えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

巣づくり

2008年09月30日 | 雑記
ねむる場所も大分本が侵食してきました。
フトンに転がって「ルー=ガルー」(京極夏彦著)なんかひっぱりだして
手首を傷めながら読んでいたら、

父:「これ読んでなかったろ?」

なめ:「何を?」

(ドア閉まる。何かが雪崩れる音)

(ドアの前。なんか分厚い2冊が発端に本雪崩れ発生)

なめ:「(出られない・・・・)」

本をとりあえず積み上げなおして救出。
置いていかれた本は「OO9ノ1」(石ノ森章太郎作)上下巻でした。
アニメ版はキューティーハニーぽくて微妙ですが。
かわいらしいんですけどね。

・・・その前に、本棚置けるスペースが欲しいです。
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余計ものはどなた?

2008年09月27日 | コラム
『11人いる!』萩尾聖都著 小学館文庫

:竹宮恵子が演奏家なら、萩尾聖都は指揮者だ。言い換えるなら、竹宮恵子のもつペンは楽器で、萩尾聖都のペンはタクトなのだ。どちらがよりすぐれているという問いは愚問、作品の性質として竹宮恵子のほうがより、作品に己の心情が映っていて、萩尾聖都はもう少し客観性がある。自分で作った世界観を客観視して、「事件」を作り上げることは萩尾聖都のほうがうわて、と、そういうことが言いたい。

 『11人いる!』は、「ワープ航法と反重力の発見」のち600年後の世界を舞台に、閉じた宇宙船内のトラブルをめぐる一本だ。この宇宙船は、「宇宙大学」の入試の最終試験として設けられたもので、学生達は「10人」のメンバーで宇宙船生活を53日耐えなければいけない。ただし、アクシデントが発生した場合の非常用ボタンを押したら即アウトという厳しいものだ。でも10人いるはずのメンバーは11人…。

 ここまで書いていて状況のシンプルさに驚かされる。密室と謎がふたつ、人数が増えただけなのに理由がわからない、そして試験と言う緊迫感が読者の気持ちにどんどんアクセルをかける。当然宇宙らしい事件も頻発するけれど、萩尾聖都はその「宇宙らしさ」に対して(どんな空想世界においても、なのだが)とても冷静だ。さらっと交わされるメンバー達の会話は、しっかり読むと深い設定に裏打ちされているのだが、作者は設定の割りきりが確かで、必要以上に作品へ設定の細かさを持ち込まないから非常にあっさりと、彼女の描く人間模様だけに読者は引き込まれてゆくのだ。その中身をここでいうのは、あんまり粋なことじゃない。にしても悔しい!!ほんとに完成されていて、ムダがないんだもの。
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あああやっちまった・・・・

2008年09月25日 | 雑記
どんなゲームも作業っぽくなるのは
あんまりにあんまりですよね(いきなり何を
でもルーティンぽくなるとヤク中の猿のように
レバーを押し続けてしまうものです(先が見えた

「ガンスタヒーローズ」のPC版を見っけてしまった。
部屋のTVが壊れていて「ガーディアンヒーローズ」の
出来ない今、買おうかどうか登校中悩んでいる間に、
ペンケースを忘れたことを思い出せばよかったのに。あーあ。

「三国無双3エンパイアーズ」のギャラリーが埋まらなくて、
うっかりコントローラを握ってしまって「あとちょっと、
ここで保存」のタイミングを間違えて
気がついたら3時間過ぎていた。あーあ。

しかもいまさら「3」かよ。あーあ。

ゲームはこわいです。(何を
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やわらかい執念

2008年09月24日 | コラム
『コレラの時代の愛』:ガルシア=マルケス著 木村栄一訳 新潮社

―「思ひ出すとは 忘るる故よ 思ひ出さぬよ 忘れぬは」

:ヒロインフェルミーノ=ダーサの夫、フベナル=ウルビーノがはしごから落っこちるまで何ページあるか数えたら71ページだった。全体500ページ近くから見れば些細な量なのかもしれないけれど、フロレンティーノ=アリーサについて全く触れられない冒頭は潔ささえおぼえる。

 51年9ヶ月と4日、ひとりの女性を愛し続けた漢(おとこと書かせていただきます)の生き様を描くガルシア=マルケスの長編『コレラの時代の愛』が白眉なのは、これが「生涯」を描くものでないことだ。フロレンティーノ=アリーサの「おわり」は本を読み通してもわからない。ぼかし一切なし、書かないことでこの小説はひたむきな恋愛が浮き彫りになるのだ。

