恩師が亡くなってふた月を経て同窓生と集まった。年齢こそ皆近いが年次は微妙に異なり、冷静に数えると私が一番上だった。先日の氷雨に打たれてひいた風邪が治りきらないと幹事に伝えると、日付が変わる直前に「レンタル会議室を押さえました」と手早い仕事が返ってきた。ありがたかった。皆姿は若々しく変わらない。変わったのは私くらいだ。それでも、変わらないと思っている彼等の隣へ若いときの写真を並べると、姿形以上に重ねた年月と経験が被さっていることが分かる。その雰囲気だけは成長していないだろう私は変わらないと思う。もっと卑屈になっているか、もっと鬱々としているか、いずれにしても私は私の重要な部分を変える努力を怠っているのだろうと皆と並びながら常に引け目に思い続けている。
恩師といえども私の場合は遠目から眺めて思い入れを強めていた程度で、皆のように先生へ直談判したり、食事に誘って頂いたり、人生の行く先を心配されるほど近くで喋ったことはなかった。無かったと思いたいのかもしれない。友人たちの間に自分がいて良いものか、変わりすぎた自分の姿を誰も触れないし攻撃しない、かといって気にしてはいるがそれを隠しているといったこともなく、自分だけが疑い深くて厭になる。独りだけ来なかった。彼は手紙だけを渡していた。訃報直後に書かれたその文章は意図的に句点をなくした詩のように激したリズムが流れていた。悲しさや悔しさや動揺、狼狽、表情は見せたくないが感情を共有したいといういいとこ取りのずるい彼らしいやり方だった。
今日私はさよならをした。側で流れている言葉たちがさよならを告げていた。
恩師といえども私の場合は遠目から眺めて思い入れを強めていた程度で、皆のように先生へ直談判したり、食事に誘って頂いたり、人生の行く先を心配されるほど近くで喋ったことはなかった。無かったと思いたいのかもしれない。友人たちの間に自分がいて良いものか、変わりすぎた自分の姿を誰も触れないし攻撃しない、かといって気にしてはいるがそれを隠しているといったこともなく、自分だけが疑い深くて厭になる。独りだけ来なかった。彼は手紙だけを渡していた。訃報直後に書かれたその文章は意図的に句点をなくした詩のように激したリズムが流れていた。悲しさや悔しさや動揺、狼狽、表情は見せたくないが感情を共有したいといういいとこ取りのずるい彼らしいやり方だった。
今日私はさよならをした。側で流れている言葉たちがさよならを告げていた。