えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・うろ覚えの見物より

2018年06月23日 | コラム
 初戦を制した2018年ワールドカップに一抹の「出オチ」の気配が無きにしもあらずの束の間に、次の試合が近づいている。シュートを放ったコロンビアの選手の、右足の爪先が優美に曲がっていた場面を、彼の履いていたサッカーシューズの靴底の鮮やかなオレンジ色とともに覚えている。それから実況がしきりに守りを固めろといったことを言っていた気がする。メンバーを早々にレッドカードで失いながらも、コロンビアのチームは虎視眈々ときっかけをつかみ、日本チームのチャンスを防ぎつつ一撃を刺すように入れたのは見事だと思った。後半の駆け引きは見逃してしまったが、結果、日本チームは番狂わせに成功したとニュースで知った。ただ、同じ番狂わせとはいえ、その前の方がにわか見物には面白く観られた。アルゼンチンチームとアイスランドチームの引き分け試合だ。

 お茶を蒸らすついでにチャンネルを回していたら、国名の下のスコアが「1-1」と並んでいたのに興味を覚えてそのままテレビの前に座り込む。黒いユニフォームのアルゼンチンの選手が、その場にとどまり足さばきで8文字型にボールを回し、懸命にボールを取ろうと前に立つアイスランドの選手をまんまと巻いてゴール際の味方へパスを放ち、目くらましのようにボールを繋げながらゴールを狙うも、文字通りの死守に阻まれてあと一歩が刺さらない。しかしアイスランドチームは攻撃の機会を巧みに奪われ、ハーフラインを超えるので手一杯という風情。ボールを奪っても追跡され、シュートまでの距離が届かないという具合だった。

 ボールを取られてもアルゼンチンのチームはやすやすと取り返し、決定打を打てる位置の選手へボールを渡す。そこに追いすがり、食いすがって、近づかれたゴールをアイスランドの選手たちは一団となってふさごうとしていた。それでも矢のように人の合間を縫ってゴールには何発もボールが放たれた。しかし入らない。けれど入れられない。ワールドカップ初出場のチームは死に物狂いで差を縮められることを防いだ。華のない無骨な愚直さがかえって、そこで起きている出来事の印象を深く刻むように思いながらTVを消した。

 消す寸前、日本人の実況者の「ドロー!ドローです!!」という叫びが聞こえた。
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:『聖ロザリンド』わたなべまさこ 初出1957年 2017年加筆・再販版 宝島社

2018年06月17日 | コラム
・仕掛けて仕損じなし

 漫画棚のてっぺんに『聖ロザリンド』を置いていたコンビニの前に教会があったのは、たまたまのことにしても高度な皮肉と業の深さを思った。
 『聖(セイント)ロザリンド』は単行本、文庫本、本書と細く長く手に取られ続けているわたなべまさこの少女漫画だ。2017年次で八十七歳を迎えたわたなべまさこは、本版の出版に当たり前日譚の10ページを描き下ろすファイトを見せ、カラーページには連載当時の原画を数枚載せるサービスも完備された完全版だ。薄紫色のバラを背景に、くまのぬいぐるみを後ろ手に抱きしめた金髪碧眼のキラキラした女の子の愛らしさに比して濃い中身だ。丸っこいタイトルフォントも可愛らしさを強調している。だが肝心の漫画のテーマは「殺人」だ。厳密には違うかもしれない。
「善悪もまだ理解できないであろう幼な子が、何気なく犯してしまう最悪な罪」と前書きで著者は書いている。少し違和感を覚えるかもしれない。次々に人の命をためらいなく奪う、八つのロザリンド・ハサウェイを、著者は400ページ近くを費やし描いたことだけが、誰の目にも確実にわかることだ。

 話を大別すると、ロザリンドの転地療養のために訪れたギリシアの別荘を舞台にした一部、イギリスに帰国して入れられた修道院から自宅のロンドンへ帰宅する二部に分かれる。冒頭、父方のおばの葬式で形見に渡された金の時計を抱えたロザリンドの、小首をかしげた笑顔はふわりとした髪に包まれ、微かに開く唇はつつきたくなるほどぷっくりと愛らしい。その隣のページではざくろのように脳天の割れたおば様の死にっぷりが描かれている。ロザリンドが罠を仕掛けておばさまを葬った事を知ってから読み返すと素直にこの見開きは怖い。
一部ではロザリンドが殺人を決める過程と理由、心象に重きが置かれており、そこにはロザリンドの確固たる殺人のルールがあると繰り返し訴えられている。そして彼女はルールに則り殺人を手段として使いこなす。その意思が最後の最後までほぼブレないからこそ、ロザリンドの殺人と無垢で優しい性格が矛盾せずに共存できている。

