えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

:渋谷コクーン歌舞伎 第十六弾『切られの与三』(『与話情浮名横櫛』)

2018年05月26日 | コラム
・走る先のいま

 頤を気持ち反らせて中村梅枝のお富にもたれかかるように、中村七之助の与三郎はうっとりと屏風の影に身体を沈めた。それを隠してしまうようにお富は着物で包みこみ、白いうなじがスポットライトへ鮮やかに映えた。ここに伊豆屋与三郎という青年の転落の引き金が引かれ、「しがねえ戀の 情けが 仇(あだ)」の一節へと流れてゆく。

 串田和美の演出するコクーン歌舞伎第十六弾『切られの与三』は、与三郎という主人公に焦点をがっちりと当てて離さない。話の流れを理解するための情報は小出しに与えられるものの、観客の視点は与三郎の立場に固定される。たとえば中盤から登場する、本公園では唐突に登場する香炉を探す老婆の小笹が与三郎の実母であるとは劇中で明言されず、与三郎自身も自分が養子だとは知らない。原作を知らなければ、終盤で彼にまつわる設定の色々を説明されても、「そんなこと知らないよ!」と与三郎と一緒に観客も驚くしかできない。その分を与三郎という人間を形作ることに注力されている。

「中村七之助そっくり」の美貌を謳われ、大店の伊豆屋の財産を惜しげなくばらまく遊びっぷりの放蕩息子の噂を口上が語る。明るい忙しさにまみれた人々の行きかう江戸の昼日中、専らの話題は二十歳を過ぎた美男子の一挙一動だ。けれども当の本人は遊びが過ぎて悶着を起こし、ほとぼりが冷めるまで千葉の木更津の親戚に預けられてしまっている。そっけない白木を組み合わせた枠に背を預けた与三郎は、子どものように拗ねていた。笹野高史演じる従僕の忠助が気を引こうと一生懸命だが、それも駄々っ子をあやす調子で、はたちを超えた大人の男は当人も取り巻きもあまりに幼い。これから土地のやくざの色女お冨に恋を仕掛けて結果、顔も体もずんずんに切り裂かれて自らもアウトローになる男には見えない。真那胡敬二の短刀で傷つけられ、「殺してくれェ……」とうめく与三郎の弱弱しさが、和ろうそくの蝋を傷に垂らす行為の残虐さを際立たせるのだ。

 どうしてこうも彼は半端なのだろう?他の戯曲の主人公ならば奮起して復讐の鬼になったり、好きな女を奪い返したりもしそうだが、この与三郎にはそんな気構えはなさそうだ。傷だらけの顔を使ったゆすりたかりを蝙蝠安(これも笹野高史、舞台上で肌をさらして着替えての登場)と三年も続けながら、坊ちゃん坊ちゃんした甘ったれは取れない。お富と仲良くたかりに行っても、「今までずっと傷を見せれば勝手にびびってくれたから、口上をどう言っていいかわからない」とお富に泣きつき、ずん助の殺害も、雨の降るスクリーンの影から現れた幻のようなお富の声を聞いてようやく手に掛ける始末だ。父親から「甘やかされた野良犬」と突っぱねられるのも腑に落ちざるを得ない。

 けれどもその情けなさや弱さが、却って不運に振り回される姿として近しく思える。自ら動かなくても、周りにはそれこそお富さんから蝙蝠安、お店の人々など生活力のある人間がたくさんいる。彼らに甘えて生きてきた与三郎は島送りにされてようやく一人で行動し、江戸に辿り着くも、彼が思い描いていた居所はない。序幕とは打って変わって沈黙した江戸を橋から見下ろし、彼は茫然としてしまう。勘当された実家では自分は死んだものとされている。そこでもう一度自分の場所を作ろうとする強かさは、ない。

 それでも自分を思ってくれる人々から彼は「生きろ」「逃げろ」と、急かされ、最後には傷を治す妙薬を命と引き換えに渡す人まで現れる。だがコクーン歌舞伎の与三郎は「嘘だ」と一蹴する。受けた傷も島送りになったことも、中村扇雀から「嘘でございます」とやさしい嘘を吐かれながらも、最後の最後で彼はその傷を捨てなかった。傷を受けたことも大罪を犯したことも受け入れて、生きようとしがみつくその瞬間に現実は捕り方となって現れる。ようやく自分が納得する現実に向き合えた頃には、時は遅かった。足場のない現実に立たされた、大人になり切れない男の弱さを演じ切る中村七之助と、その弱さを確かにする大人たちの見事で組み上げられた三時間だった。
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・新たな御威光

2018年05月12日 | コラム
 新薬師寺へ続く道路へ下りる若宮の裏道には鹿がいなかった。
「鹿せんべいをくれる観光客がいませんからね」と、脇を歩く山の管理人の小父さんが言う。
 十五所巡りの一番の社の前で灰色がかった薄紫のケピ帽を取り、腰をきちっと折った一礼を捧げた姿が印象的な小父さんは後ろ手のまま、舗装されていない道をすたすたと歩いていた。途中立ち止まると、背の高い木の梢を見上げて「取らなきゃなあ、取れないなあ」と呟いていたので何かあるのかを訊ねた。小父さんは上を指さした。その先には茶色の枯れ枝が高い枝の合間に引っかかっていた。「取らなきゃいけないんですけどね、この高さじゃあはしごも届きません」景観を気にしてかとその時は思ったが、今考えるとあれが落下してうっかり観光客に当たった場合を考えていたようにも思える。

 帽子と同じ色の制服を着た小父さんは枝から話題を切り替えて鹿の話をした。現金な鹿たちは観光客のいない朝夕方はこの辺りにも姿を現すそうで、山の草をよく食べるおかげで植生が保たれているといったような話を聞きながら山道を降る。ひたすらに静かで涼やかな風が通る明るい森の中で、唐突にその一言は放たれた。

「来月はね、小鹿が生まれるんですわ」
「ああ、今いる小さい鹿は去年生まれた子どもなんですね」

「そうです。来月産卵するんですよ」

 小父さんは何気なくそう言い放つと、「ここから降りれば新薬師寺さんですから」と道路を指さし、軽い足取りで立ち入り禁止の柵をまたぐと山の中へ戻って行った。
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