・懐旧の古本屋
「ビブリア古書堂の事件簿」は文庫初出でありながら初めて本屋大賞にノミネートされた、
4編から成る短編集である。
作者三上延が大切にしてきたもの、ことを、思い出に酔わず架空の舞台へ仕上げた一作は、
年経た古書の静謐な空気に満ち溢れている。
てらいもなくその空気を作品へつなぎとめるのはヒロインの古書店店主、
篠川栞子の妖精のような透明性だ。
本好きで当然のように内気な佳人栞子は、その穏やかなまなざしで
持ち込まれた古書の含む秘密を鋭く、精密に見抜いてゆく。
一方で主人公の五浦大輔は、読書が苦手で本とは縁遠い生活を送る青年だ。
しかし、苦手な故に本への強い興味を持つ彼を栞子のパートナーにすることで、
本の内容や価値を読者へ適度に理解させる書き方はうまい技巧だ。
各話に登場する
『どれもぼくにとって愛着があり、なにかしら思い出のある』(「あとがき」)
作者の本達は、背景や価格などの詳細な情報を織り交ぜつつ、栞子の言葉で簡潔に表現される。
『「そうですね……この全集は廉価版として作られたものなんです。(中略)
でも、註や解説は充実していますし、装丁も綺麗です。
珍しくはありませんが、いい本だと思います。わたしは好きですよ」
まるで知り合いを誉めるように彼女は言った。』(p45)
本を渇望する五浦は栞子の白い手に導かれ、字を追うことなしに本と関わることとなる。
その関わりのひとつひとつが連続する流れは程よく緩やかだ。
優しさゆえの欠点も含めて丁寧に創りあげた栞子を起点に、全ての話は淡白に整頓されている。
古書の過ごした時間を軸に編まれた北鎌倉の舞台と物語は、
かつて古書店に勤めたという作者の箱庭なのかもしれない。
「事件簿」という文字へがっちり入り組んだ謎解きや濃厚な人間関係を求める人は、
作中で紹介される本をつまめばよいだろう。
五浦のように、大人になってからあらためて本を読み始めたい人のために、
ビブリア古書堂の入り口は開いている。