コロナウィルス感染症と共に膾炙したリモートワークのおかげで私の勤め先では部署にも左右されますが、毎日出社しなければならない方は殆どいなくなりました。
未だに電子対応していない押印や印紙などの事務処理に対応するため、定期的に出社する方はいらっしゃいますが、少なくとも私は月に一度、多くて月に二・三度出社するといった手合いです。かつては毎日見ていた風景が出社ごとに大きく変化するおかげで、浦島太郎のように時代から置き去りにされた気分を覚えることもしばしばあります。昨年からは制限が緩和されたことも相まって朝の電車の混雑もパンデミック以前並みに戻りつつありますが、一つ変わったことは男女共に気持ちリュックサック型の鞄が増えていることでした。
たまに遊びに行く鞄屋さんに聞いたところリュックサックを子供を抱くように前掛けにしてそのまま歩く人も少なくはないそうですが、A4サイズ程度のパソコンならば軽く入りそうなほどの荷物を運ぶ人も少なくはありません。かく言う私も大きめの鞄にパソコンを詰めて出社しておりますので人の事は申せませんが、鞄が大きくなった分、増えたとはいえその大きな鞄が煙たがられない程度に人混みの空間は広くなっているのだと実感する限りでした。
もしかしたらかつての混み具合では、私の持ちあるく鞄にも舌打ちや苦い目線が飛んだかもしれませんが、そう考えると改めてパンデミックの余波というものを目の当たりにする次第でしょうか。
既に余波から脱却しつつあるものの、それは脱却ではなく変化であり、受け入れたり受け入れられなかったりする選択の類を求めるものなのかもしれません。
いずれにしても毎月一回は大きな鞄にかつての会社用の道具を詰め込み、新しいパソコンを詰め込んで学生のように出社する月日は流れるばかりです。
未だに電子対応していない押印や印紙などの事務処理に対応するため、定期的に出社する方はいらっしゃいますが、少なくとも私は月に一度、多くて月に二・三度出社するといった手合いです。かつては毎日見ていた風景が出社ごとに大きく変化するおかげで、浦島太郎のように時代から置き去りにされた気分を覚えることもしばしばあります。昨年からは制限が緩和されたことも相まって朝の電車の混雑もパンデミック以前並みに戻りつつありますが、一つ変わったことは男女共に気持ちリュックサック型の鞄が増えていることでした。
たまに遊びに行く鞄屋さんに聞いたところリュックサックを子供を抱くように前掛けにしてそのまま歩く人も少なくはないそうですが、A4サイズ程度のパソコンならば軽く入りそうなほどの荷物を運ぶ人も少なくはありません。かく言う私も大きめの鞄にパソコンを詰めて出社しておりますので人の事は申せませんが、鞄が大きくなった分、増えたとはいえその大きな鞄が煙たがられない程度に人混みの空間は広くなっているのだと実感する限りでした。
もしかしたらかつての混み具合では、私の持ちあるく鞄にも舌打ちや苦い目線が飛んだかもしれませんが、そう考えると改めてパンデミックの余波というものを目の当たりにする次第でしょうか。
既に余波から脱却しつつあるものの、それは脱却ではなく変化であり、受け入れたり受け入れられなかったりする選択の類を求めるものなのかもしれません。
いずれにしても毎月一回は大きな鞄にかつての会社用の道具を詰め込み、新しいパソコンを詰め込んで学生のように出社する月日は流れるばかりです。