えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・『おむすびの転がる町』雑感

2020年04月25日 | コラム
 地元の啓文堂書店に『枕魚』が入荷されていたのは五年も前になる。それからほぼ毎年一冊、ペースを落とさずにPanpanyaの漫画は分厚いページ数と共に前の年の決算のような月に発売されるようになった。今年四月に発売された七冊目の単行本『おむすびの転がる町』も、他の本に負けず劣らずページを抱えて膨らんでいる。安定したペースで今年も買うことが出来たことがまずは嬉しい。
 ボールペンで書き込まれるPanpanyaのコマの密度は年々整頓され、街中で拾い集められた物たちは渾然としながらもお互いの距離を適切に取るようになり、空気が通り抜けられるような間隙が生まれている。それは書き込みがより深まり、コマひとつに深く体が入り込めそうなほどの奥行きともなっている。物のためには空すら邪魔だとばかりにPanpanyaの作品に登場する地下街は街の体裁を持ちながらも箱庭のように閉じられ、空が目に入らないほど街に集中する時の周囲は見慣れた物たちの見慣れない組み合わせに取り囲まれている。例えば複雑な土地事情から地下にもぐってしまった『新しい街』の天井は、線路のガード下を支える鉄柱に電柱が絡みつき、「湯名人」の室外機や「Docomo」の看板を掲げたシャッター街が続く。通ってきた道とこれから通る道が薄暗く奥に凝っている。
 グヤバノジュースから本物のグヤバノを求めてフィリピンを旅する旅行記『グヤバノ・ホリデー』を分割したような『筑波山不案内』『カステラ風蒸しケーキ物語』も面白いが、随想の長文『街路樹の世界』『架空の通学路について』にも目を惹かれる。Panpanyaが自身のサイトに掲載している短文の日記はほぼ全巻に収録されているが、テーマに沿って書かれた長文が単行本に作品として収録されているのは本書が初めてだ。想像に付き随うという随想の表現そのままに漫画を描いてきた著者の生地を見るようで楽しい。都庁の売り物の中でも「まち」に焦点が当たる「街路樹マップ」に目を止めて、街路樹に注目していない自身と注目するマップの制作者の目線を発見し、排水溝の蓋の数から柵の種類までくまなく網羅して架空の通学路に配置する文章の流れは、そのまま漫画が作られる過程の源流だ。
「私にしか分からない形で、不自然の目くばせがあった。」
 足元に転がるエネルゲンの10年前の缶はきれいに洗われて写真に収められる。彼に目配せされた不自然はあるいは不自然ではないかもしれない。それが不自然として目配せされる瞬間までの過程のとらえ方は変わらずに洗練されて、狂言回しの少女たちは前に出すぎることなくものたちへ触れてゆく。筑波山の北側に潜伏するガマの油工場と人並みの大きさのガマたち、冒頭の一コマだけ生々しい質感とリアルタッチで現れるツチノコたちも彼女たちの暮らしの延長の中でふと発見されてしまった馴染みがある。本を開けばしんとしたのどかな時間が漂う風情は職人芸のたまものだろう。
 余談だが『グヤバノ・ホリデー』が発売された後、作中に登場したグヤバノジュースを売る上野アメ横地下街の食品店からグヤバノジュースは数か月かけて売切れて行った。それを掣肘するかのように今回はカステラ風蒸しケーキの生産終了を解題に記している。律義で好もしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

・『地球にちりばめられて』 所感

2020年04月18日 | コラム
 多和田葉子の『地球にちりばめられて』は、日本がなくなった世界に取り残された日本語を集める物語だ。国が無くなってしまったので日本人という呼び方もなくなり、中国人には近いがニュアンスのようなものが違う黄色人種のHiruko.Jは、本の外側にいる読者と同じ意味を共有できる日本語を喋ることが出来る女性として珍しがられている。日本語同士の会話の時間を持つために彼女はもう一人の日本人を探して欧州を彷徨う。道中ではかつて日本という国から取り込まれた文化の残滓を愛する人々がなし崩しに周りに集まって、連鎖のように彼女の旅を助けてもう一人の日本人のもとへ彼女を連れてゆく。だがようやく対面したSusanooと自称していた日本人の男は、声を無くしていた。

 彼が日本語を失っていないことを示すため、彼の独白の章はきちんと設けられている。船の勉強のためにドイツへ留学していたSusanooは留学先で日本料理の店の経営に携わり、料理に夢中になっているうちに故郷を失うも意に介せず、ひとめぼれした女を追いかけて妻子を棄てフランスのアルルに腰を落ち着けた。喋らない生活を続けているうちにSusanooは声を失う。一方のHirukoはスカンジナビアに順応した彼女独自の汎用言語「パンスカ」を作り上げ、文字通りの「彼女の言葉」で己の心を的確に発声する手段を手に入れる。Hirukoは雄弁に各国の言語を使い分け、Susanooは沈黙の裡に必要な言語を理解する。二人は互いの裡に日本語があることを理解するが、対話には至らない。

