えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

美術展や映画とか

2009年02月26日 | 映画
まったく狙ったことではないのですが、
本日「真・三国無双マルチレイド」の販売日にあわせたように
『三国志』
(原題:Three Kingdoms Resurrection of the Dragon ダニエル・リー監督)
を観てきました。
こちらはまた後日、コラムの形で所見をお話したいと思いますが、
軽く感想を述べますと、本作は某赤壁に比べ、
まったく主人公の軸がぶれていないので、
1時間42分の短い時間にまとめた手腕が冴えた一本だと思います。

あしたはもっとわかりいいように書きます。今晩はお許しを。


さて。

ここ数日はずっと旅日記を記しておりましたが、書かなかったことが
山盛りあります。まとめ切れない手腕がもろに露呈しました。

旅日記に書かなかった所に、「河井寛次郎記念館」があります。
河井寛次郎は、柳宗悦らとともに昭和初期の民芸運動に尽力した陶芸家です。
民芸運動というのは、イギリスで起こったアーツ・アンド・クラフツ運動に
端を欲して……と書くとお察しの方もいらっしゃるかも知れません。
京都から帰って直後、東京都美術館の「アーツ・アンド・クラフツ展」に
行ってまいりました。とってもタイムリー。

簡単に説明しますと、どちらの動きも、今まで芸術運動の中で生まれた
ものに対して「美」を認めてきた流れに対し、普段使いの道具を作る
無名の工人たちの技に「美」を見出し、ひとつの価値として認めようという
運動です。とっても適当な説明ー。

ともかく、この展覧会で初めてイギリスの民芸運動の作品を見たのですが、
椅子や陶器とか、ちょっとしたものの一つ一つが河井寛次郎に与えた
影響はほんとうにすさまじいです。
記念館の家具の大半は、河井寛次郎が自身で作成したものなのですが、
椅子のカーブや材質、また壺の形などが本展覧会で展示されている器物と
非常に類似していました。

「用の美」ということばがあります。
その美を誰よりも感じながらも、のちに縄文土器を髣髴とさせる奔放な作品を
完成させた河井寛次郎は、工人ではなくやはり芸術家なのでしょうが、
民芸と言う感覚は誰よりも持っていたと思います。
すばらしい感性の人です。
このタイミングで「アーツ・アンド・クラフツ」の展示会にいけたことは
僥倖でした。


にしても、もう「真・三国無双」のタイトルについて「5」以前は
「なかったこと」になりそうですね。ムリですね。「Z」が出るから。
(まとめがこれかい!!)
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こっそり帰還編④

2009年02月24日 | 雑記
こうしてブログに書くとなると、字数を結構気にしてしまうのですが、
その前に上手くかけなくなりました。

このみかん君は、『好事福ロ(こうずぶくろ)』というお菓子です。
『村上開新堂』という、京都市役所の近くの、老舗の洋菓子屋さんで
つくっているみかんゼリーなのですが、
池波正太郎の『散歩の時何か食べたくなって』というエッセイの中に、
池波さんが冬、ホテルの窓辺にこれを出して冷やしたものを
召し上がるというシーンがありまして、
当時中学3年生くらいだった私にはそれがえらく格好良く見えて、
つくづくとあこがれのお菓子だったのです。
あいにくと安宿の窓は開かず、代わりに冷蔵庫でしっかり冷やして
フロ上がりにあがりました。

みかんの果肉よりもみかん色をしたゼリーがいっぱいに入っているお菓子です。
スプーンを刺してみると、ようかんとゼリーの中間のような、少し
抵抗感のあるもちゃっとしたゼリーでした。
味は、普通のゼリーと比べるとぐっと甘さは控えめですが、キュラソーを
使っているので、ほどよく柑橘の風味と甘みが出ておいしいです。
つるっと飲み込むゼリーじゃなくて、しっかりと味わうゼリーだと思います。
まだみかんの皮が、加工も何もされていなくて触るとむにゅっとするところも
わりと好きです。
ただ、食べた、美味しかった、というより、達成感が勝ったのはなぜでしょうか。
うわあ。


