えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・ひもをくくりつけて

2016年03月26日 | コラム
 背が低いので町に紛れ込むと視線は誰かの背中の中ほどにうずもれる。手提げかばんを腕に掛けると重みで下がった腕から伸びるこぶしは大体人の腰から上に当たる寸法となるのでかばんを肩にかけて手ぶらで歩いている時、手を気持ち前へ出してひもを握る要領で空中へ手を丸めて前を歩く人の背中の腰骨に合わせて浮かせると前を歩く人の腰に巻き付いた紐を握って散歩をしているような気分になれる。飼ったことの無い犬の散歩はこのようなものなのだろうかと、たまさか通りかかる犬連れの手元を見るともう少し手は低い。連れている犬が小型か中型のせいもあるだろうか。すると人間の腰骨の辺りで引き綱をひっぱる犬は大型犬にあたるのだろう。

 見えないひもは背中と私の間に空いた空間にたるみ、背中が早足になるとひもは無限に伸びて私はそれを引き締めることもなく背中が歩くままに任せている。私の行き先から背中が外れたらひもも外れ、新しい別の背中へ巻きつけてまた中空へ、少しかしいだこぶしを浮かべて「そうかそうか」と内心でいい加減なことを呼びかけながら目的地まで次々に背中へひもを架けかえながら歩く。犬の散歩もどきと名付けているのだと知人に話すと、知人は「腰に付けた紐を持って後ろから歩くのは監獄の看守ではないか」と的を射た納得を得た。それでもなんとはなしに見えない紐を知らない誰かへ括りつけて背中を眺めながら何食わぬ顔をして歩いていたくなる。
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・動く点景

2016年03月12日 | コラム
マンションとマンションの角の間で空色に光るシリウスからオリオン座の左足に辿り着き、さらに右肩を抜けて赤い星を角先に光らせるおうし座が西の空へ去ってゆく。去ってゆく、ということは夜を明け渡して昼間の空へ場を移すということで、春の陽光を浴びにおうし座はおひつじ座やオリオン座を友連れに二月の終わりから三月の終わりにかけてじっくりと昼空への移動を始め、二月半ばの日没後六時か七時頃は左のマンションの頂点にかかっていたおうし座たちは二月終わりの同じ時間により西へと場を改めて天頂に光る。

花曇りの三月にふとした気まぐれで晴れた夜空、まだ彼らが残ってくれている夜道を顎を上げて目薬のように光を目に差し入れながら歩いている。地上にあるものを表皮に括り付けられるほど凄まじい速度で地球の方が回転しているのだそうだが、電車で行き来する家と会社の位置が帰宅する度に数センチずつ移動して気づくと日本の土地からはみ出て海に落ちてしまうことは無いのでむしろ、地上から見上げる空の方が模様を付けたカーテンを引きあけるように動いていると感じてしまうのは仕方がないのかもしれない。

歩いてしばらく道路を三本通り抜けるとぎょしゃ座の足が公園の真ん中に立つ欅の大木のてっぺんに輝いた。おうし座のアルデバランの赤い光を西に見送り星座早見盤を春へと回し直す。日を追うという文字通り春の日の光を目指しておうし座は西を目指し、その後に控える夏の日差しを待ちうけるしし座のレグルスとかに座の星団が夜風にくるまれて春の夜の中天へ浮かび上がってくる予定だ。時々雲間から東の空に光る何かを目を凝らして、飛行機でないことを確かめて、ほっと息を吐くと右肩の後ろにシリウスが冬の名残の光を投げかけていた。
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