えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・嵐のあとまえ

2018年07月28日 | コラム
 近所の喫茶店へ行こうかと窓を見て、公園のケヤキの枝の揺れ方に諦めた。先端から枝分かれする太い枝にかけてしなり、電車で居眠りをする男のように頭のような葉の塊がかしいでいる。風は徐々に強さを増しているのか、枝の先端を揺らすだけではなく、それを折ろうかという勢いで外を揺らしていた。約束があると出て行ったあいつは帰れまい、と、家に残った家族たちはそれぞれに言葉を重ねた。空は白めいた雲に覆われて気まぐれに雨が降る。傘をさす人も既にまばらで、ゆるゆると嵐の到来を告げるように体が気圧のせいかじっとりと重たい。夜に頼んでいた代金引換の宅配便も、時間を大幅にずらして昼時にやってきた。風はまだ控えめで、彼は半透明のポーチから六十円の釣銭を一生懸命に探していた。ボールペンで受け取りにサインすると、ヘルメットをかぶり直し、彼はバイクで道路の向こうを左に曲がって行った。

 外からごうごうと、かけているCDの音楽とは違う音が響きだした。雨だろう。閉め切った窓を音は悠々とくぐりぬけて耳元に音をとどろかせる。台風の雨は普段と格別で、窓を殴りつけるようにたたきつける雨を降らす雲は雪雲よりも白い。とはいえ、雨禍に襲われて避難した経験がないから窓越しに眺めるなどといった余裕も生まれるわけで、ようやくテレビが頻繁に映すようになったニュースと窓の外のこれからを重ね合わせると訪れる夜は不安になるだろう。

 ベランダの物干しざおをフックから外し、斜めに立てかけた。棒は雨風に震えて滑り落ち、ベランダの人工芝の摩擦でようやく落ち着いた風情になった。窓の外ではこれからの夜に向けた準備運動のように、木は体をゆすって雨は勢いを増している。喫茶店の客は少なそうだが、私が喫茶店を出るころにはおそらく歩けないほどに風も強まるだろうか。陰々と部屋にこもり、猫のように眠気で重くなった体を引きずって、私は飲み物を取りにいく。
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・後ろめたいお酒

2018年07月14日 | コラム
 雨が降り続いていた。七時に閉まる喫茶店を出て、来た電車に乗り一駅で降りる。せいぜい十五分かそこらで雨足は強まり、大粒の雨滴がシャツに落ちた。駅前広場のひさしから数メートルの、道路を超えて店のドアを開き滑り込んだ数十秒で肩口はすっかりと湿ってしまった。手書きの看板で「酒」と書かれた看板が内側からぶら下がったドアの取っ手を引くと、ドアは外側に開いた。
 昼間は喫茶店、夜はバーになることは前々から聞かされていたものの、遠目からライトを絞った店内を見ていると店が開いているのかそうでないのかもわからない。薄暗い店内ではアン・リリーのCDが流れ、禿頭の店主が一人カウンターで池波正太郎の『侠客』文庫版を読んでいた。私の姿を認めると、店主はカウンターの向こうへ回りメニューを差し出した。看板と同じ字体の手書きだった。

 何もたべていなかったので、つまみにきゅうりを注文する。何だかんだ一人でカウンターに座って、こうした形で飲むのは初めてなので緊張していると、店主は「気を使い過ぎなんだよ」と笑った。話が途切れると窓の外から駅前を眺める。だんだんと小集団が出来て、若い男女がとりとめもなく固まっている。「学生さんだね」「毎日こうですか」「そうだよ。でもサラリーマンなら毎日飲むでしょ」「いや、それは」

 見下ろしながら話を続けていると、学生らしき男の一人が地べたに大の字で寝ころんでいた。友人らしきグループの中にいた、灰色のワンピースを着た女が彼を跨いで別のグループへ混ざりに行った。彼の顔には白い布がかけられ、黒い服を着て今は手足を揃えて棒のように倒れている。大丈夫なのだろうか、と呟くと、主人は「大丈夫でしょ、若いんだし」と一蹴した。
 二杯飲んでから店の細い階段を降り、ラーメンを食べて帰ろうと横目でそばを通り過ぎると、彼はシャッターの降りた宝くじ売り場の壁に寄りかかり、うつむいて眠っていた。
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