えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

電車の中で

2009年09月30日 | 雑記
石神井公園に一時間ほどかけて出かけたとき、「遠くからきたねえ」
と言われたことをふっと思い出しました。

電車で一時間は、私にとってそこまで長い距離ではなくて、
今でこそすこし「くたびれるなあ」と気づくようになりましたけれど、
それでも電車で片道一時間はそんなに遠い気分ではないのです。

でも家に帰ることを考えると往復二時間。
この往復二時間、もう10年以上続けています。
中学に通いだしてからずっと電車通学でしたから、私は少なくとも毎日二時間を
電車の中とプラットホームで過ごしている、それを10年間ですからざっと
7,000時間は駅と電車で過ごしている計算になります。

読書する、友達と過ごす、寝る、弁当を食べる、物思いにふける。

記憶をさっと辿っただけでもやっていないことはスポーツと排泄ぐらいで、
こうしてみると電車に揺られるのは一人部屋にいるのとはまた違った、
「一人の時間」なのかもしれません。

椅子に腰掛けて、ドアをしまう壁と窓の段差に頭を持たせかけ、
揺られながら進行方向に首を曲げて頬をガラスに押し当て、ガラスにうつる
車内の反射の隙間から眺める外は、たいてい夜で影に埋まり明かりしか
見えないのですが、それでも目を外に向けていると風景が流れてゆく。
車内は流れない。


外は流れて自分はそのままでいられる、のりものは全て不思議です。





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ありがとう、さようなら花田さん(副題:「唐代の詩」読了)

2009年09月27日 | 読書
なめ「花田さん、記憶をこのSDカード(2GB)でぜんぶ預かるよ」
花田「え、ちょ、待って……」
なめ「さよなら花田さん、これでもう無関係だ」
花田「え、ちょっと待ってく……」

というわけで、花田さんを専用の封筒にいれてポストに投函し、
私と花田さんの縁は今日限りぷっつりと切れたのでした。
でも花田さんが持っていた記録はすべて浅村さんに引き継がれました。
あっさりしたものです。

花田さん、今までありがとう。さようなら。(完)


さて休み中ですが(切り替わり)。
気づくと本ばっか手にとっていました。
中でも以前こちらに書いた「唐代の詩」(奥平卓訳 さ・え・ら書房)、
やっと読了し、本を閉じたのですが、これはよかった。
たぶん、小学校高学年から中学生くらいを対象に書かれた本だと
思うのですが、唐という詩が爆発的に深化して李白・杜甫を生んだ一代の
時代を初唐・盛唐・中唐・晩唐のよっつの時代に分け、それぞれの時代の
特色を日本の時代と重ねながらまず時代をやさしく語ります。

詩人一人ひとりに対して、彼らの生き方や考え方をものやわらかく、
詩に沿って教えてくれます。特に後半、晩唐の作品は日本人に愛されたものが
多く、井伏鱒二の

「花に嵐の譬えもあるぞ
 『さよなら』だけが人生だ」

この二句は元々訳詩です。
さらに本来は前の句があり

「この杯を受けてくれ
 どうぞなみなみ注がせておくれ
 花に嵐の譬えもあるぞ
 『さよなら』だけが人生だ」

これが全文です。
元の詩を作ったのは于武陵(うぶりょう 810~?)。
科挙に合格しながらも官職を捨て、生涯書物と琴を手に各地を放浪した人です。
井伏鱒二が訳したのは、「酒を勧む」。原題は『勧酒』です。

勧酒:

君に勧む 金屈巵(きんくつし:杯の一種)
満酌 辞するを須いず(もちいず)
花発いて(ひらいて)風雨多し
人生 別離に足る


井伏鱒二だけではなく、
さらにさらに読み手がもっと奥深いものへとたどりつけるよう、
随所にいろんな要素をちりばめてあります。

とりわけ科挙について。

「中国の試験地獄は、日本などにくらべてはるかに歴史が古く、
 いまから約千四百年もまえの、六世紀末ごろから、
 国家公務員試験制度としてはじまりました。」

当時の知識人と呼ばれる人々、文章を扱える人々のほとんどは、
この禍を避けては通れなかった試験でした。
通れば栄光への道が、通らなければ一生試験を受け続ける人も
いたと聞きます。
でも、ちょっと皇帝の機嫌をとっただけであっさり官職を得るものもいたりと、
不平等・不条理はあたりまえ、文化人達の影には権勢のわだかまりが隠れています。
これを知らなければ、また、これがどれだけ中華の人の心を縛り続けたか、
その重みがわからなければ、唐だけではなく唐以後の文学作品について
半分くらい理解のほどが浅くなる、大切な歴史の鍵です。

