えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・単位を買う

2023年01月28日 | コラム
 時々縁日に出かける。古銭専門店の店先で無造作にラックに積まれながら、真ん中に円形の穴を開けた内側にビニールを張った厚紙に挟まれた古いコインをざっくりと眺めている。厚紙には値段と年代の他にそのコインが使われていた国と、単位が書かれている。お金の単位は気がつくと記憶から遠ざかり、特にEUがユーロで均してしまった国々の中に意外な単位が紛れ込んでいる。文学や文芸でそれらしく使おうと思っても重箱の隅の汚れのように徐々に違和感をもたらす単位たちが箱の中に埋まっている。たとえばフランスなどのフラン、イタリアのセンテシミ、ギリシアのドラクマといった、中には古典の時代から生きていた単位たちが売られている。今日はどの単位を集めようか、と考えながら、一枚ずつ貯金のようにコインが溜まっていく。あまり貴重なものは集めず千円に満たない程度のものを集めていても、それなりの数になってしまった今、誰に話すともなくコインに印字された単位の孤独をただ味わっている。
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・安定して主役になれない(宮城谷昌光『三國志』七巻くらい~十二巻)

2023年01月21日 | コラム
『レッドクリフ』が公開された当時の書店の本棚を振り返るとたまに美化が激しい曹操の再評価の作品に混じって多く見かけた本が、孫権を主人公とした作品だったりビジネス書だったりした記憶がある。一応三国鼎立や三国時代という言葉の通り、曹家の魏と劉備の蜀と共に中国の香港辺りを支配していた鼎の足が孫権の呉で、それぞれ全員「皇帝」を名乗っていたので「三国時代」と呼ばれるわけだが、皇帝は追号されたもののその下地を作った時代の英雄曹操と、彼に徹底して反発することで自分を生きていった劉備の二人と孫権は年齢的にも二十歳ほど世代が違うことも相まってか影は薄めだ。むしろ三国時代になってからが孫権の活躍の本番であるはずなのにそれは書かれない。理由は彼の人生をきちんと追えば追うほど「うわあ」と声が出そうなほど彼がめんどうくさい人間であるためだ。

 宮城谷昌光の『三國志』にも当然時代の重鎮の一角として孫権は登場するが、面白いことに(面白がってはいけないかもしれないが)登場するたび何かしらちくりと棘のある文章が挟まれる。たとえば文庫版七巻で曹操に対抗するため呉との関係を結びに来た劉備に
「もったいぶったところのある孫権の内側の非情さ」「あえていえば欺瞞」
 と代弁させている。また孫権といえばその酒乱が有名だがこれも隙あらば
「孫権にはしつこさがある。酒を呑むと、それが顕著になる。」
 などと何事もなかったかのように併記される。「歴史に爽涼の風を吹かせた」と書かせた曹操の風格に及ぶところは正直ない。とどめとばかりに「相手は酒好きではあるがそれに耽溺しているわけではない満寵」などといった関節技のような言葉の極め方で彼は定義されていく。悪党でもなく善人でもなく、尖ったところのない奇妙な人格の塊として。ついでに呉を滅ぼした実原因の孫晧の性格についても「孫権の影響」と言われる程度に最後の最後まで何かちくっと言われ続けている。宮城谷昌光にここまで言わせる人間性は一周してあっぱれだろう。

 とにかく性格が悪い。ひねくれている。策を好むが程度は悪巧みで、董卓や李傕のような徹底した悪事から生まれる面白みもなければ英雄としての勇ましさもなく、また執政はまともな重臣の言うことを聞く耳がある時期に限定されてましなもので、それを聴けなくなってからの老年時代は陰険さが表面化してその結果、後の滅びの原因はどうあがいても彼にあることを理解せざるを得ない。知れば知るほど嫌味とえぐ味が増してゆくが何分中途半端で悪人として書くことすら至難かも知れない。宮城谷昌光は幾つか読んだが、ここまでちまちまと手間暇かけて痛罵されているのは孫権くらいだろう。曹操と劉備の存在の大きさを差っ引いても本人のどうしようもない性格は変わりようがない。これも中途半端に歴史書へ悪事が記載されてしまっただけに劉備のような創作の余地を入れようがないのも転じて面白い。

 本人が出撃して指揮を取った戦争では尽く負け、老いて思考が頑なになってからは自分に都合の良い人間の言うことしか聞かずにまともな人間を「いじめ殺す」といった表現で追い詰め、その最期の病床では陰謀の果ての殺人事件が起きてしまったりと総じてろくなことがない。それもまた人間だろうと語るための材料としてはちょっと手を止めざるを得ない中途半端さはどうあがいても魅力には変え難い。もしかしたら当時の呉という風土にまともな感性を持った人間(周瑜・呂蒙・魯粛・孫登その他大勢)はいられない呪いでもかかっていたのかもしれない。そう思わざるを得ないほど長生きの孫権は孤立して国を壊す。その姿には哀愁よりも老いて自分を見失う恐怖だけが映る。
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:【読書感】『三國志』宮城谷昌光 文春文庫 全十二巻

