えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・健康診断M

2021年06月12日 | コラム
 チョココロネと体重の因果関係を考えている間に健康診断の案内が来たので、説明書の通りに検体を揃えて病院に出かける。幸い妙な結果が出ることはないものの、毎年何がしかの不安を煽る言葉を看護師の皆様方から頂くが概ね健康だ。精密さを期すために「測り直しますね」と三連続で腹囲を計測しては訝しげに首をかしげられた時は流石に多少苦い思いを背負って病院を後にしたものの、それ以外は医者や看護師の方々から話を伺う貴重な機会なのでせいぜい利用させてもらっている。話だけではなく健康診断では(可能な限りお世話にならないほうが良いものの)普段目にすることのない機材に触れさせられるのがほんのりと楽しくもある。
 数年前は初老の医師が四苦八苦してスクリーンを叩いていた機械が時代を逆行したかのような簡便なボタン操作の機械に変わっていたり、検査の種類ごとに異なる機械のメーカーが案外統一されていたりと機械を眺めると病院の体制も朧げに見えなくもない。ある検査のために体をスキャンする機能を備えた機械がCANON製だとわかると、自分の体がこれからデジタル化されて保管される書籍や立体物などの気分になる。確かCANONではなかったが国会図書館に導入されている専門のスキャンの機械のほうが、紙を傷めない点に徹底して絶妙に力加減を変えていた一方で、現在スキャンされている自分の体がそこそこ痛い思いをしている。姿勢をずらすとドア向こうの部屋から検査技師の方の優しい叱咤が飛ばされるのでおとなしく言うことをなるべく忠実に実現する。ぎりぎり機械で締め上げられるのであまり余裕はないが、昔の拷問も痛みもほんの一旦垣間見える点で貴重な機会なのかもしれない。
 心電図の検査で手足を洗濯ばさみのような大きなクリップで挟まれ、ぼんやり天井を見上げる時間も年々短くなる。機械のほうは進歩しているが、検査される人間のほうは経年劣化してそのうちこの病院に来ることもなくなるだろう。来る理由が少ないのは良いことなのかもしれないが、新しい検査の機械を見られないことは少々残念かもしれないと思いつつ再検査の案内の可能性をにこやかに示唆されて帰宅した。
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