えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

床で読む

2020年07月25日 | コラム
 湿気は高いが気温は控えめな日は冷房を付けることが後ろめたい。手だけをのろのろと動かして何かをする、受動的にテレビやインターネットを彷徨うには十分に心地よいが、頭の中へ文字を流してゆく読書だけは蒸し暑さが耳から侵入して脳の隙間を埋め尽くすような心地がして、読めない。机に座ると昼の仕事の名残が机の上に漂っているようで、その位置に座り目線を遣る時間が耐えられない。そのせいか音楽やテレビで音を耳に入れながら過ごす時間が圧倒的に増えた気がする。それは構わない。学生の時のように教師の声だけが無機質に響くよりは意味の薄い言葉が耳を通り過ぎるほうがまだ手は動く。けれども頭に言葉を入れるには蒸し暑い。私はフローリングに寝そべることにした。
 フローリングに頭をつけて左右を見ると埃の白い粒がそこかしこに浮いていて、ばらけた髪は静電気の要領でごみを吸い付ける。床は部屋のどこよりも冷たく、私はそのまま背中と足を床につけて、その冷たさを体温に変えながら本を読んだ。ページは電灯の影で暗いが、冷えた頭には少しずつ文字が入っていった。冷房をつけてしまえば椅子に好きな姿勢で座りながら本を読める。まだ冷房を付けるには早い。本のページはめくられる。私がずれると私のいた床は生ぬるく体温がとどまり、次の床には冷気が待っている。湿気を吸った空気に押しつぶされて蛙のように床に広がった姿勢のまま、私は本を二冊読んだ。
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・ビルの真下より

2020年07月11日 | コラム
 半年が過ぎて、真夏でもマスクをつけなければ白眼視されるこれまでから見れば奇妙な生活は定着しつつある。風の噂では鼻から下が隠れるおかげで判断材料が減り、半ばばくちじみた考え方にもよるのか、ナンパも増えたらしい。紺色のスカートと白いブラウスの少女が空色地に花柄のマスクで呼吸しながら早足で帰宅する。ウレタンの灰色のマスクに黄色いTシャツを合わせた男が胡散臭く肩をすくめて改札を通り抜けた。私はようやく出回るようになった白い不織布のサージカルマスクをつけて呼気の熱にむせ返りながら用事を済ませに行く。都心部に向かう電車のホームには人が並び快速の電車を待っている。時々マスクをしない人が通ると視線が多く絡みつく気配がした。

 高層ビルのひとつに用があった。幸いビジネス街なので休日の人出は少ない。ビルに囲まれた公園の周りには住宅もなく、ガラス窓が互いのビルの色を跳ね返して青灰色にくすんでいる。雨混じりに曇っているので街は圧し掛かるように重く、振り払うように坂道を登って人で賑わう中心街へと向かう人達とすれ違う。外国の強盗のように口の辺りを布で覆い、体の線にぴったりの上下を着た男が息を犬のように吐き出しながらペースを保ち、腹の肉を弾ませて走る。タイヤの絵を大きく描いたトラックがスピードを上げて国道を曲がっていった。目的のビルは表玄関を閉じており、私は裏口から入る。ディスカウントショップとスーパーマーケットが混ざったような店がカップラーメンを山積みにしていた。

五月六月と人は街からいなくなり、路地裏の店は閉店し、先行きはどこにも見えず、行きつく先もわからず、今日が黙って過ぎてゆく。用事があるとほっとする。用事がなくなると用事のないことにぞっとする。周りを歩いている人たちは用事のためにどこかへ流れてゆく。汗を拭こうと立ち止まったビルの奥から、今年初めての油蝉の声がビルの壁を伝いながらジワジワと雨と共に降ってきた。
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・『恐い間取り』 雑感

2020年07月04日 | コラム
『恐い間取り』が亀梨和也主演で映画化され、今年の八月に公開されるとは本が出た当時の誰もが予想していなかったと思う。けれども昨年の『恐い旅』よりも『恐い間取り』の抱える掴みがたい重さからすると、映画になるのはこちらのほうが相応しいとも思う。松竹芸能に所属する芸人の松原タニシがテレビ番組をきっかけに住むこととなった事故物件と、怪奇談を語るうちに周りに集まっていった人たちに関わりのある事故物件のハナシを彼が書いた『恐い間取り』は、数こそ『恐い旅』に劣るものの、そこに積み重ねられていった人間の濃さがページにも染み出すような居心地の悪さを覚える。

『間取りの手帳』さながらにまず物件の間取りがページの片面を占め、松原タニシが実際に住んだ物件は家賃や条件などを詳細に書き、そこが事故物件となった理由の出来事も不動産屋から開示された範囲でそっけなく紹介される。過剰な反応は一切ない。どの部屋で何が起きたかを確かめながら、物件の中を頭の中で組み立てることで勝手に物件自体の暗がりへと引き込まれてゆく。清掃されても間取りだけは変わらず、新築ではない限り、賃貸では誰かが必ず前に住んでいるという当然の事実が、『恐い間取り』では常に強調されている。前に誰かが住まなければ事故物件にならないのだ。

 事故物件を渡り歩くうちにそれが評判となり、社会勉強のためと事故物件だけを彼のために探してくれる不動産屋や、同じく事故物件に住んでいる、あるいは住んだ経験のある住人たちが集まり、徐々に事故物件に住むという行為が松原タニシのしょうばいとして固まる経緯はこの本のもう一つのテーマでもある。事故物件をきっかけに各地の怪談ライブや『おちゅーんLive!』などウェ ブコンテンツの怪談の仕事が地道に増えている様子は微笑ましい。告知義務が生じるほどの事件の細部を探ることはせず、ロフトの柵にとある目的で使用された痕跡を見つけて得心する距離の取り方が上手いのだと思う。けれども行間に現れる住まいは決して家賃の安さだけで飛びついてよいものではない気配を漂わせている。

「内見をしてみると、部屋はなかなかの汚れ具合だった。ヘビースモーカーだったのか、壁のシミが凄まじい。床は土足じゃないと歩けないほど汚れ、台所は油まみれだった。
 特に気になったのがキッチンの壁の額縁の跡だ。そこには何故か、飾られていた絵画と写真のシミがそのまま浮かび上がっていた。本来、額縁が飾られていた個所は、そこだけ汚れることはないのできれいな元の壁の色であるはずだ。しかし、壁に吊り橋や山や集合写真の様子がうっすらと浮かび上がっている。」

 この部屋を松原タニシはリフォームせず痕跡を残したまま住むことに決めた。それは怪奇現象が起きなければ飯の種がなくなるという切実な理由もあるとはいえ、限りなく廃墟に近い誰かのいなくなった部屋の痕跡に住むという彼の姿勢そのものが、いっそうの業をその間取りに与えているようでもある。
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