・意味づけのための本と
壇上にしつらえた移動式の小舞台の端で『赤毛のレドメイン家』の文庫版を段田安則が両手で開いて読んでいる。ドサ回りの大衆演劇一座の役者に不似合いな男という色付けをその書物は十分にこなしていた。
北村想の『日本文学シアター』の三番手に取り上げられたのは長谷川伸『遊侠 沓掛時次郎』だった。一作目に太宰治『グッドバイ』を、二作目に夏目漱石『草枕』が並ぶ三番手に長谷川伸。学校の国語の授業で習うひとではない(二〇〇九年から小林まことが連載していた劇画シリーズで知っているかもしれないが)。とまれ前二作の生まれた雰囲気の後ろでうごめいていた大衆に人気を博した演目を持ち出したところ、脚本家の日本文学に対する段取りが感じられるようで勝手に合点した。
本作では『遊侠 沓掛時次郎』を得意の演目とするドサ周りの旅芸人一座と、その一座にふいとやってきた一六歳の家出娘のやりとりを描く。劇の大筋は劇中劇『遊侠 沓掛時次郎』と、舞台を降りた役者の姿を『暗闇の丑松』に託した二重写しの世界に作られており、ところどころの小道具が時代を惑わせる。電球をつけた木製の電柱が立つ一方で舞台袖では若い役者がスマートフォンでゲームに興じ、暖房のない宿屋には番頭が火鉢へ炭を入れに来る。そして要所で役目を果たす本物の本の選び方と使われ方は、素直にうまいな、と思った。
段田安則の演じる段三は京都大学中退の秀才で、学内の演劇部にいた経験を使い一座の看板役者をつとめている。彼を囲む周囲の、座長を中心とした関係からは浮いていて、萩原みのり演じる家出娘の洋子がアルチュール・ランボーを暗唱するほどの本好きだと知るとほんの少し雰囲気が和らぐ。旅仲間とは交わせない本の会話を段三は洋子のいるわずかな時間楽しむ。家に帰ることを決めた彼女に言葉で勧める『二十歳のエチュード』は、彼なりの贈り物だ。だが、東京へ帰宅する彼女を送ると名乗り出た好色漢がそこはかとなく暗い影を落とす。三年後、洋子の赤いハンドバックから取り出される本物の『二十歳のエチュード』のよく焼けたページは場面の痛々しさを物語っていた。
宿屋に泊まる段田安則のしぐさがよかった。仲居や番頭と話しながら左手をあぶり、黒い革ジャンパーを脱がずに火鉢の炭で紙巻き煙草へ火をつけて一服する。エアコンのない寒さと手錠までもう少しのところまで行ってしまった雰囲気の影が深く見えた。
壇上にしつらえた移動式の小舞台の端で『赤毛のレドメイン家』の文庫版を段田安則が両手で開いて読んでいる。ドサ回りの大衆演劇一座の役者に不似合いな男という色付けをその書物は十分にこなしていた。
北村想の『日本文学シアター』の三番手に取り上げられたのは長谷川伸『遊侠 沓掛時次郎』だった。一作目に太宰治『グッドバイ』を、二作目に夏目漱石『草枕』が並ぶ三番手に長谷川伸。学校の国語の授業で習うひとではない(二〇〇九年から小林まことが連載していた劇画シリーズで知っているかもしれないが)。とまれ前二作の生まれた雰囲気の後ろでうごめいていた大衆に人気を博した演目を持ち出したところ、脚本家の日本文学に対する段取りが感じられるようで勝手に合点した。
本作では『遊侠 沓掛時次郎』を得意の演目とするドサ周りの旅芸人一座と、その一座にふいとやってきた一六歳の家出娘のやりとりを描く。劇の大筋は劇中劇『遊侠 沓掛時次郎』と、舞台を降りた役者の姿を『暗闇の丑松』に託した二重写しの世界に作られており、ところどころの小道具が時代を惑わせる。電球をつけた木製の電柱が立つ一方で舞台袖では若い役者がスマートフォンでゲームに興じ、暖房のない宿屋には番頭が火鉢へ炭を入れに来る。そして要所で役目を果たす本物の本の選び方と使われ方は、素直にうまいな、と思った。
段田安則の演じる段三は京都大学中退の秀才で、学内の演劇部にいた経験を使い一座の看板役者をつとめている。彼を囲む周囲の、座長を中心とした関係からは浮いていて、萩原みのり演じる家出娘の洋子がアルチュール・ランボーを暗唱するほどの本好きだと知るとほんの少し雰囲気が和らぐ。旅仲間とは交わせない本の会話を段三は洋子のいるわずかな時間楽しむ。家に帰ることを決めた彼女に言葉で勧める『二十歳のエチュード』は、彼なりの贈り物だ。だが、東京へ帰宅する彼女を送ると名乗り出た好色漢がそこはかとなく暗い影を落とす。三年後、洋子の赤いハンドバックから取り出される本物の『二十歳のエチュード』のよく焼けたページは場面の痛々しさを物語っていた。
宿屋に泊まる段田安則のしぐさがよかった。仲居や番頭と話しながら左手をあぶり、黒い革ジャンパーを脱がずに火鉢の炭で紙巻き煙草へ火をつけて一服する。エアコンのない寒さと手錠までもう少しのところまで行ってしまった雰囲気の影が深く見えた。