そういうわけで、今回いちばん嬉しかったのは、櫛とみかん。
モノで始まりモノで終わった旅でした。

他にも書きたいことはありますが、いったんここで終いにしておきます。
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こっそり帰還編③

2009年02月22日 | 雑記
哲学の道をとぼとぼと、の三日目です。

西田幾多郎がのびのびと歩き、思惟にふけったこの桜並木を「哲学の道」と
呼ぶのは皆様ご承知の通りですが、桜並木だけにこの時期は枯れ木道です。
その枯れ木道のてっぺんからちょっと外れると、銀閣のある慈照寺に着きます。

写真の通り、晴天で眺めはとってもよかったのですが、慈照寺の銀閣は
ただいま修繕中、終わるのは来年の頭頃になりそうです。

私は銀閣派(そんな派閥があるかどうか知りませんが)なので、
本堂の縁側に腰掛けて向月台の庭をぼーっと眺めるのが好きなのですが、
修繕のために壁やらなにやら剥がされて、さっぱりした銀閣もよいなと思います。

それは、銀閣が、たたずまいのシルエットが美しく見えるよう
作られていることが分かるからです。

「向月台」や銀色の砂庭「銀沙灘(ぎんしゃだん)」は、光に当たった時、
他の枯山水よりもぎらぎらに輝くよう出来ています。(主観ですが)
裏手の山も、見下ろしたときこじんまりと、砂庭と銀閣が同時に見えるよう
道が作られています。
白と、黒のコントラストが建物と砂地で出来上がっている。
これはつまり、夜に観るための庭ではないでしょうか。

童話の「ヘンゼルとグレーテル」のヘンゼルは、夜月の光を反射する
白い小石を目印に家へ帰ります。
日の光であれだけ輝く銀閣の砂庭なら、きっともっと光るでしょう。
銀閣のディテールは消え、影だけがべったりと背景に、
砂がまさに「月を向える」支度をするわけです。
そう思うと、池が小さくて、砂庭を大きく取るのも分かる気がします。
銀という色は、白にも黒にも通じる色なので、「銀閣」の名はほんとうに、
ぴったりかと思います。

慈照寺から哲学の道をとぼとぼおりてゆくと、脇に寺社がちらほらと
並んでいて意外に、寄り道が出来ます。
歩いて五分ほど、橋が立派になったあたりで「法然院」への道が見えてきます。
脇道へ入って見上げると、坂。
山寺です。ほんとに山寺です。
枯葉の季節に来たらたぶん泣くほど綺麗だとおもいます。
苔の具合もちょうどいい山門は茅葺、銀沙の壇を両脇に入る、ここだけで
しみじみとしてしまいます。傍の経堂で、変な外人が和服を着て
音楽をかけて何かやっていたのが気になりましたが。

障子の穴からのぞいたら、観光客ぽいひとがすごくいづらそうに、
出るきっかけを失ったように座っていたので怖くて入れませんでした。

なんだったのでしょう。
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こっそり帰還編②

2009年02月21日 | 雑記
京都さみしんぼ旅二日目です。

櫛を買って満足したのもつかの間、この日の京都にはものっそい
寒波が押し寄せておりました。
晩に、ちらつきだした雪に多大な不安を寄せながら目覚めると晴天。
嵐電を使って廣隆寺まではよかったのですが……。

