七年と五か月。
灰色のスカーフを首に巻いたカウンターの受付嬢はパソコンの画面を見て言った。塗装の剥げてまだらになった赤金色の携帯電話の私と過ごした年数が七年と五か月。それだけの月日を毎日過ごし、つい二日前には旅行の伴をしたばかりの道具を手放すことへ寂しさを覚える客へ受付嬢は「私はすぐ飽きて、二年くらいで機種を変えてしまうんですよ」と笑った。二〇〇八年には装いをこらして四種類発売していたシリーズも八年後の今は無愛想な黒と分かりやすくけばけばしいピンク、そして手もとにある白の三種類と様変わりした。梨地のような赤銅色――私の持ち物の革製品によくそぐった色――に光る機械を前に私は機械の交換を申し込んだ。
寿命のそう長くは無い精密機器と別れる事そのものは頭の隅で考えてはいたものの、旅先で充電が効かなくなりいよいよこれはいけないと、手でも握るように充電プラグと電話機を握りしめる指の痛みに肚は決まった。機械もあまり古くなると記録の引き継ぎも出来なくなる。そもそもこの電話機を作った会社が二つ折れの後継機を作り続けているかも疑問である。ピンホールレンズのようなカメラで撮りためた年月、予定表に記録したその日の行為、電話機同士が受け渡しできる記録の種類は多くは無い。保管庫を外部にでも用意しておけばよさそうなものだが毎月払う額をちっぽけでも増やすのが厭でほったらかしている。使うにしろ使わずにしろ交換できるデータは、そう多くはない。
たとえば撮影した写真や予定表、送受信したメールなど能動的に作り出した記録は受け渡しができるものの、留守番電話に記録された音声やその携帯電話に予め記録されている画像など受動的なものは移すことができない。そんなものを引き継ぐ必要が薄いためだとは思いつつも、生活の引っ越しのように電子データの引っ越しにもあきらめなければならないものはある。それが妙に寂しくなるのは引き継げないデータの一つの、待ち受け画面に使っていたドーナツ君(「ドーナツ・マジック」という名前だった)も原因だと思う。
ドーナツ君は中心に穴の空いたドーナツ型を色々な状況に当てはめた数秒のアニメーションを幾つか表示する待ち受け画面だった。最後はドーナツ型が大きく表示され、ドーナツの両脇に目が開いて終わる。鳩時計の振り子、車のタイヤ、視力検査、クレーンゲームの景品、お菓子のドーナツ、魚、はかりの目盛等々、携帯電話の開閉のたびにドーナツ君は次々姿を変えた。特に十二か月のモチーフを模したものは毎月楽しみで、真っ白な画面に鬱金色の輪郭の富士山の背後から赤い日の出に擬したドーナツ君が現れると一月を思い、リースになって雪がちらつく緑のツリーをドーナツ君が横目に見ると十二月が来ている。いつの間にかドーナツ君はビル群に囲まれながら季節を報せてくれる「たのしみ」となっていたのだった。
けれどもドーナツ君は、誠に残念なことながら、携帯電話の機械に予めインストールされた動画ゆえに運命は電話機と一蓮托生、新しい機械への引き継ぎはできなかった。以前、携帯電話の記録が消えた時に備えてドーナツ君を外部機器へ避難させようと試みた時それが失敗することは知ってはいたものの、改めて機械を挟み左側に前髪を撫でつけたこげ茶色の髪の店員から残念そうに「できないようですね」と告げられれば仕方は無い。
さようなら、ドーナツ君と二〇〇八年生まれの携帯電話君。
灰色のスカーフを首に巻いたカウンターの受付嬢はパソコンの画面を見て言った。塗装の剥げてまだらになった赤金色の携帯電話の私と過ごした年数が七年と五か月。それだけの月日を毎日過ごし、つい二日前には旅行の伴をしたばかりの道具を手放すことへ寂しさを覚える客へ受付嬢は「私はすぐ飽きて、二年くらいで機種を変えてしまうんですよ」と笑った。二〇〇八年には装いをこらして四種類発売していたシリーズも八年後の今は無愛想な黒と分かりやすくけばけばしいピンク、そして手もとにある白の三種類と様変わりした。梨地のような赤銅色――私の持ち物の革製品によくそぐった色――に光る機械を前に私は機械の交換を申し込んだ。
寿命のそう長くは無い精密機器と別れる事そのものは頭の隅で考えてはいたものの、旅先で充電が効かなくなりいよいよこれはいけないと、手でも握るように充電プラグと電話機を握りしめる指の痛みに肚は決まった。機械もあまり古くなると記録の引き継ぎも出来なくなる。そもそもこの電話機を作った会社が二つ折れの後継機を作り続けているかも疑問である。ピンホールレンズのようなカメラで撮りためた年月、予定表に記録したその日の行為、電話機同士が受け渡しできる記録の種類は多くは無い。保管庫を外部にでも用意しておけばよさそうなものだが毎月払う額をちっぽけでも増やすのが厭でほったらかしている。使うにしろ使わずにしろ交換できるデータは、そう多くはない。
たとえば撮影した写真や予定表、送受信したメールなど能動的に作り出した記録は受け渡しができるものの、留守番電話に記録された音声やその携帯電話に予め記録されている画像など受動的なものは移すことができない。そんなものを引き継ぐ必要が薄いためだとは思いつつも、生活の引っ越しのように電子データの引っ越しにもあきらめなければならないものはある。それが妙に寂しくなるのは引き継げないデータの一つの、待ち受け画面に使っていたドーナツ君(「ドーナツ・マジック」という名前だった)も原因だと思う。
ドーナツ君は中心に穴の空いたドーナツ型を色々な状況に当てはめた数秒のアニメーションを幾つか表示する待ち受け画面だった。最後はドーナツ型が大きく表示され、ドーナツの両脇に目が開いて終わる。鳩時計の振り子、車のタイヤ、視力検査、クレーンゲームの景品、お菓子のドーナツ、魚、はかりの目盛等々、携帯電話の開閉のたびにドーナツ君は次々姿を変えた。特に十二か月のモチーフを模したものは毎月楽しみで、真っ白な画面に鬱金色の輪郭の富士山の背後から赤い日の出に擬したドーナツ君が現れると一月を思い、リースになって雪がちらつく緑のツリーをドーナツ君が横目に見ると十二月が来ている。いつの間にかドーナツ君はビル群に囲まれながら季節を報せてくれる「たのしみ」となっていたのだった。
けれどもドーナツ君は、誠に残念なことながら、携帯電話の機械に予めインストールされた動画ゆえに運命は電話機と一蓮托生、新しい機械への引き継ぎはできなかった。以前、携帯電話の記録が消えた時に備えてドーナツ君を外部機器へ避難させようと試みた時それが失敗することは知ってはいたものの、改めて機械を挟み左側に前髪を撫でつけたこげ茶色の髪の店員から残念そうに「できないようですね」と告げられれば仕方は無い。
さようなら、ドーナツ君と二〇〇八年生まれの携帯電話君。