2023年01月14日 | コラム
 物語は「四知」から始まる。「四知」とは、どんな物事でも天の神・地の神・自分、そして子(なんじ)の四つが知っている、というものの見方だ。楊震という当時の政界の中核にあった人が贈賄に訪れた人へそう返したところから飛んで百五十年後、「四知」に司馬昭が思いを馳せて物語は終わる。その間約百五十年、連載期間は実に十二年、宮城谷昌光のある到達点として『三國志』は完成を見た。

 長年宮城谷昌光は春秋戦国時代の特定の個人、たとえば管仲や晏嬰、子産を取り上げて彼ら一人ひとりを綿密に書いていった。それに対して『三國志』の主人公は時代そのものである。これまでの作品の原点であった史書の形式に対して個々人の短い伝記のみを記した歴史書『三國志』とは対照的に、宮城谷昌光の『三國志』は後漢末から三國時代へ移り変わる時代の姿そのものを活写するのだ。登場する場面の数だけを取れば曹操が最も多いが、それは霊帝が崩御した一八九年以後から曹丕への禅譲により後漢王朝が滅びる二二一年までの短く濃厚な時間の中心にいた人間が彼であったためである。

 二〇〇一年はまだまだ小説『三國志演義』に依った印象が根深く、劉備と彼の蜀王朝の陣営は善であり曹操は悪であるという見方が一般的だった。それだけに宮城谷昌光の史書や史料を積み上げた考察に基づいた人物像は挑戦的なものであったろうと文庫版十二冊を通読して思う。曹操の人情深く「こくのある」人間らしい心豊かな振る舞いには演義や講談や劇で語られる冷酷で狡猾なやられ役の影はなく、むしろ劉備のほうがその感情が捉えづらく掴みどころの無い不気味さを時に気味が悪くなるほど強調されている。だがどちらの姿も三國志関連の歴史的な発見や新しい見方の書物が増えた現在では納得して受け入れられるものだと思う。特に劉備の、身を寄せた先々の勢力で受けた恩を悉く仇にして各地を逃げ回り、妻子や忠実な配下の関羽すら棄てるという生き方が劉邦をなぞっているという指摘は、どうしても関羽や張飛や諸葛亮に焦点をわざと移されがちな彼の姿の理解を深めるのに的確だった。何もかも棄てて遁走することにためらいのない彼が、諸葛亮の進言により荊州と益州を得て初めて人と土地に縛られた後の変化が見事だった。

『三國志外伝』の末尾の年表を見ると毎年のように戦争ばかりが起きており、だからこそスポットライトを浴びる人を変えることで歴史を表しやすい時代だったのかもしれない。けれども根本を流れるのは人間が死を迎えるまでの生き様への問いかけであり、十二冊の中でもがく人々の運命に奪われるような生や自らも全うしたと満足するような生が小説という創作活動を通して互いに交わることで、大きな物語を歴史に生んでいく。今現在も『諸葛亮』が連載中なのは、歴史の流れからこぼれ落とさざるを得なかった物語を書き直すための作業なのかもしれない。
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・天は高く人の手は

2023年01月01日 | コラム
 昨年に続いて鈴緖は拝殿の左右の柱に結び付けられ、柏手だけが夜空に響く。昨年の納め札を焼く炎は消えて蛇のように人は列を成し、氏子の半纏は開いた本殿の中にあった。縦長のストーブが置かれて長い間神主と共に昨年の礼と新年の祝を捧げているらしい。列のおしゃべりの間を縫って女性の神主の低い祝詞が途切れ途切れに聞こえた。家族全員でこの列に最後に並んだのはいつのことだったろうかと思い返して、家族とは何かを考える。今一緒に暮らしている人間だけが家族だろうか。子供は親から離れて家族を作る。親の下にはいない家族を子供は作る。新しい家族ができる。それは古い家族の中から離れた違う家族だ。その二つの家族は分離したものではない。子供が伴侶を得て自分の子供を得て親になるという当たり前の円環のもと、役割が変わっただけともいえるが、遠くに住むことが当たり前になった現在はまるで家族から消えてしまったようにも思えなくはない。そんなことを考えながら列を進む。後ろから急かされるように新年の祈りを捧げる。人間である限り体も社会も生活も全てが新陳代謝する。一年がまた訪れた。去らせるのは簡単だ。とどまり自分でいることが難しい。穏やかな寒さのせいか空は寝ぼけ眼をこするように星の光が優しく、このところ緩くなった涙腺が空を見上げているとさらに緩むような心地がした。

 本年は比較的穏やかな寒さから始まりました。昔の暦で言えば春までもう少しです。ですが今の気候においては冬の本番はここから始まります。早速コンビニに恵方巻きの並び出す気忙しい毎日はカレンダーに支配されるのか、それとも人間が己で支配するのか。そうしたことを考えていると己の今いる季節が夏なのか秋の始まりなのか、わからなくなります。わからないのかわかりたくないのか、ここにも人の性に対する問いかけがありますが、まずは今年一年の始まりのご挨拶を差し上げたいと存じます。今年一年、どうぞよろしくお願い申し上げます。
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