仁和寺に到着すると、あられ混じりの向かい風が坂の上から
身体をたたきつけ始めました。
結論から言うと、この日の天気は、

「晴れ時々雪、ところによりあられと烈風」

だったんですね。基本晴れているところがミソです。

なめくじうさぎ:「(寺が私を拒否しているのか、これは!?)」

ところが、特別公開の金堂に入り、説明を聞いて出たら、からっと晴れました。
ナーンダ、一時的なものかと思いきや、続けて経堂に入り、
出ると、吹雪。*

その辺にいたガイド:「お嬢ちゃん親不孝してんじゃないかい?(笑)」
なめ:「そうかも……しれませんね……(真顔)」
ガイド:「・・・・・・」

しかし御影堂にお参りする頃にはからっと晴天になりました。

なめ:「(お大師様ありがとうございます。でも軽くいじめですよね、これ)」**

*こうした天気と気持ちの変化が竜安寺、鹿苑寺、北野天満宮でも一回ずつ繰り返されました。
**なめの家は真言宗です。

冷静にカウントすると、一日に5つもお寺社に行っていたわけです。
正直、意地でした。

それでも、いつもどおり廣隆寺の弥勒菩薩は美しいし、
鹿苑寺の金閣は、ちょうど晴れた上、修理の終わった方丈から人を
見下ろしつつ見て初めて「いいものだなあ」と思えましたし。
何より、北野天満宮の梅園。

まだ五分咲きで、香こそ立ってはいなかったですけれど、
枝振りのよい、花も一つ一つ違う梅を楽しみながら歩けました。
花がわずかに緑がかった白梅と、
純の紅色の紅梅がなめくじうさぎのお気に入りです。
紅梅は晩生なのかまだ咲ききってはいませんでしたけれど、
それでも花開いた一輪が魅せます。
寒さと疲労でぼろぼろだったので、余計にしんみりしたのかも知れませんが。


(後日譚。

なめ:「今回は特別拝観があってさー、いろいろ見てきちゃった」
祖母:「そんな婆みたいな趣味しちゃって、まあ」
なめ:「…・・・うん」)
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こっそり帰還編①

2009年02月20日 | 雑記
昨晩帰ってまいりました。
4日間もうろついていたので、ぼちぼちと書こうと思います。
しばしおつきあいくださいませ。
ついでに画像とテンプレートをちょっぴり変えてみました。

さて。

この地味な写真は分かりづらいのですが、二条城です。
かつて天守閣があったところから見下ろしています。

地下鉄を降りて、ぼーっと歩くとお城に着きました。
することもなかったので神泉苑まで足を伸ばし、
時計を見て、しまったと京都市役所前までとんぼ返り。
櫛を買うためでした。

ちょっと飛びますが、
「二十三や」というお店が四条の先斗町近くにあるのですが、
ここは文政五年、1822年から続いている柘植櫛の本舗なのです。

柘植の櫛。

こう、油をつけた日本髪をツヤツヤに梳く例のアレです。
人に堂々と誇れるものが黒髪ストレートしか無いなめくじうさぎには
憧れのアイテムです。梳くだけでつやっつや、しかも静電気なし、
入れ物がかわいい、木の香がいい、手触りがいい、それから(落ち着け

お店の前でしばらく「怪しい人」をやり、決意して店に。
ちっちゃいお店のガラスケースに、櫛がいっぱいに並べられています。
ケースをはさんで、中年の女性と対峙。

店:「何にします(語尾↑)?」
なめ:「手がちっちゃいので、小さめの櫛ください」

じゃあ、といくつかの種類を出してもらいました。

で、出してもらったものは、
よく時代劇で街娘が前髪に刺しているような小さ目の、半円の櫛と、
コーム型の四角いの、それから長めの半円の櫛の三種類でした。
そして「二十三や」値段は3300円から始まります。

高いです。

これが京都パワーでしょうか。古都観光地名物ぼっ○くりでしょうか(うーむ
しかし触らせていただいたモノは職人が一人ひとり作ったという
フレーズにぴったりの、つやつやした木がまだかおる品物でした。

なめ:「梳かせてください」
店:「あ~、それはねぇ、ダメなんですよ(苦笑)」

売り物だからムリに決まっているだろう、なめくじうさぎよ。
形を指先でまさぐりながら考えます。迷惑な客です。
でも手触りがよすぎるのが悪いんです(おい
結局、右手ずうっと後方に、清水の舞台を思いながら4100円の品を
買いました。

