随筆ほど読みづらいものはない。
随筆から人を読むことは至難の業だ。それは、そのときの書き手の心にもっとも寄るものを描いているゆえに、そのときが正直に出されていればいるほど、かえって作家の心からは遠ざかるものだからだ。何かまったく別のもの、小説だったり論考だったり思想だったりの方がわかりやすい。思いを凝らさず、頭をひねって組み立てていったものの隙間に、作品とはまったく関係の無い作家そのものが置き忘れてあることが、こうしたものにはままあるのだ。随筆には置忘れがない、というか、この置き忘れそのものをいかに書くか、ということが、随筆の元となっている。正岡子規は、置き忘れを忌むかのように物を書き尽くしていった人だ。
明治三十五年の九月「病床六尺」の一本が載った二日後に逝った。一日たった数行でも書き続けた。視点の幅広さがかえって布団の狭さ、もっと資料を尽くし語ることを尽くし書きたかったろうことがぽろぽろとはみ出して、将来なりたいものを聞かれた子供のように弾んだ勢いがある。正岡子規の文は、ことば自体が木版のように刻まれている。そこには、そこに書かれている以上のことばがこっそりと割り込む余地もなく、動かす余裕もなかったのだろうが、動かすことは出来やしないのだ。水気が抜けた木材のように硬く軽い筆致に熱情はなく、たとえそれが病でのたうつ様を描いていたとしても、どこかさらっと乾いていて、余計な情は省かれている。だからこそ、文の合間に見える子規はいず、文そのものに正岡子規はいる。上気した頬の柳宗悦を見ていると、余計にそう思った。
随筆から人を読むことは至難の業だ。それは、そのときの書き手の心にもっとも寄るものを描いているゆえに、そのときが正直に出されていればいるほど、かえって作家の心からは遠ざかるものだからだ。何かまったく別のもの、小説だったり論考だったり思想だったりの方がわかりやすい。思いを凝らさず、頭をひねって組み立てていったものの隙間に、作品とはまったく関係の無い作家そのものが置き忘れてあることが、こうしたものにはままあるのだ。随筆には置忘れがない、というか、この置き忘れそのものをいかに書くか、ということが、随筆の元となっている。正岡子規は、置き忘れを忌むかのように物を書き尽くしていった人だ。
明治三十五年の九月「病床六尺」の一本が載った二日後に逝った。一日たった数行でも書き続けた。視点の幅広さがかえって布団の狭さ、もっと資料を尽くし語ることを尽くし書きたかったろうことがぽろぽろとはみ出して、将来なりたいものを聞かれた子供のように弾んだ勢いがある。正岡子規の文は、ことば自体が木版のように刻まれている。そこには、そこに書かれている以上のことばがこっそりと割り込む余地もなく、動かす余裕もなかったのだろうが、動かすことは出来やしないのだ。水気が抜けた木材のように硬く軽い筆致に熱情はなく、たとえそれが病でのたうつ様を描いていたとしても、どこかさらっと乾いていて、余計な情は省かれている。だからこそ、文の合間に見える子規はいず、文そのものに正岡子規はいる。上気した頬の柳宗悦を見ていると、余計にそう思った。