えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・桜の来ない時

2018年03月31日 | コラム
 毎年、同窓の花見を主宰してくれていた友人から今年はとうとう連絡が来なかった。年々「いつかは」とは考えていたことで、いざその時が来てみるとそれを念頭に入れていた頃よりは、あっさりとした心持だった。取りやめる際も律儀に、必ず連絡を寄越す彼女が連絡を寄越さない理由は想像に難くなく、「子供ができた」ということだった。同世代で子供のできた友人は彼女を含めてそろそろ指からはみ出そうな数だが、体調は人それぞれで、急にあんこが好きになり毎日のようにセブンイレブンのどら焼きをぱくつきながら働いていた人もいれば、胎教と称してお腹の子が男だとわかっても宝塚歌劇団の公演へぎりぎりまで通い詰めた人もいたりと、思い返せば元気な妊婦が多かった。かえって具合の悪い彼女からの連絡を読んで、多少申し訳ないがほっとしてしまった。
 休日はほとんど寝て過ごしているとの近況には、文章からもメールの固まったフォントながら「疲れ」が現れており、今年の桜を同窓で囲う一年一度の時よりも体をいたわってほしいと返事を返した。
 家の近所には公園がいくつもあり、足を延ばせば大手企業の敷地に植わった桜が塀からこぼれるように咲いている。あちこちの並木道にも桜が植わっており、目をやれば視界にはうすぼんやりとした桜色の見える街だ。整備された森林公園にはケヤキの若芽が茶色がかった若草色の顔を覗かせ、合間を満開の桜が彩っている。ただ、座って酒を飲みながら席を囲む桜は極端に少ないだけだ。それを寂しいと思わないことが寂しいことなのかも知れないものの、一人並木道を歩きながら晴天を背景に額が赤く染まる桜の花を仰ぐのは、酒とは別の静かな楽しみがあった。
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・良くも悪くもの印象

2018年03月10日 | コラム
 呼び出して一服し、取り留めなくコーヒーのおかわりをすすりながらたるんだ空気を過ごしていると友人が言い出した。「この間後ろからぶつけられちゃってさ」聞いてみるに、深夜家人を迎えに行こうと車を出したところ、居眠り運転の自動車に追突されたのだという。こんなところで自分なんぞと茶をしばいていて良いのかと慌てると、相手は平気平気と手を振った。精密検査の結果は良好で、どこにも怪我はなく、車がへこんだ程度で済んだのでこうして前々からの約束通り何も知らない自分と一服しに来たそうだ。確かに当人はしごく元気そうではある。

 災難だねとおざなりに返すと、彼女は眉をひそめた。「それがね」やはり実害は他にもあったのだろうかと身構えると「運転手がいけめんだったのよ」しごく真顔で彼女はそれが一大事のように重々しく告げた。居眠りの結果彼女の車へ社用の営業車をぶつけた人物は彼女の言によると「いけめん」だそうで、数日後に彼女の家へ謝罪に来た時も「いけめん」だったそうである。灯りの下でも十分に「いけめん」だったそうで、「次の日に大阪へ出向するんだって」と彼女は親戚でも訪ねてきたかのように「いけめん」という単語を口にした。友人は既婚者である。

 話から伺うに車をぶつけた営業の彼は逃げずに降りて、取るべき手配をきちんととったそうで、救急車や警察や保険屋といった社会的なあれそれはすんなり収まったらしい。それの〆としておそらく示談のために「いけめん」さんは彼女の宅へ謝りに来たのだろう。社用車というところから、勤め先からはこっぴどくやられたのではと会社人らしく想像したが、彼女の口から引き出しても問題が生じなさそうな話題は「いけめん」までだと考えて詮索はやめた。傷害保険も手当ても無事に降りて代車も滞りなく彼女の元に届いたのだ、面倒を済ませて安心している彼女にその当人が「どのようないけめんであったのか」を訊ねる勇気はとうとう出なかった。

 顔にものを言わせてものごとをうやむやにするといった、古い探偵小説のような出来事でもあれば話としては脂も乗るのだが、推測するだにおつとめの最中ともあればうかつなことはできない(はず)ので、後始末は相応に片付いたのだろう。「ぶさいくにぶつけられるよりいいでしょ」と、気持ち彼女は嬉しそうに言った後ぽつりと「居眠りって言ってたけれど、スマホでもいじっていたんでしょうね」と付け加えて笑った。
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