その晩はフワフワ浮きながら、ホテルの部屋でシャンプー後、
乾いた髪をずっととかしていました。
さいこうでした。


――世の中の 心のもつれとけよとぞ 御さばきたまえ 神のつげぐし――
 紀貫之


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連載中:宮城谷昌光「三国志」に寄せて

2009年02月15日 | 読書
立て続けの更新なのは、明日からに向けての事情でした。
明日から近畿方面に4日ほど高飛びするので、更新が停止します。わっほう。
ちょうど先ほど、面倒な課題も終わったので心おぎなく往ってきます。


ひとりで。


わっほう~。


まあそうした寂しんぼな事情はともかくとして、
ここんところの文芸春秋は歴史小説の連載がとっても豪華ですね。
『昭和天皇』の後に『三国志』です。
この連載の順を考えた方は久々にアタマがどうかしていていいと思います。

そういうわけで『ポトスライムの舟』ついでに、
宮城谷昌光の『三国志』もちらっと目を通しました。

「三国志」を小説化すること自体は、
キオスク文庫から北方謙三までピンキリ山盛りてんこ盛り、
なのですね。Webまで範疇に含めれば、それこそ星の数ほど小説が存在します。
ただ、宮城谷の『三国志』は、今までの宮城谷作品と比べると、という
意味で、ちょっと異色だと思います。
『天空の舟』『夏姫春秋』や『玉人』など、ざっとあげてみましても、
人物一人に焦点を絞って、彼らに思い入れをこめて書き上げるのが、
宮城谷の小説には多く、とてもウェットな文章です。
人物の読みが深く、味があります。

それを踏まえて、宮城谷『三国志』を見てみると、おや、と思います。
「三国志」はいわずと知れて非常に登場人物が多い物語なので、
誰か一人を主役に据えることが難しい。
ですが、今回は事件そのものを書きながらも、事件のキーマンを
その都度取り上げる、という手法で人を描いています。

この、人の選び方がとても巧妙です。

たとえば、222年ごろの濡須の戦、呉に魏の曹仁が攻めてきた戦では、
曹仁という目だつ武将側ではなく、呉の朱桓を中心に描いています。
一方で、同時代にこの地にいた、とても派手なエピソードを持つ
呉の周泰という武将がいますが、彼は史書での紹介だけで
さらっと流されています。
力点は朱桓と曹仁の用兵におけるやり取りに置かれているのです。
やりとり自体はほんのわずかなのですが、

「――いかなる名将も、老いれば、凡将となる。
 朱桓は曹仁の行名と数万という兵力を恐れなかった。もっとも朱桓は
高慢な一面をもっている人で、攻め寄せてきた魏軍の帥将が曹操であっても、
おなじことを想ったであろう。」


こうした、宮城谷的、ともいえる人物評がとても活きています。
そして、この部分が光るのは、歴史の流れを丁寧に追いかける、ある意味
とても地味な作品の作り方を取っているからこそだと思うのです。
「三国志」の人物はどれも魅力的ですが、そのどこかに無理に肩入れせず、
人物中心ではなく歴史の事件に焦点を当てることで、時折はさまれる人物の
せりふや感覚が説得力を持つようになっている。
もともと人物一人を深く読み、生彩を持たせて動かす、宮城谷の得意技が
とても上手く生かされていると思います。

この作業(執筆よりもこちらの方がしっくり来ます)を観ていて思うのは、
「左伝」の作り方に似ているな、ということです。
「春秋」という中国の歴史書がありますが、左氏と言う人が、
これを歴史順に追いかけながら、面白いエピソードを取り上げ、
文章にした書物が「春秋左氏伝」です。ざっと紹介すると。

宮城谷『三国志』の作業は、彼の作業とよく似ている気がします。
小説と言う形でつないではいても、歴史を追いかける部分はとても作業的ですし、
一方で先の引用部分では、書物から読み取った性格を立体的にするため
作家の主観を存分に使っています。
「歴史小説」ではなく、「半歴史書」というほうが、
もしかしたらこの『三国志』が示す新しい形なのかも、とちょっと思いました。
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津村記久子「ポトスライムの舟」読了

