一年に一度の歯医者通いを半年に一度に切り替えることにした。
前回の健診で見つかった虫歯が椅子の肘掛を全力で握りしめ涙を浮かべながら耐え切れずに、「ギブアップ!ギブアップ!」と、肘掛を叩くほど痛い治療が必要なものであったためだ。かかりつけの歯医者はもはや「痛かったら手を上げてください」など優しい言葉は一つも無く「あ、虫歯がありますね」と告げると容赦なく金属製の細いドリルを手に「結構深いな」「バキューム」と指示を伝えながら高い金属音を立てて歯と歯の隙間を削り、治療が終わって鈍く音の反響する頭を抱えて礼を言うと歯医者は止めのように「まだ虫歯の出来るお年頃なんだね」と、カルテを眺めながら付け加えたのだった。
その顛末を思い浮かべながら歯医者へ電話を掛けた。助手の女性が電話に出て空き時間を告げる。よろしくお願いします、と答えて電話を切った。歯を磨いて歯医者に行くまでには充分すぎる時間、せっせと歯ブラシを動かして着替え、待合室で順番を待った。
「今日は頑張って磨いてきたんだなあと思いますが、何箇所か勿体ない点がありますね」
私の努力はプロフェッショナルの丁寧に研がれた一刀で両断された。
「ちょっと汚れているなあ」「ここ歯垢が溜まっていますね」など、時間が無いことを盾にした結果様々なお言葉を頂き重ねてきた年々の中で最も地味に堪えた言葉を番付にしたら間違いなく一位を取るだろう。歯医者は口中を鏡と針金のような黒いドリルで掻き分けながらてきぱきと虫歯が悪さをしていないか探している。全くの治療行為である。
それなのにいつも何故か敗北感めいた悔しさを覚えるのはこちらの身勝手だ。
「はい、鏡を持ってください」
ぼんやり頭を椅子にもたせ掛けているとミスタードーナツがまだスタンプカード制を採用していた頃の、裏面に男の子が描かれた柄の青い手鏡を渡された。同時に口中へ突っ込まれたのは、とても毛先の細い歯ブラシだった。
「ここ、歯と歯茎の間が白くなっているでしょう、これが虫歯のなりかけ」
歯医者は、それがシャープペンシルならば裏地に書き跡が残りそうなほどの筆圧を指にかけて歯ブラシを無機質に動かした。たちまち鏡に映る私の口中は鮮血に染まる。
「普段届いていないところにブラシが当たって、歯茎がびっくりしているんですよ」
言葉こそ柔らかいが実際に起きていることは歯ブラシを歯医者が動かすにつれて歯茎から鮮血があふれ出す瞬間を手鏡でまじまじと見せられ続けるという拷問にも似た何かだった。しなやかで柔らかい、おろしたての白い毛先が血にまみれてゆく。
一通り歯の磨き方を伝え終わりカルテに今日の結末を書き込む歯医者と「また来てください」「ありがとうございました」とお定まりのやり取りを交わして診察室を出た。支払いのカウンターの上を見ると、領収書の傍に見覚えのある歯ブラシの包みがそっと添えられていた。
前回の健診で見つかった虫歯が椅子の肘掛を全力で握りしめ涙を浮かべながら耐え切れずに、「ギブアップ!ギブアップ!」と、肘掛を叩くほど痛い治療が必要なものであったためだ。かかりつけの歯医者はもはや「痛かったら手を上げてください」など優しい言葉は一つも無く「あ、虫歯がありますね」と告げると容赦なく金属製の細いドリルを手に「結構深いな」「バキューム」と指示を伝えながら高い金属音を立てて歯と歯の隙間を削り、治療が終わって鈍く音の反響する頭を抱えて礼を言うと歯医者は止めのように「まだ虫歯の出来るお年頃なんだね」と、カルテを眺めながら付け加えたのだった。
その顛末を思い浮かべながら歯医者へ電話を掛けた。助手の女性が電話に出て空き時間を告げる。よろしくお願いします、と答えて電話を切った。歯を磨いて歯医者に行くまでには充分すぎる時間、せっせと歯ブラシを動かして着替え、待合室で順番を待った。
「今日は頑張って磨いてきたんだなあと思いますが、何箇所か勿体ない点がありますね」
私の努力はプロフェッショナルの丁寧に研がれた一刀で両断された。
「ちょっと汚れているなあ」「ここ歯垢が溜まっていますね」など、時間が無いことを盾にした結果様々なお言葉を頂き重ねてきた年々の中で最も地味に堪えた言葉を番付にしたら間違いなく一位を取るだろう。歯医者は口中を鏡と針金のような黒いドリルで掻き分けながらてきぱきと虫歯が悪さをしていないか探している。全くの治療行為である。
それなのにいつも何故か敗北感めいた悔しさを覚えるのはこちらの身勝手だ。
「はい、鏡を持ってください」
ぼんやり頭を椅子にもたせ掛けているとミスタードーナツがまだスタンプカード制を採用していた頃の、裏面に男の子が描かれた柄の青い手鏡を渡された。同時に口中へ突っ込まれたのは、とても毛先の細い歯ブラシだった。
「ここ、歯と歯茎の間が白くなっているでしょう、これが虫歯のなりかけ」
歯医者は、それがシャープペンシルならば裏地に書き跡が残りそうなほどの筆圧を指にかけて歯ブラシを無機質に動かした。たちまち鏡に映る私の口中は鮮血に染まる。
「普段届いていないところにブラシが当たって、歯茎がびっくりしているんですよ」
言葉こそ柔らかいが実際に起きていることは歯ブラシを歯医者が動かすにつれて歯茎から鮮血があふれ出す瞬間を手鏡でまじまじと見せられ続けるという拷問にも似た何かだった。しなやかで柔らかい、おろしたての白い毛先が血にまみれてゆく。
一通り歯の磨き方を伝え終わりカルテに今日の結末を書き込む歯医者と「また来てください」「ありがとうございました」とお定まりのやり取りを交わして診察室を出た。支払いのカウンターの上を見ると、領収書の傍に見覚えのある歯ブラシの包みがそっと添えられていた。