「欲しいと思ったものを手に入れる」「嘘を吐く人はバツを受けなければならない」金科玉条にロザリンドは忠実に従う。特に後者は最愛の母親から受けた戒めとして、自らも嘘はつかず、殺人を犯したかと問われればロザリンドは素直に全てを話す。しかし八つの、愛らしい少女の外見から伝えられる事実は誰も信じない。「ロザリンドのルール」を序盤は徹底的に描き、二部はロザリンドが元の住まいのロンドンへ帰宅する手段として殺人を犯す様がオムニバス式に描かれる。たとえばヒッチハイクの道中に、彼女の面倒を見て服やら何やら買い与えた有閑マダムを、ロザリンドは藤枝梅安の使いそうな罠でさっくり殺害する。理由は一つ、マダムの小物入れが欲しかったからだ。ただし物を欲しがる時はわがままを使わず、相手の生前に「死んだらロザリンドに渡す」といった約束を取り交わしてからでなければ殺さない。マダムはロザリンドが「欲しい」と言ったとき、冗談めかして遺言書にそれを譲ると書いてしまったために殺されたともいえる。もしかしたら「欲しい」と言われたときにすぐあげてしまえば助かったかもしれない。後の祭りだが。

 ちなみに彼女と関わったせいで亡くなった人数は第一部で10名、第二部で27名、直接手に掛けたのは合計34名と壮観だ。ロザリンドの恐ろしいところは、ナイフや銃といった使いやすい凶器を使わず、その場の環境に合わせた最効率の手段を即座に判断して使うことだ。個人的には二部の足が不自由で毎日「死にたい」と愚痴を言うおばあさんの言葉を親身に受け取り殺害を企てる話が素晴らしく怖かった。最初は枕で窒息させようとするも失敗し、「殺される」と家族に訴えるも普段の言動で信じてもらえず、一人きりにされて怯えるおばあさんの部屋の、釘づけされたドアの釘が一本ずつ外から抜かれてゆくコマは、ドアの向こうで見えないロザリンドの姿に緊張感を掻き立てられる。

 それが悪いことだとは全く思わず、しかしそれが目的に変わることもなく、ロザリンドは最後まで母親を求めて帰宅するために殺人を使う。凝った手段や美学などへったくれもなく、爽快なほど人の命を奪う。ロザリンドの起こした事件が元で自ら命を絶った母の死を、知らないがゆえに帰宅を邪魔するすべてを排除する一面は「サイコ」に見えるかもしれない。しかし普通の善行の延長と、小さな子どもらしいわがままを満たすためのロザリンドの殺人は少し違うように思える。ロザリンドは殺人という行為、言葉の意味を分かっていない。それだからこそ余計に、彼女が魅力的に見えてしまう瞬間がある。
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・お味はいかがなものでしょう

2018年06月09日 | コラム
 ここ数年にわたって「うな重」を食べていない。

 不漁だの保護だの海外人気だ資源の取り合いだとそろそろの今頃話題になるたびに「あ、食べに行こう」と頭をよぎる。忙しくもなく食べる元手がないわけでもないが、気づくと食べることを忘れたまま年越しを迎えている。積極的に無性に食べたいかと自問しても「今はいらない」ことが多いせいだろうか。気に入りの店へ食べに行きたいが敷居の中途半端な高さに並行して足は遠のいている。そこに行くまでに早起きも要ることも一考だ。近所のうなぎ屋は年々鰻の身が小さくなり、味が濃いばかりでいい加減「うなだれ重」になりそうだ。天然ものは仕方ないとしても、養殖は養殖で「稚魚を捕まえる」という、成長した鰻を捕える過程をちょっと省くための結果、天然ものが減るのは当たり前だろう。

 都内のうなぎ屋の老舗が立つ位置をざっくり眺めると、ビル街のど真ん中や「隠れ家」のようにわかりづらい位置ながら、かつて川が流れていた傍に店を構えている。その場で捕ったブツを料理する場所だったのだ。だからどうした、今年は食べにゆくのかどうか、は、土用に入る前に済ませておこうかと考えている。本当は冬のほうが美味しいそうだが、コクーン歌舞伎第一弾の『四谷怪談』の千穐楽で

『勘九郎(十八代目中村勘三郎)さんは鰻を食べているまっ最中だったが、テープを聴きながら、もう曲に合わせて立ち回りの動きをしている。
「うん!うんうん、橋ヤーン!橋ヤーン、ちょっと来て!」』(『串田戯場』より)

こんな鰻はとてもおいしそうに見えてしまう。

 それでもいい加減胃袋の問題で、白焼きや肝焼きで一杯を過ごす方が良いような気もするが、手元の『小林カツ代のお料理教室』(2015年 文春新書)のかば焼きを使う「鰻玉」「鰻茶」「うざく」の一品一品はかば焼き一串でどうにかなるらしい。これはそこそこ食べられそうだ。メニューの値段を記憶頼みで思い出すと、それぞれが平均1,500円くらい払いそうな品々なので、一串買ってそれなりに「うなぎを食べた」満足を得られるのならばよいように思える。

 ためしに近所のショッピングセンターに入っているうなぎ屋でかば焼き一串の値段を見た。1,500円だった。
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