2009年02月14日 | コラム
今回はコラムでお送りします。

:文芸春秋「ポトスライムの舟」 津村記久子作 2009年


:技術にあたえられた小説賞

 ここのところ続けて、女性が文学の賞を総なめにしている。でもきちんと作品を出すことを続けられてなお、評価を受け続けられているのはどうやら糸山秋子だけな気配で、ただ文章に卓越した人だけが日に日に増加するいっぽうだ。女の人は文章が得意なのは、実はあたりまえのことなのだとしんから思う。

 今年の受賞者津村記久子もやっぱり、経歴を見たら文学部だった。文章がととのっているのは当然で、しばらく社会人を味わっていた8年間でブラッシュアップした社会への感覚をそのまま上手いこと文章に乗せたらこうした小説が出来るのだと思う。世界旅行とポトスライムの鉢ふたつを基点にめぐる日常も、長瀬という主人公にも、周りの人々も、名前だけがやけに古めかしい他は平凡だ。ただし、平凡であって、人物の書き込みが平坦だというわけではない。たとえば、
『自転車のライトが、ひったくり出没注意と書かれた看板を照らす。(中略)ナガセはただ、自転車のライトは、前輪が回転する力だけで転倒しているからすごいな、わたしもそのぐらいの燃費になれないもんか、などと考える。』

 こうした、ふっとしたところで出てくる主人公長瀬の感覚が、自然に文中で差し挟まれるところに、津村記久子と言う人のたくみなところ、というかちゃっかりしている価値観を描ける視線の広範さがよく現れていると思う。磨かれた観察眼をはっきりと自覚した上で書いた、技巧の上では見事と言うべきだろう。
 
 ただ、根本的にこの人の文章は五感と言うものがまったく無いのがネックである。ひたすらの事実の列挙で探る情景は、明朝体なのに点字のように、読者を盲目に閉じ込めてしまうのだ。あざやかに浮かび上がる、何かしらの背景と言うものさしはさまれていない、人間に限定した視線の狭さはたぶん、女性作家なら誰でも得意な部分だと思う。だから、やりとりの巧緻こそ確かに精密なのだが、それ以上はあっぷあっぷで浮かび上がってこないことが寂しい。(805文字)

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マキノ雅彦監督「旭山動物園物語」鑑賞

2009年02月12日 | 映画
すみません、ちょっとだけ叫ばせてください。

「泉鏡花萌えええええ!」

『生意気にもかかわらず、親雀がスーッと来て叱るような顔をすると、
喧嘩の嘴も、生意気な羽も、忽ちぐにゃぐにゃになって、(中略)
うまうま(餌)を頂戴と、口を張開いて胸毛をふわふわとして待構える。』
(カッコ部分筆者)

うあああああ、も、萌えー!!!(落ち着け)

:角川映画「旭山動物園物語 ペンギンが空を飛ぶ」マキノ雅彦監督 2009年

「誰も知らない泣ける歌」という番組での、涙の安売りぶりがこびりついた
後での映画公開はなかなか不運なことだと思います。前作、前々作で主演を
つとめた中井貴一ではなく、新たに西田敏行を据えて製作した本作は、
のっけからパステルカラーとかわいいフォントの表題とペンギンを飛ばして
前作からのファンには不安たっぷりに始まりました。
「旭山動物園」自体は、もう知らない方はいないと思います。
動物の行動展示、という新たな試みを成功させ、日本一の動物園の名を
上野から奪い取ったすばらしい動物園です。
この動物園が成功するまで、動物園の人々になにがあったか、に視点を当てた
の本マキノ雅彦監督の最新作です。

