってくるとまずそのまま右に曲がってしまい足をとどめることがむずかしい一枚が国立西洋美術館にある。ヴィルヘルム・ハンマースホイの「ピアノを弾くイーダ」の一枚だ。

静謐と言うことばに似合う白を持つ画家だ。うす曇の陽射しのような灰色の光と、それを受ける白い壁、白いドア。つやのある石か曇りガラスを敷いたような、ぼんやりとした光沢のある床はテーブルの脚の影をほのかにふちどりながらそれを支えている。曇り空のような室内の手前、鉄色の皿を載せた丸い木のテーブルからもう数歩歩いた先の開かれた白いドアの奥で、淡い紺色の服の女がオリーブ色の木でできた何かに向かい合っている。紺色の服の襟からのびる首の白を際立たせて茶色の髪がくたびれたようにわずかにはねている。語りかけられているのか、語ろうとして途中で止まる会話のような、ひたすらに静かな空間なのだけれども、見る心はなぜか複雑な綾を感じ取り、落ち着かなくなる。冷たそうにみえるけれども、触れた指先の皮膚に包まれた肉だけがじわりとあたたまるような、距離の難しい絵だ。

この絵は通路の突き当たりにかけられている。
いろいろと派手でかつ柔らかく、当時の斬新さを集めきった、筆先に技巧と力ののった絵画のなかを精一杯すり抜けた、最後の部屋にいたる通路の脇にかけられている。次の部屋に向かう人はまず間違いなく目にしているはずなのだけれど、四角い部屋を丸くはくような足取りで次の部屋へとするする進んでしまう。隣の壁に飾られた絵たちからかけ離れた白の佇みはめだたない。次の絵、という惰性で見られることはいやみたいだ。そのくせ、廊下の途中のような長い壁に飾られるとどうしてよいかまごついてしまう。部屋の中であって、横に広がる風景をもたないからか、脇を固める絵なしに突き当たりにいるほうが似合っているような気もする。

まっすぐに絵に向かう。十歩ほど近づくと絵の両脇から差し込む光が、部屋の広さを感じさせてくれる。一歩ごとに部屋へ近づく。大部屋のように開け放たれたふすまのはしから床の間を覗くように扉の敷居をまたいでゆく。テーブルの部屋に入るのは、絵から3歩。画家の妻イーダがいる部屋を画家といっしょに望む。画家でも入れない奥の部屋で、イーダはピアノを弾いている。中心から左上にずれたうなじがそこだけ霜のように白い。ドアも壁も、天井も白いのだが光は吸い込まれたようにうなじだけを白く染めているのだ。

隣に、イーダの兄イルステズの描く彼女の肖像がある。わずかに八の字に下がった眉の下の目はくるっとしているし、上向き加減の鼻はそばかすが似合い、いつまでも少女のような笑顔が似合う女性だと思う。だが口元は笑顔を押さえるように閉じられている。それでも塗りこめられた肌の底にあたたかな笑顔の色が見え隠れする。兄の筆だからかも知れない。その温度が、ハンマースホイの描くうなじには限りなく少ない。むしろ部屋そのものに薄められて、広がっているのだ。イーダの生活する部屋の空間や空気と言ったものに画家の味わう気配が閉じ込められている。
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