 緊急事態宣言が発出されてから家の中に閉じこもり、言葉を口に出さないでいると、Susanooのように言葉が肉体に沈殿しているような感覚を覚える。それは自分の意見を体の外に言葉で出す必要がないということで、伝える相手がいようといまいと関係はない。互いに家にこもりきって一応は、GW明けまでの自粛の強制だが、それが明けたときの対話はきっとぎこちないだろう。Hirukoから呼びかけられてSusanooは孤立を意識する。言葉は胸の中でうずいている。けれども外に出ることはない。旅仲間のデンマーク人の言語学者クヌートは軽々とSusanooを「失声症」の病気に放り込み、それを治療しようと新たな旅を提案したところで小説は終わる。

 対比の関係を積極的に使い、どの登場人物も結びつく相手がいない小説の目的は簡潔で、人間関係のもつれではなく彼らを表現する文章に使われている文字こそ注目すべきだと語っている。たとえばクヌートに片思いする女性的な男性アカッシュと、クヌートの母から奨学金の支援を受けているナヌークに片思いする男性的な女性ノラ、といった組み合わせ。人となりは全員分独白が用意されているので理解に手間はない。常に誰かが誰かを見つめている。誰かが誰かを連れて行く。いかめしい議論もやかましい喧嘩も起こらず、彼らは日本語に乗って小説の終わりまで運ばれてゆく。大きな喪失が冒頭に示されながら、喪失感という寂しさは一切ない。対話で結びつく彼らを読む読者の孤立を深めながら、彼らは会話で自分たちを確かめてゆくのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

・途上の買い物

2020年04月11日 | コラム
 道中、ゲームセンターの代わりにドラッグストアを見かけると必ず中へ入るようになってからそう時間はたっていないにもかかわらず、四月の終わりのゴールデンウィーク直前に似た気分で過ごしている。勤め先の在宅勤務推奨に乗っかり家にいることを選び、咳をしても怯えずに済むようになってからここ数日は本当に家の中にこもっている。巣ごもりとは言いえて妙だが春になれば大抵の動物は巣から出てエサを探しに行くだろう。ドラッグストアには二週間ほど前に品薄になったキッチンペーパーやティッシュペーパーを下げた中年の女性がいるきりで、マスクをつけた白衣の薬剤師や医療事務員はカウンターの奥でテレビを見ながら立ち働いている。表のワゴンにはアルコール入りのウエットティッシュとこれもアルコール入りのハンドジェルが並べられ、「お一人様二つまで」の張り紙が皺くちゃにワゴンの手前に貼り付けられていた。次の日には空っぽになっていたので、今の流行りはこれらしい。
 返送された書類を作り直して郵便局に出すと手ぶらになった。風が強いおかげで雲一つなく、文字通り陽の光が肌を刺して毛虫を触れた時のように細かく肌の表面が泡立っている。道沿いの居酒屋と喫茶店は休業と謝意をA4にまとめた一枚を張り出してカーテンを閉めていた。手を伸ばすと手が触れる距離がいけないそうで、ここに限らず駅前のスターバックスやドトールも軒並み休業していた。この町にはないがゲームセンターは問答無用で閉まっているだろう。通路が機械で狭められている上に暇な子どもが大勢たむろしているのを頼まれたケーキを買いに行くついでに見たことがある。ドラッグストアだけはいつものようにのぼりを掲げて棚には商品をぎっしりと並べ店を開けていた。
 調剤薬局と大手ドラッグストアの中間ほどの地元のドラッグストアの品ぞろえはところにより変わり種がある。たとえば傷薬の「キップパイロール」の小型の缶はチェーンのドラッグストアにはまず置かれていない。輸入物の軟膏で切り傷の応急手当てに重宝しているが、いつも置いてある薬局は一件だけだった。昔祖父が使っていたおかげでパッケージだけはなじみ深いタイガーバームもおいていない。意外にきちんと効くらしく置いておくと欧米の観光客が買っていくらしいと話を聞いて一つ購入したが、まだ自分の体では効能を試していない。懐かしく実用性もありながら大手の商品に巻き込まれて取り扱われなくなる商品が店ごとにあり、絶妙にうさんくさい所がドラッグストアのいい所だと思う。
 店に入り棚を一巡してなんとなく目に留まったユニリーバ・ジャパンの黄色ワセリン200グラムを買った。「残酷な神が支配する」の「ワセリンは冷たいかね」というどうしようもない場面の一節を思い出しながら700円ほどを支払い、重さで持ち手が伸びかけているビニールをぶら下げてまた帰路についた。言えばキップパイロールやタイガーバームも置いてくれるかもしれない。だが今は欲しくない。この辺りでそれらを欲しがる客は私ぐらいだろう。蝦蟇の油式に腕を切って効き目を見せるわけにもいかない。近くの小学校から血を見せる商売をするなと怒られるのがおちだ。それでドラッグストアを失ってもつまらないので、使い道はそれなりに幅広いらしいワセリンをぶら下げて帰宅した。ワセリンを塗ってべたついた手を眺めていると、消毒ジェルをなぜ買わなかったのかと責められたのでもう一度店に行く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする