何かを書くと言う事はたとえ架空のことでも自分のかけらを外に出すことであり、そこに自分がいない文章はいない。という前提は一見文章や会話を自然言語で構築するAIの登場で覆されたように見える。けれどもAIは人間という原料がいなければ動かない。言ってみればこの機械は人間を燃料に動く機械であって、人間がいなければ当然ながら存在意義やデータという動力源を失う。そしてこの機械は人間が野生動物を家畜へ都合よく飼いならしたように、人間を自分の原料としてよりふさわしい方向へ変えてゆく。ただし、今のところその変化をもたらそうと判断する権限は人間がまだ握っているので、人間が人間を変えてゆくという構図はたいして昔から変わっていないだろう。
それでも人が直接やり取りする人と人との関係の数は減り、介在という行為そのものがしょうばいになり、さらにそのしょうばいは効率化され過程の見えない「ブラックボックス」に織り込まれてゆく。見えない過程を読み解く作業は人の心対言葉で行われてきたが、そう遠い話ではなく、人の心対人の心を操る機械対言葉対人と大量の交渉人を挟みいつしか、自分が話している主体と自分の主体すら己にはわからなくなるのかもしれない。
それはそれで新しい人生であり、新しい人生から加齢という形で徐々に人は退場するようにうまく、とてもうまく出来ている。
二〇一八年はいかがお過ごしされましたでしょうか。言葉が年を経るにつれて短く、また軽く、意味も薄まるただなか、未だにインターネットへ長文のブログを掲載できる場が存在することはまだ運があると言う事なのでしょうか。いつかはサーバのバイト数で掲載文字数も知らぬ間に切り詰められる日が来る、或いは唐突にサービスが終了するといったことも起きるでしょうが、少なくとも今年一年は文字という形のサービスが保たれたこと、そして来年もまたこうして自然言語のツールがあり続けることを願いつつ、今年一年の納めといたします。
あと少々の今年をよく過ごされつつ、よき来年がそれぞれの皆様へ訪れますように。
それでも人が直接やり取りする人と人との関係の数は減り、介在という行為そのものがしょうばいになり、さらにそのしょうばいは効率化され過程の見えない「ブラックボックス」に織り込まれてゆく。見えない過程を読み解く作業は人の心対言葉で行われてきたが、そう遠い話ではなく、人の心対人の心を操る機械対言葉対人と大量の交渉人を挟みいつしか、自分が話している主体と自分の主体すら己にはわからなくなるのかもしれない。
それはそれで新しい人生であり、新しい人生から加齢という形で徐々に人は退場するようにうまく、とてもうまく出来ている。
二〇一八年はいかがお過ごしされましたでしょうか。言葉が年を経るにつれて短く、また軽く、意味も薄まるただなか、未だにインターネットへ長文のブログを掲載できる場が存在することはまだ運があると言う事なのでしょうか。いつかはサーバのバイト数で掲載文字数も知らぬ間に切り詰められる日が来る、或いは唐突にサービスが終了するといったことも起きるでしょうが、少なくとも今年一年は文字という形のサービスが保たれたこと、そして来年もまたこうして自然言語のツールがあり続けることを願いつつ、今年一年の納めといたします。
あと少々の今年をよく過ごされつつ、よき来年がそれぞれの皆様へ訪れますように。