 こう、誰かに触れたり、怒鳴りあったり、極端な感情のぶつけあいがなされないので「恋しています!」な暑苦しさはどこにもないけれど、じわじわ鉄板をあぶるようなフロレンティーノの愛しかたは、見ていてなぜかほのぼのしてしまう。あまいのだ。空気が。徹底的に、イロコイごとの甘ったるさも人間も、ドライな視線で描かれているためにかえって、その甘さがちょうどよい濃さで伝わってくるのだ。そこが、読者に対してフロレンティーノの51年を「しつこい」ではなく「すごい」と言わせる大切なものなのだとおもう。

 忘れられない思いは思い出として沈むけれど、既にその人の本質に組み込まれた愛は、時折存在を忘れてしまうけれどことごとく当人の周辺に被害をもたらしてしまう分やっかいだ。フロレンティーノの愛がもたらす、女性たちへの人生のむごい結末、一番大切なその愛の終着点はどうなるのだろう。見えているはずなのに、そこを描かないガルシア=マルケスに歯軋りする一作。
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中井貴一が好みの顔だった

2008年09月22日 | 雑記
意味のないタイトルは大好きです。

思ったとおりとり・みきは好みの線画でした。
「パシパエーの宴」(チクマ秀版社)をタイトル買いしたのですが。
この人をどこで知ったのか、イマイチ記憶がないのです。
たぶんひさうちみちおの漫画のあとがきか何かで読んだのでしょう。

まあそんな感じでまんがを読んでいましたが、話がてんと変わります。

昨日ニューオータニ美術館にて
「アンリ・リヴィエール エッフェル塔三十六景」
観てまいりました。

タイトルでぴんと来る方もいらっしゃると思いますが、
アンリ・リヴィエールは葛飾北斎「富岳三十六景」に
深い影響を受けています。
『エッフェル塔三十六景』は、学芸員ではなく彼が直接つけた
タイトルなのです。
当然、エッフェル塔の魅せ方は富士山の見せ方にそぐっています。
見比べなくてもそっくり、といいますか。

リヴィエールはリトグラフのほかにも、エッフェル塔の写真を
多く残していて、それをそのままリトグラフにしている作品が
あるのですが、これがわりといい。
エッフェル塔を直線の組み合わせで、平面におとす線の太さが
ちょうどよいのです。

アンリ・リヴィエールの写真は以前、確か東京都美術館だったと
思いますが、「パリ展」をやったときに一緒に来ていた時に観ました。
その時はリトグラフが来てなかったのですが。

リヴィエールの絵自体は、そこまで卓越した技量かというと
卓越しているのです(おい
だって自分で、日本の木版刷りを再現しちゃったくらい、
日本の線に想いをはせた人なのです。
ジャポニズム、とひとくくりにしてしまうには、
あまりに日本的なフランスを描くことができる技量は
当世の逸品といってもいいでしょう。

ずたぼろの格好でニューオータニに突撃した甲斐はあったと思います。
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うろうろと

2008年09月20日 | 雑記
迷いながらちょっとずつ進もうとおもっています。
文章はむつかしい。

写真はおかし形ストラップです。
「次郎長三国志」を観にいった帰りに
今日から明日までやっている、
東京造形大学の学生自主製作展でかいました。
こちらの学生さんがつくっている
「Baby Soap」のスイーツもので、他にもマカロンとか
クレープとか。生クリームが苦手なのでリアルではたべませんが、
クッキーに負けて購入。

さすがに売ってるものがいちいち可愛くて、他にも
浜辺に落ちている、摩滅したガラス片を使ったイヤリングを
その場で作ってもらったりしました。
ただ、調子にのってすぐにつけたらつけたばかりの石が
取れちゃって残念です・・・。

おもしろかったのが、秋田ゼミの展示「DOKI DOKI」展。
Tシャツに「どきどき」するシチュエーションをプリントして
飾る、という展示なのですが、
「DANSHI」
「JYOSHI」
にはじまり
「KARESHI NO HEYA」
とか、あまずっぱいの。
「MEGANE DANSHI」
「ichya ichya(いっぱい)」
とか・・・。

んで、一枚500円なのでこんなのを買ってみました。

「hira hira SUKAATO」

ひらひら~。
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帰還しました・・・

2008年09月18日 | 雑記
帰ってきました。
結局合宿場所ではPC使えたのですが、

飲み会→課題→発表→飲み会(以下略)

頭ぐらぐらで携帯電話の液晶画面見てるだけでも
死にそうなのでPC持ってかなくて正解かもです。

向こうは今日以外晴れていて、でも合宿所から一歩も
出られなくて、かごの鳥気分でした。
宿の正面に湖があって、対岸に道の駅(確か「かつうら」だったと)の
尖塔がうっすら見えて、えらくきれいだったのに、
撮った写真があんなのしかなかった。

ざんねんです。

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ギリギリパート2

2008年09月15日 | 雑記
明日から三日ほどゼミ合宿なので、
しばらく更新お休みします。
山の中なので携帯電話からの更新もむつかしそうです。

こんな僻地でも覗いてくれるかたがたに感謝です。

ではでは。。
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ギリギリ

2008年09月14日 | 雑記
ふっふっふ。やってしまいました。
(えらそうに)

