ここしばらくはアガサ・クリスティーの小説を枕頭に置いていた。創元社文庫をたまさかに交え、大半はハヤカワ文庫版だ。地元の図書館が旧版を早々にリサイクル図書として放棄する関係で、手に取る本は2000年代の新訳版が多いものの、個人的には1970年代の訳が、ぎこちない箇所もふくめてしっくりと読める。古い版は表紙を星新一の挿画で有名な真鍋博が手がけており、丹念な細い描線と割り切った色の使い方が作品の気配をいやましている。創元社文庫の表紙もコミカルと不気味さが混在した雰囲気が良い。訳文は2000年代の方が私たちの使う言葉に近づいて読みやすいが、アガサの執筆と並行して翻訳された時代の方がより雰囲気を残していると思う。
『アクロイド殺し』『オリエント急行殺人事件』『牧師館の殺人』から始め、現在は『クィン氏の事件簿』をぱらぱらとめくるに至っている。道具を奇抜に使った仕掛けが少なく(時代背景もあるだろうが)、誰でもふいに起こしてしまいそうな些細な事象や会話が謎のとっかかりとしてよく使われており、事件の構成自体はシンプルだ。そのためか、丁寧に文を読み謎を解こうとする読者にも、私のようにプロットを楽しめればそれでよしとする雑な読者にも、謎を楽しめるように計算して作られていると思う。
ただ、お国柄というべきか時代柄というべきか、事件の核心に何かしら遺産が出てくる筋がきが多く食傷してしまった。「なぜ殺したのか」を謎の深みに落とさないためには、遺産という動機は単純で受け取りやすいのだが、それが続くとお腹いっぱいになる。良くも悪くもシンプルなのだ。
気に入りは月並みだが『そして誰もいなくなった』と、『謎のクィン氏』である。どちらも人物描写、それも群像としての描き方が特に卓越していると思う。誰かの背中にライトが当たり、また次の人物にライトを当てることを繰り返してなお登場人物ひとりひとりが生きて動くクリスティーの筆致が魅力的にうつる。人間のふるまいにものを言わせるための数言が生きている。そういえばどちらも遺産の関係がないのも、理由の一つだろうか。
『アクロイド殺し』『オリエント急行殺人事件』『牧師館の殺人』から始め、現在は『クィン氏の事件簿』をぱらぱらとめくるに至っている。道具を奇抜に使った仕掛けが少なく(時代背景もあるだろうが)、誰でもふいに起こしてしまいそうな些細な事象や会話が謎のとっかかりとしてよく使われており、事件の構成自体はシンプルだ。そのためか、丁寧に文を読み謎を解こうとする読者にも、私のようにプロットを楽しめればそれでよしとする雑な読者にも、謎を楽しめるように計算して作られていると思う。
ただ、お国柄というべきか時代柄というべきか、事件の核心に何かしら遺産が出てくる筋がきが多く食傷してしまった。「なぜ殺したのか」を謎の深みに落とさないためには、遺産という動機は単純で受け取りやすいのだが、それが続くとお腹いっぱいになる。良くも悪くもシンプルなのだ。
気に入りは月並みだが『そして誰もいなくなった』と、『謎のクィン氏』である。どちらも人物描写、それも群像としての描き方が特に卓越していると思う。誰かの背中にライトが当たり、また次の人物にライトを当てることを繰り返してなお登場人物ひとりひとりが生きて動くクリスティーの筆致が魅力的にうつる。人間のふるまいにものを言わせるための数言が生きている。そういえばどちらも遺産の関係がないのも、理由の一つだろうか。