そして詩人の大半は、規範からはずれて生きています。
科挙という制度、正義を貫こうとした挙句の左遷、憤り、嘆き、あきらめ。
奥平さんは詩人の立場からものを語ります。誰に対しても、その人の立場に
よりそった解説を心がけています。
だから、子供向けとはいえ、必ずしも紹介だけにとどまらず、どこかに
ふっとひっかかるような、そんな雰囲気が本に溢れています。


総勢42名の詩人がつまって288ページ。初心の一冊です。










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おかえりなさい、ありがとう花田さん

2009年09月25日 | 雑記
というわけで、青梅警察署に保護されていた花田さんを
おむかえに行ってまいりました。ちょっと遠かった。
写真は浅村さんが撮影。花田さんの表面に浅村さんが写りこんでいて
微妙なツーショットです。

充電器を差し込むと、少しの間反応がなく、しばらくすると渇ききった
喉にオアシスの水を流し込むような勢いで充電が始まりました。
おかえりなさい、花田さん。

ですが花田さんは、浅村さんと引き換えに実家の電話会社に帰らなければ
なりません。
正常な買い替えだったら、手元に取って置けるのですが今回は事情が事情
(花田さん実家とのお約束)のため、花田さんはデータを移行したらすぐに
ご実家へお返ししなければならないのでした。

今日かぎりの手元。花田さんは浅村さんよりも身体が薄くて空気のように
手元へ置いておけるかたでした。
早ければ明日にはお別れです。

一年間ありがとう、花田さん。
お別れを告げるはもうちょっと後にしましょう。

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知らない弱さ

2009年09月22日 | コラム
「でもシャネルを着るときは靴も帽子も全部シャネルにしなくてはならないの」

――シャーリー・マクレーン(「COCO CHANEL」パンフレットより)


:「COCO CHANEL」2009年8月 イタリア・フランス・アメリカ合作


『COCO CHANEL』、2008年にイタリア・フランス・アメリカ三国の合作で製作された映画である。表題どおり、一世の女性ガブリエル・ココ・シャネルの半生を描いた作品だ。1954年、70歳のココと、1903年から1920年代の若いココを行き来しながら、二人の女優がシャネルを演じる。冒頭、螺旋階段のてっぺんでモデルのまとうジャケットに、くわえタバコで無表情にはさみを入れるシャーリー・マクレーンの圧巻、首元のつまるブラウスに束ねた黒髪の巻き毛と、ガラス玉のように大きい瞳のバルボラ・ボブローヴァ。この二人は顔の造作がそんなに似ていない。ただ、その目の無表情な強さがよく似ていた。
 
 二人の女性のこの瞳が同じ質を保っているので、下働きのお針子・ココが、出会った男達から上流階級の生活を習い、ビジネスの輩とし、どんどんと才能を伸ばす場を作ってゆく流れも自然と受け止められる。ただ、精巧への階段を駆け上がるココの姿は華やかになるばかりだが、一方ココのすごさが何だったのか、という点がどうもぼけているような気がした。下着素材のジャージーを服に採用したり、動きやすい服を提供したり、と、ところどころで描かれてはいるのだが。
 
 たぶん、何を描こうか迷ったのだと思う。矢のようにまっすぐで鋭い才能か、女性の内面かをてんびんにかけた上、「シャネルはすごい」「シャネルを創ったココはもっとすごい」という暗黙の了解を押し付けての映画なのだろう。だが、ココが衝撃を与えた時代の背景を、意図的に語る場面がほとんど無いので、肝心のすごさはそこまで見えない。たとえば最初の愛人エチエンヌ・バルボアの前で、狩りの際ズボンで登場したココへの驚き、ジャージー素材を使ったことへの驚き、それをどう今の視点に引っ張ってゆくかが欲しかった。「愛と仕事のサクセスストーリー」以外のものを感じさせるのが、女たちの目だけなのはちょっと寂しすぎる。

