えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・歯科M 2015年度

2015年04月25日 | コラム
一年に一度の歯医者通いを半年に一度に切り替えることにした。

前回の健診で見つかった虫歯が椅子の肘掛を全力で握りしめ涙を浮かべながら耐え切れずに、「ギブアップ!ギブアップ!」と、肘掛を叩くほど痛い治療が必要なものであったためだ。かかりつけの歯医者はもはや「痛かったら手を上げてください」など優しい言葉は一つも無く「あ、虫歯がありますね」と告げると容赦なく金属製の細いドリルを手に「結構深いな」「バキューム」と指示を伝えながら高い金属音を立てて歯と歯の隙間を削り、治療が終わって鈍く音の反響する頭を抱えて礼を言うと歯医者は止めのように「まだ虫歯の出来るお年頃なんだね」と、カルテを眺めながら付け加えたのだった。
その顛末を思い浮かべながら歯医者へ電話を掛けた。助手の女性が電話に出て空き時間を告げる。よろしくお願いします、と答えて電話を切った。歯を磨いて歯医者に行くまでには充分すぎる時間、せっせと歯ブラシを動かして着替え、待合室で順番を待った。

「今日は頑張って磨いてきたんだなあと思いますが、何箇所か勿体ない点がありますね」

私の努力はプロフェッショナルの丁寧に研がれた一刀で両断された。
「ちょっと汚れているなあ」「ここ歯垢が溜まっていますね」など、時間が無いことを盾にした結果様々なお言葉を頂き重ねてきた年々の中で最も地味に堪えた言葉を番付にしたら間違いなく一位を取るだろう。歯医者は口中を鏡と針金のような黒いドリルで掻き分けながらてきぱきと虫歯が悪さをしていないか探している。全くの治療行為である。

それなのにいつも何故か敗北感めいた悔しさを覚えるのはこちらの身勝手だ。

「はい、鏡を持ってください」
ぼんやり頭を椅子にもたせ掛けているとミスタードーナツがまだスタンプカード制を採用していた頃の、裏面に男の子が描かれた柄の青い手鏡を渡された。同時に口中へ突っ込まれたのは、とても毛先の細い歯ブラシだった。
「ここ、歯と歯茎の間が白くなっているでしょう、これが虫歯のなりかけ」
歯医者は、それがシャープペンシルならば裏地に書き跡が残りそうなほどの筆圧を指にかけて歯ブラシを無機質に動かした。たちまち鏡に映る私の口中は鮮血に染まる。
「普段届いていないところにブラシが当たって、歯茎がびっくりしているんですよ」
言葉こそ柔らかいが実際に起きていることは歯ブラシを歯医者が動かすにつれて歯茎から鮮血があふれ出す瞬間を手鏡でまじまじと見せられ続けるという拷問にも似た何かだった。しなやかで柔らかい、おろしたての白い毛先が血にまみれてゆく。

一通り歯の磨き方を伝え終わりカルテに今日の結末を書き込む歯医者と「また来てください」「ありがとうございました」とお定まりのやり取りを交わして診察室を出た。支払いのカウンターの上を見ると、領収書の傍に見覚えのある歯ブラシの包みがそっと添えられていた。
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・香りの去ったあとで ~吉野梅郷花まつり~

2015年04月11日 | コラム
 一年越しに足を下ろした日向和田の駅沿いの白梅が枝振りもそのままにほろほろと花弁を風にこぼしてゆく。駅を出て右手に歩くと、二階建ての家々の合間から見える山の斜面にぽっかりと茶色の穴が開いたような一角があった。昨年の記憶を思い出さずともそれが梅の公園であることはわかっていた。

 平成二十六年五月、緊急防除により青梅市「梅の公演」の全ての梅は伐採された。二か月前、昨年の「梅まつり」はテレビやインターネットの報道も力を添えたせいか相当の来園者を迎え、その二か月後に幕を下ろした。とうとう一度も満開を見ることのなかった白梅の枝垂れ梅、初めてそれを目にした瞬間心を奪われた、牡丹のようにあでやかな白と紅色の八重咲「朱鷺の舞」、がくの緑を透かし薄らと萌木色の花を咲かす白梅「月影」、空に向かってしなやかに枝を伸ばしながらも桃色の小粒な花が愛らしい「鴬宿梅」、公園を彩る梅樹達は平成二十七年の今全て伐り株となってそこにいた。

 駅を出て数メートルのその位置から咲き具合も分かるほど鮮やかだった桃色、白色、紅色に代わって斜面は冷たく茶色の跡を残していた。通い詰めた数年の習いが自然にその場所へ目を向けさせる。満開を過ぎて残された梅花が甘く涼やかな香りを花びらと共に運ぶ。日向和田へ向かう電車の席で、窓から誰かの家に残された梅を眺めながら防除の意味を考えてすぐにやめた。見せしめのような茶色が増えるにつれて病にかかった梅の花は年々傷ましく色褪せ実も小さくなっていった、実も花も駄目にする病は直す術がなかった、それだけのことだ。

 町の畑一面が白一色の梅林だった、町中が梅の香りに満たされていた過去も遠くなった。「梅の公園」という本丸を護るための捨て石のように徐々に伐られていった畑の梅達の切り株はもう灰色味を帯びて、葬式の花輪のようにたんぽぽやかたばみの黄色にぐるりと囲まれていた。公園へ至る道路に植わっていた華奢な幹の梅木も一様にばっさり、跡に立てられた棒に「花まつり」と記された提灯が川風に揺れていた。梅無き後の代役は、かつて梅を彩るために植えられた草木である。山茱萸、水仙、玄海躑躅、蠟梅、福寿草と黄色が並ぶ中、パンフレットによれば菜の花が新たに加わったらしい。いずれにせよ日向和田の春は見上げる春から見下ろす春になった。

 沈丁花の清水のような香りが生け垣からこぼれる。「梅の公園」の向かいの山に着いた。カメラを持った男と一人すれちがった他は誰もいない平日の昼間、「梅の公園」は――なだらかな稜線を初めて目で理解できるほど、地図に記された道そのままに拓かれていた。松や休憩小屋の目印を残して土肌を曇天に曝している。数年前に設置されて昨年まで観光客から料金を集めていた小屋は撤去され、係員らしい黒い上着の男がぼつぼつと訪れた人へ絵葉書の束を配っていた。毎年開催されていた写真コンテストの写真を裏面に飾った、チケットと共に配られる時々の梅を特によく切り取った一枚の束だった。頂いた写真は思っていたよりも軽く、重かった。

 山を歩いてしばらくするとかさりと枯葉が鳴った。あちこちでかさかさと葉ずれのような乾いた音がする。小雨が降り始めていた。傘は無い。中途まで登りかけていた頂上をやむなく諦め、近くの砂利を敷いた坂道からアスファルトの道へ降りた。そこには、背は低いものの枝を柔らかな傘のように広がり伸ばす「月影」の一樹があった。跡を探す。細かい枝は梅を天蓋のように張り巡らせていた白梅は、片手で抱え込めそうなほど細い切り株に支えられていた。升目に切れ目を入れられた幹の跡は、まだ木の潤いを残したままひっそりと野花に埋もれていた。雨音が急かすように頻繁になる。わずかに山を登る人々を遠目に、私は山を見上げ、見下ろして、道を駆け下った。

 帰り道「花まつり」と記されたパンフレットに目を落とした。菜の花と青空の写真の上の「花」の大文字の後ろに、ひっそりと、白抜きで、八重咲の梅の花が描かれていた。
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