えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

:約束の日の後

2024年09月28日 | コラム
 イヤリングを買う約束をして一週間の間に二本報を聞いた。動けなくなっていた。今も雨の重みと体調の都合もあって身体の動きは鈍重であり眠りたくて仕方が無い。眠りの中へ逃げ込みたいというよりはしがみつくように眠りを欲している。眠りに飢えている。それで一日文字通り寝込んでいた日があった。その次の日が約束の日で、あの店員の夏晴れのような笑顔に向き合わなければならなかった。事情を話す気にはなれなかった。外へ出なければ延々とまずいままだと悟り、私は出かけた。眠りの中を泳いでいるかのように現実は希薄だった。店員はいつもどおりの笑顔で、アクセサリーが売れるということもあってより嬉しそうに笑顔を輝かせながら私を迎えた。私も昨日そんな報を聞いたことも忘れて彼女のリードするままにお喋りを楽しんだ。楽しんだと思うが何を喋ったかは記憶から抜けている。疲れたという感覚は薄かった。母からは「そのチェーン、Tシャツには重すぎるね」とぼそりと言われたが、つけていくことを引き留めて外すまで出さないという過去の意地からは解放されていたのでふらりと出て行くことができたチェーンにイヤリングを合わせるとしっくり顔に収まった気がした。
 イヤリングを買って外に出る。晴れていた。会社の規則の休みは連休で潰れ明日からは何事もなかったかのように働かなければならない。誰でもそうだ。弟の会社はそうではないらしいが、私は有給休暇を使わなければならなくなった。また茫洋とした空気に取り囲まれて歩く。電車に乗る。最寄りの少し手前で下りてデパートに寄った。買わなければならないものがあった。
 インターネットで検索し、電話でも取り扱いを確認した店は黒一色の服を向かって右手に、華やかなパーティードレスを左手に置いていた。私は店に入ると小柄な店員へ自分のサイズに見合った黒い服を選ぶように頼み、試着に時間をかけて一時間ほど後に服を手にして店を出た。イヤリングの入った手提げが何故か余計に重かった。
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・異なもの縁なもの

2024年09月14日 | コラム
 足が遠ざかっていた店へ久しぶりに行く時に限って欲しいものがある。昔はついていると思っていたがこの頃は物に呼ばれているのではないかと思うようになった。
 用事の帰りに本屋へ立ち寄り、ついでに近くのアクセサリーショップへ足を運んだ。店の前を通り過ぎる度に気にかけながら思い切ってディスプレイの一番良い場所に飾られているアクセサリーの購入を切っ掛けに、嫌な予感は薄々覚えていたが案の定物と、何より懇切丁寧かつ情熱的にアクセサリーとファッションを語る店員に絡め取られるように惹かれて気がつくと「最近あの店に行っていないな」と思う程度には予定の一部として頭の隅に残る場所になってしまっていた。今日も今日とて本屋の帰り、好きな作家がわずかに寄稿していた高額なムック本を片手にぶら下げてアクセサリーショップを覗きに行った。左手には店で買ったバングルが、透明なスワロフスキーの粒に日光を受け止めて白色に光っている。
 店に入ると良く話す店員はカウンターの奥でおそらくパソコンだろうか視線を下に向け、わずかに眉間へ皺を寄せて何か作業に没頭していた。黒を基調とした服装の店員の多いこの店には珍しく灰色のジャケットとスカートの若い店員が他の客を相手をしている。声をかけるのも憚られたので私はショーケースに並べられたアクセサリーを端から眺めることにした。この店では輸入品を扱っており、定番として作られ続けている型も多いが、その年その時期だけ姿を現しては在庫がなくなると消える新作も多い。歴史の長いブランドなので復刻アクセサリーも数多い。値段は高騰した。特に原材料の貴金属の高騰が響いているとのことで、最近の新作は可能な限り貴金属の消費を抑えつつ豪奢な輝きを維持できるよう、唐草模様を組み合わせたようなすかし細工が目立っていた。ぼんやり円や鎖の連なりを眺めているともう一人の客が帰り若い店員がそれを見送っていた。彼女は客を見送ると私に笑顔を投げかけ、カウンターの奥へと滑り込む。いつもの店員がひまわりのような笑顔で現われた。
「お待たせしちゃってすみません」「いえお仕事のお邪魔をするわけにもいかないですし」「そんなことないですよ、どんどん声かけてください」「ありがとうございます」
 繊細な線を雫が連なる形に整形したイヤリングの似合う若い店員が笑顔で会釈して離れていった。
「今日はもう、いい新作を見せたくて見せたくて」「どんなものでしょうか」「絶対似合うと思って、早くいらっしゃらないかなあと思っていたんですよ」「確かにこれは素敵ですね」「でしょう、久しぶりに紹介したい新作が出たんですよ。最近はガーリーなデザインが増えた中では珍しくて」「言われてみればこのところは女の子らしいデザインが増えましたね。それにこの間来たときも確かに新作は紹介されませんでした」「そうなんですよ。私はお客様に似合うものしか紹介したくないんです。これは絶対お似合いになると思っていました」
 あえて艶を消した加工のおかげで金箔を貼ったチョコレートのような質感の、人差し指の第二関節ほどの大きさのイヤリングは店員の言うとおり私の肌合いや耳たぶの間隔を知っていたかのようにしっくりと嵌まった。
 それから2時間近くお喋りを楽しみながら購入を迷う流れは、多くの店で経験しながらいつまでも変わらない私の物欲のままに滔々と私の判断を狂わせていった。私に似合うという自分の眼識を確かめたい店員の率直な願いに引きずられたのかもしれない、と、黒のワンピースに首から提げたプラチナの鎖型の首飾りを着こなす店員の輝く明るさが眩しかった。
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