(796字)
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舌3。

2009年09月20日 | 読書
さて、タン話もそろそろ区切りを付けたいところです。

あらすじ:
左遷された陽明タンは、言葉も通じない上慣れない気候の国でたいへんな苦労をしました。
苦労する中、この苦労を聖人だったらどう対処してゆくか?と考え続け、ついに「心即理」という、ひとつの悟入に至ったのでありました。


王陽明が左遷されてから三年後、左遷した張本人である、悪い宦官の総元締め劉キンが死にました。
これを受けて王陽明は久々に中国らしい土地へと戻ってきました。1510年、王陽明38歳の時です。
この後、彼はさまざまな官を歴任しますが、その中で司令官としての大任を果たしました。以前にもお話しましたが、皇帝があんまりにもダメ皇帝だったので、政治が上手く収まらず、中華のあちこちで不満がどんどん上がり、内乱がとても多かったのです。

それは盗賊や民衆の挙げた反乱もありましたが、王陽明が遭遇したのは、なんと皇室の一族である寧王、シン濠の反乱でした。シン濠と言う人は、明の建国者朱元璋の17番目の子、権の四世の孫です。南昌(今の江西省南昌市近辺)に封じられました。

シン濠は武宗の世継ぎがいないことに目をつけ、自分の第二子を皇帝にするため、側近の劉キンら宦官と結託し、兵を集め、さらに王陽明はじめ知識人を招いておおっぴらに勢力を拡大していました。
王陽明はシン濠に招かれた際、弟子のひとりを遣わしてその非道を正そうとしましたが、かえって殺されそうになり、首に賞金をかけられた弟子はほうほうの体で故郷に逃げ帰りました。

こうしてやりたい放題をやっていたシン濠にも時が近づき、情勢が自分に不利だと察知したシン濠はついに兵を挙げました。1519年のことです。
この年は、王陽明の弟子が彼の言葉を記録した『伝習録』が刊行されたり、慕っていた祖母が亡くなったり、と多くの事件が王陽明に訪れましたが、中でも乱の勃発が大きな事件だったのでしょう。

ともあれ、王陽明はシン濠が軍を起こしたのを聞くと、直ぐに兵を起こし14日で彼を生け捕りにしました。大きな活躍です。
この活躍を忘れてもらえなかったのが、王陽明の不運だった、のかもしれません。

さて、乱を平定した後も、前も、軍事で忙しい中、王陽明はどんどんと自分の教えを人に広げてゆきました。義弟の徐愛をはじめとし、多くの人々が彼の盛名を慕って教えを請いにやってくるようになります。
それこそ、名前を覚えきれないほど人が集まり、近くの寺院には彼の教えを聞くための人が大勢泊まりこんで、さらに入りきれずに床で寝るほどの人を集めるようになりました。

こうして話した内容を、弟子が書き取って次々と本にし、王陽明の教えとして今に伝わるようになったのです。

王陽明自身は、自分の言葉が言葉だけ伝わって、中身が伝わらないことを嫌がり、
書物を著すことをしぶっていましたが、それでも言葉が無いと、教え自体も
なかったこと、になってしまいますから、弟子達は王陽明の言葉を書に移して
伝える決断を下したのでした。

本ができ、弟子ができ、教えを円熟させよう、と言う頃になって、最期の戦が彼を呼びました。再度反乱を討伐せよ、とのお達しが陽明の元に舞い込んだのです。
この年、1529年、王陽明57歳の年。
身体の調子が思わしくない王陽明は辞退しましたが、以前の輝かしい戦歴を盾に政府は聞き入れず、彼は異民族の反乱を討伐することになりました。
反乱は無事討伐しましたが、体力を使いきった王陽明は凱旋途中、ついに没してしまいます。

