えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・冬の歯科M

2020年11月28日 | コラム
 晴天のもとに出歩くと吐く息も白くなり、マスク姿もインフルエンザの季節に入りつつあるおかげか自然な風景として目に溶け込む。こうして世界が見かけからも引きこもりになる以前から季節を問わずにマスクをし続けていた職業が歯医者だ。幸いここのところの検診では虫歯や神経を抜くような大事の手術もなく過ごしているが、定期的に来るたびに町も自分も年を取っている。長年のかかりつけ医の歯医者も下から見上げている首の皮がたるんで手術着の襟に被さっていた。
 逆さまの首の開いた口を薄いゴム手袋をはめた指が固定し、鈎針のような器具や柄のついた鏡が差し込まれる。幼い頃はその冷たさと自分の知らない、コントロールできない何かに口の中を探られる捉えどころのない感覚がわからなかった。大人しくしていれば親が珍しく褒めてくれて嬉しいという覚えもあるが、それがじっとしていられるという理由かと問われれば首を傾げる。麻酔をかけられるときの注射針の刺さる痛みや、口腔を伝って頭が理解している歯茎のぶよぶよした食感や、親知らずを抜いて麻酔が取れた後の鈍痛といった痛い思い出もただの感触でしかない。そこまで無感動な理由は、昔よりも耳で歯医者にかかるようになったおかげかもしれない。今日も歯医者は言葉少な目ながらも口の中へ批評を下している。
 歯医者が移転してからは虫歯も芥子粒より小さな粒のものばかりでその日に治療され、歯磨きの不備を指摘しつつ歯の間に溜まった歯垢を糸ようじや細いドリルで磨かれるささやかな30分を過ごしている。「前歯だな……」と呟いて歯医者は「鏡」と助手に頼んだ。手鏡を渡されて口の中を見るように指示される。
「前歯。ここね。目立つから」
 当然ながら口は開け放したままなので相槌すら打てない。歯医者は鍵爪のような針で上の前歯の側面に固まった橙色の塊を引っ搔いた。「歯ブラシとジェル」と医者が助手を呼ぶと、ピンク色の柄の歯ブラシが鏡の中に登場した。あっという間にブラシの細い毛が歯茎と歯の隙間からCMのように汚れを落とし、同時に爪の間に針を刺したような痛みが走った。
「これね、歯茎が鍛えられていないから」
 歯医者は口を固定する手を離すと歯茎から流れる鮮血を指さした。私はようやく返答の機会を与えられる。
「どのくらいの強さで磨けばよいですか」
「お粉を計る秤があるでしょ、台所に」
「はあ」
「あれにこう、歯ブラシを載せて力をかけて、150gくらいが丁度いい力加減」
 歯茎を鍛えてくださいね、とまとめ、本日の診療は終わった。会計には先ほど使われたピンクの歯ブラシがそっと添えられていた。
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・晴天に反響

2020年11月14日 | コラム
 今年は火災の多いとされる三の酉のうち二日が土曜日と休日に当たっているため、もし例年どおりであれば歩道は人で埋め尽くされて神社にすら辿りつけなかっただろう。ただでさえそこまで広くはない道の三分の一を屋台が占め、巨大な熊手を抱えて帰宅或いは帰社する人のために道路の一部は歩道となり、警官が出動して車が歩道に入らないよう誘導する。日が暮れるにつれて道路の端にはチューハイの空き缶がこそこそと増え近くの飲み屋から出てきた人も流れにつられて神社に進む。そういった一年の終わりの締めくくりの賑わいも今年の疫病は攫っていってしまった。

 テキ屋も飲み屋もいなくなった境内には熊手売りたちが変わらず犇めいていた。華やかな天幕の下には飾りをよく見てもらうために昼間から明るい電灯が点いていた。ぎっしりと吊り下げられた熊手を飾る金ぴかの縁起物が光を反射してどの店も輝いている。見世物小屋が毎年小屋をかけていた正門の左脇には誘導線が張り巡らされ、ビニール手袋をはめた白い作務衣の職員がアルコールスプレーを参拝客の手に吹き付け、マスクを着けていない人にはマスクを配布していた。手首を見せてほしいと言われたので袖をまくると、少し前までは額に当てていた体温計がかざされた。6度1分、大丈夫ですね、どうぞ。