前々回の記事で「ポーの一族」等が『白泉社』から出てるなぞと
ぬかしておりましたけれども
正しくは『小学館文庫』でした。背表紙読みなさい私。
そしてごめんなさい。

さて、懲りずにまだ萩尾聖都の「とってもしあわせモトちゃん」
「イグアナの娘」「ゴールデンライラック」を購入。
ツルツル脳みその都合でまだ「とっても~」しか読んでいませんが、
やけにデジャビュ…。
フカフカのみどりのいきもの「モトちゃん」と、
三頭身の男の子「ジョニー・ウォーカー君」のほのぼのした
日常なのになんでバイオレンスな連想(ボディーブロー、頭上から鈍器、
乱闘、病院送りなどなどなど)が浮いてくるんだろうと、
原因を探るため脳みその都合を疑りながら部屋をかき回していると

あった。

「パンク・ポンク」(小学館・たちいりハルコ作)でした。

ジェンガ状態の中から探し当てて見比べると、
絵はそこまで似てなかったのですが(^^;
ふかふか+三頭身のやりとり、で結びついたようです。
単純・・・・。
「パンク」の方は、ふかふかウサギ(でかい)「パンク・ポンク」と
みつあみ女の子「ボニーちゃん」の日常なのですが、
内容は似ても似つかない、
どころか萩尾聖都の作品にはまずありえない

下品&暴力ネタ満載

のギャグマンガです。方向としては室山まゆみよりは
土田よしこ(赤塚プロ出身)寄りだと思います。
髪切りデスマッチでヒロインがボウズなんて甘い方で、
貯めた屁でガス爆発して警察沙汰、食中毒ネタも多い・・・
と書くと絵がヘタそうに思われるかもしれませんが、
絵はかわいいです。むしろ上手い方。
序盤は先の「とっても~」に影響を受けてるかもしれませんが、
だんだんギャグ向きにかわいくなってゆきます。

すごくおすすめなのですが単行本は絶版、セレクション版が4年前に
出たきりなので、もし目に留まったら一読してみてください。
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パエリアたべたい(まだ言ってる)

2008年09月13日 | 映画
鶏肉、魚、そして蟹』:ホセ=ルイス=ロペス=リナレス監督 
2007年ベルリン国際映画祭、トライベッカ映画祭正式作品
87分
新宿バルト9にて公開中 


:空きっ腹を抱えてバルト9の8番シアターに座り込むと隣から、
意地の強そうな、それでいてふんわりしたスカートをはいた
OLぽい女性の抱えたカップから凶悪なくらいポップコーンの
味のついた油がにおってきた。食べ物の映画を観るまえから
食べ物でトドメ刺されそうだった。

:『鶏肉、魚、そして蟹』は、
世界最高峰の料理コンクール”ボキューズ・ドール”に挑む
スペインのシェフたちを撮ったドキュメンタリーだ。
彼らの苦労のほかにも、他国のシェフに取材した時の話や、
材料の出所云々含め、いろんなカットがうまくまとめられているのに加えて
音楽のセンスが、会話でまったりした身体をほどよくほぐす程度に
明るくて観やすいつくりとなっている。

鶏の産地で、巨大な鶏の像を前に、
「あの像のおかげで町は発展したのよ。
トラックや車も止まって写真を撮るの」
みたいなコトを語るおばあさんの言葉に乗せながら、
おもいっきり前を通り過ぎてゆくトラックのシーンとか、
ちょっとしたひねりもいいが、やはり目を惹くのはコンクール当日の映像だ。

主役のシェフ、ヘスス=アルマグロ氏は当然緊張している。
その緊張がしかたのないものだということは映画を観るうちに
わかる。けれど、料理の手順にかかるショット、わざとコマ送りの
ように一時停止しながら進んでゆくのだが、アップにされる
おでこの後退した彼の顔を、観ていても緊張しない。
あ、たのしいんだな、それだけが押し付けがましくなく伝わってくる。
あとこのヘススというひとは、別に役者ではないのだけれど、
料理について他のシェフの意見を聞いているときの
笑っている形をしながらもぎゅっと結んだ口元が、どんなときもあんまり
動かない眼球が意外とすなおにモノを語ってくれるところが面白い。

:さて肝心の料理だが悲しきかな、美食学に縁のない書き手には
作ってる途中の方がおいしそうに見えてしまった。うーむ。
けどヘススが母親といっしょに食べていた直フライパンのパエリアに
胃袋を射抜かれ、友人と夜中の新宿をさまよったけれど、
スペイン料理が都合よくみつかるはずもなく。
結局、サフランの黄色にだだをこねたくなる夜を迎えた。
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