えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

碼頭姑娘((mǎ tóu gū niáng) 『還願』挿入曲「港のお嬢さん」 意訳

2021年04月25日 | 雑記
※明らかな超訳です。ご笑覧いただければ幸いです。

大海滿是波浪    海は波しぶき
不見船入港     港に船はなく
她站在碼頭     埠頭にわたしは立って
遙望著北方     遥か北を眺めている

青絲飛上白霜     わたしの黒髪が白くなっても
心還惦著他      心にはあなた
信裡沒說的 那句回答  手紙にはいつまでも 書かれない返事

傻傻的姑娘戴一朵花 等著他回來呀 髪に挿頭したお嬢さん 無邪気に待つの
小小的嘴 藏不住話        小さな唇に たくさんの言葉秘め
都唱成情歌呀           恋を声に乗せた

青山依舊 歲月如常 也不見她悲傷  山は昔のまま緑 としつきは過ぎても
有情的人 別問她 你還願意嗎?   同情するなら 聞かないで
                 まだ待つのかと

大海滿是波浪  波立つ海に
不見船入港   船は来ない
她站在碼頭   波止場でひとりきり
遙望著北方   遠い北へ思い馳せる

青絲飛上白霜     髪が白くなろうと
心還惦著他      心にはあなた
信裡沒說的 那句回答  手紙には 白紙の返事

傻傻的姑娘戴一朵花 等著他回來呀 髪に挿頭したお嬢さん 無邪気に待って
小小的嘴 藏不住話        小さな唇に たくさんの秘め言葉
都唱成情歌呀           歌う恋がこだまする

青山依舊 歲月如常 也不見她悲傷  山は昔のまま緑 としつきは過ぎても
有情的人 別問她 你還願意嗎?   同情するなら 聞かないで
いつまで待つのだろうと

傻傻的姑娘戴一朵花 等著他回來呀 髪に挿頭したお嬢さん あえかに留まる
小小的嘴 藏不住話        小さな唇に たくさんの言葉を詰めて
都唱成情歌呀           忍ぶ恋を歌う

青山依舊 歲月如常 也不見她悲傷  山は昔のまま緑 としつきは過ぎた
有情的人 別問她 你還願意嗎?   同情するなら 聞かないで
                 いつまでも待つのかと

若有來世 你還願意嗎?  生まれ変わっても また待つのだろうか
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・益体もない疲れ

2021年04月24日 | コラム
 行きつけの店のほとんどが午後十二時開店となり、駅まで歩いて電車を待ち各駅停車で三十分の時間を大まかに引き算してから家を出る。朝は遅い。いつの間にか家族が黙っていなくなっていることもしばしばで、逆に私がいなくなっていることが夜になるまで気づかれないこともしばしばある。5月を飛ばした6月のような暑さを含む晴天に欅の若葉が眩しく黄緑色に翻る下で、幼い子供を連れた親子連れ三組みがそれぞれ砂場、滑り台、ブランコで子供を遊ばせていた。子供の視線は砂を見ていたり、他の子供を見ていたり、ブランコの鎖を握って母親と笑い合っていたりと三者三様で、その中を通り過ぎる他人は他人でしかなかった。背もたれのないコンクリート製のベンチにリュックサックや水筒が置かれている。店の開店直後に着いた。
 用事を済ませるついでに立ち話に花が咲いて気がつくと一時半を回っていた。もう一つの行きつけの喫茶店ではまだ限定のランチが残っており、注文すると厨房から威勢のよい油の泡が弾ける音が沸き立った。病気のなんやかんやで客足は減るものの途切れない。以前は一時半をすぎればランチだけを過ごした女性陣と入れ違いに「完売です」の看板が表に出され、私は看板の脇を過ぎて飲み物とちょっとした甘味を頼む。今日はランチの後に手作りの甘味も頼んだ。「作るのが面倒なので、気が向けば」とマスク越しでもにこやかな店員の作る食事は精進料理を研究したとかで、魚や肉や乳製品が殆ど使われていない。それでいてでこぼこと角ばり黒ごまが映える揚げ物は胃に収まりが良く、味付けも濃すぎず薄すぎず胃が満たされたという気分になる。「素材のおかげですよ。今日はおいしいキャベツとセロリが入ったから」と笑う店員の料理する手を見てみたい。
 時間が遅いので私よりも先に入っていた客たちが少しずつ店を出る。店員と私はぽつぽつと時事やゲームや料理のことなどを互いにマスク越しで喋る。喋らないおかげで体に言葉が溜まりすぎている自覚が過ぎる頃には三時間が過ぎていることもざらで、その静かな時間に消費された疲れは帰りの電車のあとから緩やかに頭へ広がってゆく。誰かと喋ることすら、現在は贅沢にあたる。
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・『レオノーラ』雑感

2021年04月17日 | コラム
 女性がひとりで自分のために生きようとすることの難しい時代、さらに絵筆で身を立てようとする試みは無謀にも等しいだろう。だから一九一七年生まれのレオノーラ・キャリントンは絶妙な過渡期に世へ現れたのだと思う。イギリス王室への謁見が認められるほどの名家に生まれながら、奔放な馬のように家を飛び出して絵筆を握り、マックス・エルンストとの出会いが彼女のその後を決定づけた。それでも美しくなければ、若くなければ、さらには本人の知ってか知らずか、父親の運営する巨大企業と母親の密かな金銭の支援がなければ、彼女は思うように生きられなかったのかも知れない。ジャーナリストのエレナ・ポニアトウスカの小説『レオノーラ』が直接のインタビューを始めとした資料の膨大な裏打ちを作りつつも、事績を直接記す伝記ではなく小説という形でレオノーラ・キャリントンという女性を描くことに成功しているのは、レオノーラ本人から直接言葉として得られないつながりを埋める想像が楔として主張しすぎず働いているためだ。