今回光っているのは、第一作目からマキノ監督の映画に出演している
笹野高史だと思います。旭川の市役所に勤める、園長の西田敏行の上司と言う役を
当てられた笹野は、チョビ髭を口の下に付けて蝶ネクタイもくっきりと、
典型的な「小物」スタイルに身を包んで唇を尖らせる、そのぽんぽんとした
切り口は北海道の人間とはちょっと思いづらい軽快さですが、西田敏行の
まったりした味とよくあっていました。
市役所の食堂で二人向かい合わせのやり取りが軽妙。

特に昼食を取っている時、興奮して身を乗り出し、
笹野に喰ってかかる西田敏行。周囲のざわめきに笹野が
「おい!見世物じゃないよ、このマウンテンゴリラは!」
ぽんときりつけて、周りはすっと背を向ける。
それから向き合う二人は、それまでに見せられる類人猿のカットよりも
チンパンジーVSマウンテンゴリラなのです。

マキノ監督は、いつもおっさんをだんごにしていちゃいちゃさせるのが
とても上手なのですが、本作はいつものメンバー(笹野高史、長門博之、
岸辺一徳など)どうしもさながら、前田愛や中村靖日ら若手から柄本明など
ベテランまで、種類問わずいちゃつく(あえてそう言いたい)、ビンタ張られた
直後、時間の経過をカットして仲良しになるシーンを差し込んでもまあ
納得が行く程度に人と人とのつながりをもたせているこのことは、
マキノ監督の得意技だともう確定してもよいと思います。
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過コラム:ねじめ正一 「落合博満 変人の研究」

2009年02月11日 | コラム
過去に書いたコラム、で過コラム。
とてもおやじチックでいいごろあわせが出来たので、
過去に書いたものを出すときはタイトルにこれを出します。
これから出すものは。(編集しなさいよ)

去年(2008年)の春、5月1日に書き終えたものです。
冒頭の評判がとても良かったことを覚えています。

:『落合博満 変人の研究』ねじめ正一

ファーバーカステル社のダーク・カドミウムオレンジをした帯に、モノクロで映っている男の写真でこの本、すべてなのかもしれない。左手の薬指の指輪。腕輪。かぶった帽子の下から覗くのは肌で、髪の毛ではない。目じりを引っ張って垂れた右目。黒目の向く先は私たちから見えない空間を何気なくさまよっている。こわいが引き寄せられる不思議な表情。

 そういうひとが、落合博満―中日ドラゴンズ監督なのだ、と、いうことを、ねじめ正一はくるくると言葉をまわしてなんだかわからなくしてしまっているように見える。帯のウラ『落合博満という名前は食べ物で言えばホヤのようなものであって、あるいはナマコのようなものであって(中略)落合の美味さ、落合の苦味のある滋味を味わうことができるのである』この一文はまとめのように見えて実は、本を開いて19ページという早い段階で登場する。後?後は、好きで好きでたまらない人の話をする人の、上気した頬と息遣いを思い出せばいいだろう。そんな勢いで文章がすっと流れている。
 
 まず落合という人の変人っぷりをアピールするに分かりやすい行為の紹介から本は始まる。親切。一通り落合というプロフィールを確認させた後目次に入ってやっと、味わう中身へ向かう。だが親切さがここでアダになる。面白半分で落合を覗こうとこの本をとった人間にとってそもそも興味の対象は、行為の説明だけで十二分にわかりやすく、はじめて落合という変人をこの本で知ろうとする人間(主に私のような)はそれだけで満足してしまうのだ。そして何より、落合のスゴさの引き合いに長嶋茂雄を持ち出す回数の多さが鼻についていただけない。
 
 ねじめ正一は確かに落合にホレているがそれ以上に長嶋イメージの影が付きまとい、その上でなされる落合語りは「わたしこの人大好きなんです!!」という素直すぎるオーラが輝いていて目がくらんでしまう。通して読んで恥ずかしくて、かゆくなってしまった。
(798字)
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張競「恋の中国文明史」読了 追記

2009年02月08日 | 読書

『それでも、ない智恵をしぼってこうして書いているのは、
一にこの美しい言語に対する、
母国語に劣らない愛着によるものだ』――あとがきより

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