 大きな本殿の前に並ぶ列だけは左右にはみ出すことも横入りすることもなく整然と静まっている。本殿手前の小さなお社には昨年の熊手をお返しする人が列を作りじっとそれぞれの願いを納めるために待機している。不況の時は神社の人出が増えるのだと昔聞いたが、これほど外へ出ることへ否定的な世の中の休日の昼間にも来年のために祈りに来る人が多いこと、そして列から漏れるざわめきの少なさを目の当たりにすると何も言えなくなった。

 社務所に立ち寄るとちょうど手前の店で熊手が一本売れた。顔よりも大きな熊手を抱えた初老の男性を囲む拍子木が高く鳴る。普段は近くの客も自分から足を止めたり売り子の呼びかけに集まって「それでは皆様ご一緒に」と手拍子で祝福するが、今年は店の人だけで客は携帯電話やカメラを構えている。反響するように奥の店先からも合いの手のように掛け声と拍子木が休むことなく鳴る。ビルとビルの間の神社の空を飛ぶ鳥が、それに合わせるように交互に鳴き交わしながら大通りに面した出口のほうへ飛び去った。
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・改造≠DIY

2020年11月07日 | コラム
 時々CMに差し挟まれていたので番組名だけは知っていたものの、なかなかチャンネルに組み入れられないので機会を失っていた『バッド・チャド・カスタム』をようやく視聴した。オーナーのチャドが率いる「グリーン・ゴブリン・ガレージ」に密着するアメリカ発の車番組だ。レストアや改造を手掛ける「ガレージ」密着型の番組は『ファスト・アンド・ラウド』を始め、そのスピンオフ『ミスフィット・ガレージ』、『シフティング・ギア』、『ディーゼル・ブラザーズ』、『カスタム・マスター』など比較的枚挙にいとまがない。実際に営業しているガレージに密着して、本題の車の他にも従業員とのやりとりや経営の工夫などしょうばいの舞台裏も交える点が、ディーラーやエンジニアや批評家などの専門家の解説により車自体を中心に取り上げるイギリスの番組とは違っている。

『バッド・チャド・カスタム』が得意とするのは他の番組たちが鼻もひっかけないぼろぼろの車から艶やかなオリジナルマシンを生み出すことだ。年代こそアンティークな1935年生まれながらタイヤはなく内装は剝がれ、野ざらしにされて錆が七割を侵食して辛うじて車の形を維持しているフレームを安く買い取り、短期間で改造してお披露目の場で高く売る。ピットブルのような容貌に首輪のような刺青を入れ「復元より分解」と言ってのけるチャドの仕事は荒っぽいが、出来上がりは繊細な曲線を描き芝生に生えるロイヤルブルーの瀟洒な完成品だ。設備がなく太いパイプを曲げるために床へ竹刀のように振り下ろしたり、溶接ではハンダの代わりに金属のハンガーを溶かして埋めるなどの際どい作業には多少不安を覚えるものの、客は概ね満足して万単位のドルを彼の車に払う。

 番組名のやんちゃぶりとは反比例してガレージを構成するメンバーはチャドを筆頭に真面目なのでメンバー同士の諍いはなく安心して見ていられる。人間関係自体はチャドの前の奥さんとの息子のコルトンと現在の「俺の女」兼優秀なマネージャーの美女ジョリーンという複雑な存在がおり、日本ならば揉め事のひとつも勃発しそうな風情だか特にそういうことは無い。マネージャーの立場からコルトンをジョリーンは評価し、職場では上司としてコルトンは父親のチャドの指示に忠実だ。基本的にチャドは表情の変化に乏しいがコルトンが満足の行く仕事をこなしていると声が少しだけ弾むところは微笑ましい。

 他の番組を見てからこの番組に来ると規模の小ささに驚かされる。特に改造を得意とし、ガレージ内で内装も塗装も手掛け、オーナーが車のデザインを手掛けてオリジナルの仕様にするなど、共通点の多い『カスタム・マスター』とは事業規模に極端な差が開いており見比べると面白い。ふと気づいたが経営が順調で顧客が確実に大金持ちと言う事情のせいか、『カスタム・マスター』はカネの話が一切出ない。かなり珍しい例ではないかと思う。

 そうした状況もどこ吹く風で「科学のことはよく知らない。だから力づく」と目の前の仕事を頭に描いた図案から完成させるチャドの物作りは手段からして独創的で、それでいて突飛や奇抜から無縁なストイックさへ不思議に惹きつけられる。ダーツの代わりに斧を投擲する的当てを息子と二人で楽しむ笑顔が、何とも言えずに客も視聴者も引き寄せてゆく。
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