えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・滴り落ちる

2014年08月23日 | コラム
 蒸し暑いので冷房をつけたまま眠る日々が続く。ある日、布団の脇に積まれた本の山の一番上に置いていた本を手に取り驚いた。紙のカバーに水で濡らしてから乾いたような凹凸のゆがみがいつの間にか出来ていたのだ。それからは本の上にタオルを載せてから寝るようになったものの、朝起きて部屋を眺めると水滴の痕跡が床に残っていたり、部屋に入って来た兄弟の頭へいきなり水滴が落ちかかって来たりと妙な事ばかり起きる。どうやら冷房の所為だと人から教えられても蒸し暑さに耐えかねて冷房を付ければ降り始めの雨のように不揃いの間隔で水滴がどこからともなく落ちてくる。部屋の中で何かをするたびに、ポツポツと、今まで外で聴いては傘を取り出すための指標にしていた音が部屋の中で響いている。

 窓が二重になってから外の音が聞こえなくなった。煩わしさから解放される一方で、聞こえていたものがなくなるというのは妙なもので、降り始めの雨の音すら聞こえない部屋では、雨が線になりガラスの向こうで降り注いでいる光景が見えるまで分からない。流れ落ちる雨の音が聞こえない部屋は機械と人間が作る音がせいぜいである。音楽を止めても虫の声すら届かない沈黙は、静寂を通り越してうすら寒い。天井から突如として落ちる水滴は、冷房に囲まれてやっと過ごす暑熱と沈黙を紛らわす。

 天気のいい日に窓を開けてエアコンを「送風」にしたまま過ごせば治りますよと人から聞いた。気付くと晴天だが窓を開けられない残暑と豪雨の季節に入り込んでいる最中、そう都合の良い、窓を開け放していても良いような天気はなかなか見つからない。部屋の雨音は冷房をつけるたびに未だ鳴り続けている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

・宝塚雪組公演「一夢庵風流記」鑑賞記

2014年08月09日 | コラム
 幕開けの五分前、右手に嵌めた四季の花を彫金した指輪を回し梅の柄を表にした。前田家の家紋がなびく舞台にはどうしても梅を付けていたかった。

 原哲夫の漫画「花の慶次」は通読済みなものの、隆慶一郎の原作は未読のまま日比谷へ赴いた。華やかな舞台が始まり、九十分はあっという間に過ぎた。ただ、舞台で一か所気になった部分があったので休憩時間に買い、さっと拾い読みすることにした。
加賀百万石の奥方であるまつへ深い恋情を寄せ結ばれた後、立場を重んじたまつから告げられる「もう別れましょう」との言葉に割り切れず、唐突に前田慶次が子供のように「いやだ!」と叫び下手へ走り去る場面へどうも違和感を覚えて仕方なかったのだが、原作にもほぼ同じセリフ回しでやはり「いやだ」と絶叫する慶次が登場していた。

 漫画版はこのシーンは省略されているが、まつと関係を持った事態そのものは話の流れと登場人物の台詞や地の文で描写される。けれどもこちらは親友の奥村助右ヱ門の描写に多くのページが割かれており、かつ、まつが回想にすら一切コマに登場しないのでうっかり見逃していた。
ただし、原作は本気の恋に破れて不貞腐れる描写を挟んでから戦場へ赴くが、舞台版も漫画版もこの描写は省略されている。そのため出来事の影響のほどや慶次が受けた衝撃の度合いが伝わりづらく、破れた恋心の行き場を求めて暴れる慶次を女性の体で描写するには一つ難しいものがあったのではないかと思う。

「いやだ!」の絶叫は、親友に袈裟懸けにされても悠然としていた慶次が突然、それまでの通人ぶりをかなぐり捨ててわがままを叫ぶ落としどころである。ここで違和感を覚えたのは、舞台で演じる人があくまで昔少女であって、少年ではなかったからではないだろうか。

 慶次を演じた主演の男役が他のシーンでは堂々たる男ぶりであっただけに、物語の要である恋愛の中心を握る部分へ限界があったことが少し残念に思う舞台だった。その後のレビューは宝塚らしい華やかな舞台で、息もつかせずに作り上げた体の一糸乱れぬ動きを堪能した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする