コンピュータゲームを遊びながらふと手もとに目を落とす。だいたいの場合、据え置きと呼ばれるタイプの機器にはつきもののコントローラが握られている。ボタン一つ一つの動作に対して電気信号が本体に送られ、CDやカートリッジやDVDに記録されたプログラムが信号を受け止めて処理し、結果をモニターへ反映する。
テキストエディタに特定の英数字でさまざまな条件を論理的な整合性に従って組み立ててゆくと、システムという魔法円が出来上がる。書かれたプログラムは入力されたあらゆる内容を忠実に反映する。それは当然ながら、書き手の間違いをも如実に再現する。余計な記号ひとつ記入するだけで全体が動かなくなる。気付いて間違いを直し、曲りなりにも全体が一定の規範に従って書き手の設計図通りに動き出しても油断はできない。プログラムを組む側が想定していなかった命令が遊び手の手によって下された時、システムが思った以上の何かを返し、ゲームを変えてしまう可能性があるからだ。
「想定していなかった命令」への対策はたとえば、それがなされた際全て「間違い」として扱い、その操作を受け付けないようにしてしまうことがひとつの方法だ。Aという操作のみをして欲しい場合、「操作A以外の操作がされた場合は命令を受け付けない」と命令すればA以外の行動を行うことができなくなる。
だが、記録媒体の容量による制限や、他のプログラムとの掛け合いによって、綿密に組まれたはずのプログラムに「穴」が生じてしまうことはある。そのためゲームには「デバッグ」といって、わざと与えられた条件以外の操作を試すことで穴を見つけ出す作業の工程が存在する。それがゲームの進行に与える影響が深ければ、穴は塞がなければならない。けれどもその穴がゲームをより面白くする可能性を秘めていたらどうか。敢えて穴を残す、あるいはゲームのルールへ新たに加えることで面白味を増やすという方法もまた一つの答えである。
穴がプレイヤーに発見された時、それが「障害」と呼ばれるか、「裏ワザ」と呼ばれるかどうかは、プログラムの処理に応じた「穴」をきちんと処理しているか、そしてゲーム自体を作り手がどうとらえているかという視点を教えてくれるものなのかもしれない。