えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

仕事人(『BABEL展』)

2017年06月24日 | コラム
こまやかな線描の数々を「不思議ね」「面白いね」と楽しむ声を背に会場を出る皆の前に「なにか」は現れる。
人はとりあえず出くわしたそいつにカメラのシャッターを切る。フィクションの生物を現実の場に不格好な形で
持ってくると、シュールな状況が完成することは分かり切っているがそれにしても、お前のいる場所は贅沢だ、タラ夫。

寸胴の魚の口に目の死んだ魚をくわえさえ、尾びれの辺りからすね毛をばっちりはやした太い足を二本生やすと
タラ夫が完成する。ピーテル・ブリューゲル1世の名画『バベルの塔』を中核に据え、ヒエロニムス・ボスの
真筆の油彩画二点を脇侍に15世紀から16世紀の木彫、絵画の総計90点を展示する東京都美術館の展示『BABEL』の
まとめがタラ夫だ。ツイッターでは宣伝を担当しLINEではスタンプになり、主にWEBの世界で『BABEL』を紹介するのが
彼の役目らしい。すごいぞタラ夫。駅の看板一つを占領する『バベルの塔』の巨大なポスターの時点で十二分に
宣伝効果は発揮されている気がするがえらいぞタラ夫。看板の説明文を読む限り時間帯によっては動いているタラ夫と
記念撮影ができるらしい。せっかく上野くんだりまで足を運んだのだからどうせならパンダと会いたいところだが、
タラ夫はガラスの檻なしに近くまで来てくれるサービス精神の旺盛なやつだ。だからどうした。

タラ夫はブリューゲル1世の『大きな魚は小さな魚を食う』という寓意画の版画出身で、マトリョシカ式に口へ魚を
詰め込み続ける魚に交じり画面左上部にひっそり魚をくわえて上陸している。脈絡はない。画中の人々がタラ夫を
気にしている様子はない。淡々とその日の糧を得るために魚を取ったり、寓意の象徴だと別の魚へ目を向けている。
見ないふりをしているのか、ボスに影響を受けたブリューゲル1世の版画ではよくあることとして諦めているのかは
定かではない。『聖ヒエロニムスの誘惑』からやってきましたと言われるほうがまだ自然に聞こえる。とまれタラ夫は
版画から脱走し、色を付けてもらって愛嬌のあるような顔つきに線を丸められて立体化した。そして海洋堂の手により
フィギュア化も果たして物販売り場に場所を取っている。ただしそれはタラ夫そのままの姿ではなく、原画に忠実に
なおかつ本物の魚らしくつくられている。一体何者なのだろうか、そしてこのまま『BABEL』の展示専業の宣伝屋である
彼に東京都美術館はこれからもチャンスを与えるのだろうか。心配になるようなものを展示の締めくくりに置かないで
いただきたいものである。
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・気が向いた読書

2017年06月10日 | コラム
 図書館であてどもなく本を選びながら疲れている、と思った。文字が頭に入らないという表現があるがその通りで、形として『落語の言語学』という文字は目に入るが意味は頭に入らない。本を開いて文章を頭に詰めようとしても文字は文字のままで文章として頭は理解しない。本を閉じる。落ち着かずに書棚を眺める。何か読まなければと知らないプレッシャーに駆られて本を手に取る。ハヤカワミステリのアガサ・クリスティー文庫を数冊、脚立に上って抜き取った。疲れている時に好きな本はあまり読めない。中村妙子訳の『火曜クラブ』や、清水俊二訳の『そして誰もいなくなった』は持っているものの何かが重くて読めない時がある。そういう時だった。

 既に読んだが中身を忘れた『第三の女』、読んでいない『雲をつかむ死』、邦題は違うが『End House』の文字が見える『邪悪の家』を抜き出した後、下の棚で茫洋とした頭は新潮文庫版の『カラマーゾフの兄弟』上巻と下巻を取り出した。随分前から友人たちの間で流行っていたものの、それこそ物理的な重さと名前の重さに躊躇した本を見直して思った以上に短いものだと手にして図書館のカウンターへ向かった。カウンターには予約していた『ポケットにライ麦を』が待っていた。

 出かける道連れに『第三の女』と『カラマーゾフの兄弟』を持って行った。冒頭を手探りで捲るとこれならなんとか落ち着きそうな気配がした。本を閉じる。『第三の女』を思い出し思い出しながら読み終えた。その後気まぐれに、まだ読み切ってもいないのに他の訳書を探そうと『カラマーゾフの兄弟』をインターネットで調べると、新潮文庫版の訳書がトップに躍り出た。そこには『カラマーゾフの兄弟 上・中・下』という文字が並んでいた。中古はなかった。仕方ないので河出書房新社版を上下巻そろえ、ため息をつきながら枕頭に置いている。読めるかどうかは分からない。
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