 主人公の「レオノーラ・キャリントンという女性」は家族と口論しエルンストと愛の言葉を囁き交わし、親友のレメディオス・バロと幻想の世界に遊ぶ。そこに生じている細かな言葉のやり取りはポニアトウスカの想像の産物だ。事実の裏打ちにも限界がある。想像が至らなければ綻びる。話運びのためにセリフを言わされた登場人物はいない。これほど会話の量が多いにも関わらず、伝記と錯覚するほどポニアトウスカの想像は精密だ。それは創作ではなく、ポニアトウスカが吸収したレオノーラ・キャリントンという女性の肖像画でもある。

 レオノーラ・キャリントンの大きな事績としてはシュルレアリスム運動に参加して、同時代のレメディオス・バロやレオノール・フィニらと男性陣とはまた別の世界を作り上げた画業だろう。日本では一九九七年に個展が開催されたことをきっかけに広く紹介されている。
シュルレアリスムの大家であるマックス・エルンストやアンドレ・ブルトンたちに才能を認められた彼女は、特にエルンストと深く愛し合い浮名を流した。
二人きりでフランスに暮らしてエルンストの本妻に引き離される様子はキャリントンの小説『リトル・フランシス』にまで昇華されている。『レオノーラ』においても二人の関係は取り上げられているが、二人の愛し合う時間の頂点は『リトル・フランシス』のほぼ移植で賄われ、とちらかといえば関係の進行を時系列とともに第三者の批評混じりの視点で軽く触れられており、本格的に文章が生き生きと動き出すのは三十八章の「レメディオス・バロ」からだ。ここから『レオノーラ』は男性たちや両親に知らず識らず守られていた女から脱皮して、自分を表現する手段に過ぎなかった画業は現実の世界に評価として組み込まれ、地に足をつけて目を開いてゆく。

 気がつくと息子たちは成人し、ポニアトウスカも深く関わったメキシコの学生運動「トラテロルコの夜」に自分は若者の煽動者として糾弾される立場になり、社会に組み込まれたレオノーラ・キャリントンは成熟した大人として老いていた。とくに具体的な描写が書かれているわけではないが、この老いの姿が美しく文字から現れるのはポニアトウスカが女性だからこその仕事だと思う。それでも若い頃のようにあちこちと飛び回るしなやかさは落ち着きに変化していた彼女を最後の最後に少女が馬へ変じて連れ去ることで、ポニアトウスカはこの一連の言葉が「お話」であることを宣言しつつ本を終わらせる。息継ぎ無く書ききった後味の爽やかな稀有な本だと思う。
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・『還願』雑感 ※ネタバレがあります

2021年04月10日 | コラム
 かつて『返校』を勧めてくれた知人に『還願』の再販を伝えると喜んでその日に購入したと報告があった。それきり音沙汰が無かったので忙しいのだろうと放っておき、年度末の慌ただしさに紛れて話題にする余裕も無くなっていった。少し余裕が出来たので会話の合間に『還願』へ触れると、返事は「予想以上に怖すぎてまだクリアしていない」とのことだった。日常の延長に恐怖が待ち構えていることが怖いのだという。

『返校』は序盤から主人公は幽鬼達の待ち構える奇妙な世界へ巻き込まれてゆくが、『還願』の始まりは古めかしい雰囲気の自宅でテレビを前にした夕食というありふれた光景だ。けれども家族が家からいなくなるという静かな異変を皮切りに、安心をもたらしていた家庭は主人公の手の中から壊れて失われてゆく。

 アパートの一室である自宅の玄関を開くと、他の部屋や階段、エレベーターがあるはずの廊下は壁に挟まれた一本道となり、道の奥は暗い。先へ進むと何故か出てきたばかりの自宅の玄関の前に戻っている。家に入り直しても誰もいない。廊下で見かけた赤い傘と赤いチャイナドレスの幽霊を振り切って家を探し回っても、求めるものは見つからない。一方で脚本家である主人公のスランプと、スランプを克服出来ず困窮に悩まされる家庭と、原因不明の病に苦しめられる娘、と、過ぎたはずの波風がまた主人公の前へ時に象徴的に、時に直接的に現れる。プレイヤーは彼の視点から三人家族のもつれを眺めさせられる。

 無論、不意に登場する幽霊や突然閉まる扉、振り向くとこちらに近づいているマネキンなど、音や映像で怖がらせたり驚かせたりする仕掛けはむしろホラーに慣れている人ならば素直に現れすぎて微笑ましいのかも知れないが、変に捻くれずにじわじわと迫る怖さを本作は直球に投げつけてくる。家を壊してしまった原因そのものは、怪異ではなく私達の日常にも続いているようなある行いなのだ。むしろ怪異によって和らげられているのではないかと思うほど、切実な苦しみにプレイヤーは苛まれる。それが世界中で『還願』というゲームのお話が読み続けられている理由だと思う。

 知人にどこまでゲームを進めたのかを尋ねると口を濁した。まさかソファから立ちあがって部屋から出ていないという ことはありませんよね、と聞くと、「いや、出たら怖いことが待っていると分かっていても出られないんです」と素敵な返答をいただいた。次に会う頃にはせめてドアを三つほど開けてほしいと内心願いながら、実況動画でお茶を濁したいという知人の気持ちもわからなくはなかった。知人は「アクションはホラーの緩衝材だと思います」と締めくくった。
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