えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

<遊び心のプログラム>私が無双をやめたわけ

2014年05月24日 | コラム
 新しくなることが加速する機械に追いつくことが出来ないわけでもない。中古屋に行けばどんなハードウェアもソフトウェアもたやすく手に入る。それでも、シリーズ最新作の購入を止めることをすっぱり決めたのは喫茶店での一幕だった。

 その時、買ったばかりのPSVitaとローンチソフトの真・三國無双シリーズを貸してくれた友人の前で、思わず苛立った声を上げてしまった。新しく搭載された背面タッチパネル(この機能を有効に遊びのシステムへ組み込んだゲームを教えてほしい)の操作でも、突然挿入されて強制的にタッチパネルへの操作へ移るミニゲームでもなく、たった20分ほど遊んだだけで溜まった「1000人撃破!」のスコアが決定的なきっかけだった。

 本シリーズは、三国志演義で書かれた一騎当千の猛将の活躍をコンセプトに開発されたアクションゲームである。操作はボタンを特定の順番で押せば決まった技が出るため、初心者でも簡単に武将を操れる。難易度が上昇するほど撃破したい武将を他の部隊から引き離したり、あるいは相手の攻撃ミスを見計らって攻撃するなど技術や駆け引きがプレイヤー側にも要求される。ステージごとに定められた条件を満たすことでクリアとなり、全てのステージに共通していることは特定のボスのような敵を倒すだけでもクリアは可能である。本来の物語や歴史では負け戦でも、プレイヤーの活躍一つで覆せることが「一騎当千」の醍醐味であり、1000人敵を倒すことはおまけの要素、と、思っていた(機械の性能に依拠されるために、そもそも1000人敵が登場するステージが限られている事情もあったが)。

 しかし目の前の最新機器では、まだ序盤だというのにも関わらず、まだボスまでの道半ばにも関わらず、いつの間にか1000人以上の敵が湧いて出、いつの間にか1000人を撃破することができている。駆け引きもへったくれもない。機械とソフトウェアの技術はすさまじい。だが、「一騎当千」が、誰でもボタンを押すだけで1000の屍を築くことに変わったことは、果たしてゲーム性の向上なのだろうか。どれでもボタンを押せば人がダマになって飛んでゆく。明らかに見えている人以外にも巻き添えを食った人がいるらしく、何かすれば20人くらいスコアが増える。物語の大切なイベントではプレイヤーの活躍をNPCが奪ってゆき、プレイヤーは「ただ1000人斬っただけ」の人に過ぎなくなる。
1000人斬りたい訳ではない。歴史では別の誰かが取った手柄を自分のものとして、英雄の真似事を味わいたいだけなのだ。それが出来ない。一騎当千は文字通り1000人斬れる人ではなく比喩だ。1000人分の活躍の出来る英雄なのだ。それが出来ないただ一点で、このシリーズを遊ぶ気持ちは20分できれいに失せてしまった。

 その後、友人が続きを遊んだかは定かではないが、少なくともクリアしたという報告は届いていない。
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<遊び心のプログラム>番外編:クレーンと勘

2014年05月11日 | コラム
「勘ですかね」

 右の胸ポケットの上に青い縫い取りで店の名前を書いた黒い上着の店員は、口をへの字に曲げて唸り眉を八の字にひそめて苦笑い混じりに言った。はあ、そうですかと、遠慮して引き下がったもののどうにも妙な気分だった。
「UFOキャッチャー」と呼ばれる巨大な箱をした機械は、硬貨を入れて二本の腕を左右に持つクレーンを箱の外のボタンで操作して中に設置されている景品を取り出し口まで運ぶゲームに使われる機械だ。そのゲームのコツをある日訪ねた答えが「勘」である。

 この機械は「キャッチャー」と呼ばれながら、客と店とのいたちごっこが続いた結果現在は素直に「キャッチ」なぞできず、さながら箸しか持てない箱入り娘のような非力となっている。一応きちんと持ち上げることも出来なくはないのだが、店側のさじ加減によってその力は相応に制限されているのが現状だ。ひどい時は景品を取りづらくかつクレーンの力を弱め、取り出し口に鼠返しを設置するなど客に金をつぎ込ませる機械と成り果てることもある。最新のゲーム機など子供にとって魅力的な景品を店頭に置きながらその景品の当たる番号を入れていないくじ引きのようだ。

 金を払って景品を得るゲームは基本的に景品を提供する胴元が儲かる仕組みにできているとはいえ、露骨なそれは客にとっての遊びの範疇を超える。遊びを超えれば客は醒め、クレーンゲームの箱へ硬貨を入れる無意味を感じ取り去ってしまう。いかに客を遊びの範囲で楽しませつつ、元手を回収するシステムの作成が店には求められる一方、客は店を出しぬくために店側の意図を見抜きつつ効率的に景品を取る駆け引きは暗黙の前提として組み込まれる。とかく遊びと商売の瀬戸際に立たされる調整は店側の不確かな良心に委ねられているのだ。

 その上、機械ごとに設定された条件を見抜くまでにはとにかくまず硬貨を投入し、様子を観なければならない。それでも慣れたプレイヤーであれば早々にゲームのルール―どのように景品を取り出し口へ運ぶか、そのためにはどこにクレーンを動かし、どこを狙えば良いか―を考えて読み取ることも出来る。が、いくら遊んでも分からない私のようなプレイヤーは店員に尋ねてルールを聞き出すことを選ぶ。ただ、何度も訊くのはどうにも気恥ずかしいので「落とすコツは何か」とひどく大雑把な問いを投げて帰ってきた答えが先述の「勘」であった。
もはや狙う云々を飛び越してスポーツのような体感に近いものがある。

「勘ですか」「そうですね、何回もやっていると、勘で」

 ボタンを押して手放すタイミング、クレーンの移動先、景品のどこに力を加えれば動くかを見抜く方法を雑駁にひとまとめにした答えは「勘」に集約されるのかもしれない。そう思うことで軽くなった財布を手にとぼとぼ帰路に着く足も多少は軽くなれば良いのだが。
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