最期のことばは、

わが心光明なり、
また何をか言わん。

だったと、いわれています。
でも、別の資料はこう語る王陽明を見つけていました。

ほかに思うことは無い。
ただ、平生の学問にようやくめどが立った今、
弟子達とこれを大成できなかったことが、残念なだけだ。

と。

王陽明の死後、陽明学はいくつかの党に分かれてしまいました。
そして良知の解釈をめぐり、左派と右派まっぷたつに別れて中国本土では、
徐々に廃れてゆきました。
再び隆盛するのは、19世紀清の終わりごろ。
王陽明の教えは、むしろ中国を離れた朝鮮や日本で強く慕われるようになってゆきます。

:王陽明ざっくり概要 一旦終わり:

:以下ぼろぼろ追記:

一通り王陽明を巡ることはとても難しいです。いろんな要素が絡み合って、
王陽明の辿った人生を追うことはなんとか、本を読めるのですが、その先、
どこの教えがどう、誰に影響したかと言う点は、まだまだ理解が足らず、
教えについてかけないのは、筆者しょうもない限りです。

『伝習録』や『大学問』など、残るさまざまな書籍に出てくるやり取りがまず、
孔子や孟子、朱子学のテキストを前提とした会話が非常に多く、その言葉の
深い理解を求める、というスタイルで話が進んでゆくため、前提知識として
読者もある程度この知識に触れていることが必要になります。
これが相当むつかしく、まず出典の著者の理解を踏まえた上で読まないと、
結局は王陽明のイヤがる100年の誤読へとつながるわけだと思います。

ただ、唯一「つかめたかな」と感じたのは、王陽明がその教えや言葉のはしばしで
大切にしていた「こころ」のありようでした。

今手元にある陽明タン関連の本は、


・『人類の知的遺産25 王陽明』 大西晴隆 講談社 1979
・『王陽明集』 島田虔次 朝日新聞社 1975

の二冊です。

この中、島田さんのほうの『王陽明集』解説にて、こんな一文がありました。

P13 より

「――私はかつて陽明の良知というのはハートの意味であるとしたことがあるが
(『朱子学と陽明学』132ページ)、この考えはいまでも改めようとは思わない。
知行合一という点でも、自他合一という点でも、それは私にはハートと
考えられるのであって、とりわけルソー的なハートというものに最も近いものと考えられるのである。」

あ、ハートでよかったんだ。
すこしほっとした一文でした。

またちょっとだけ、書く時間をもらうつもりです。






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銀の週間

2009年09月18日 | 雑記
連休は大好きなのですが一つだけこまったことがあります。
平日しか空かないところが全部閉まってしまうことです。

ま、みんな休みなのだから仕方のないことさ、と思いつつ、
結局いつもの土曜日日曜日を使ってあちこち歩き回ることになりそうな予感。
歩き回るのは大好きなのでどんとこいですが、
あいにくの雨天というものは堪忍していただきたいものです。

足を使って何かを得ることが好きなようで、
古本とか、店が『近そうで遠い』例えば地図を印刷して、道を確かめないと
いけない奥まった場所までトコトコ時間と頭と足を使ってゆくのは
とても楽しいので歩けるところは「通販いっぱつ!」ではなく、
やっぱり自分の足で行ってみて、店頭で手にとって店の空気を味わう、
その一手間がひどくいとおしくなります。

地図の通りにいけた!ということもそうですが、
自分で調べて、地図を見て、自分ひとりでたどりつけた!!
些細なことかもしれませんが、そんな達成感をじわっと滲み出すために、
そうして歩いて手間をかけたいのだと思います。

何より、調べていてワクワクしますし、ほんとうにあるのかどうか、
不安いっぱいで、胸を高鳴らせて電車が進む窓辺を見つめる時間が長くて、
歩く道も早足になる心の動きが、どうしようもなく普段からかけはなれられる
一瞬として、いとおしくなります。

好きなことだから、肩の力を思い切り抜いて、好きなやり方で、好きなほうから、
たっぷり時間をかけてやれる。

明日の道のりを楽しみに今日は眠ります。

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直後に

2009年09月16日 | 読書
届いていました。

:「子供の王国」諸星大二郎作 集英社 1986年

諸星大二郎は、そのぼたぼたとした重たい線が不安感を掻き立てる一時期があった。現在はペンを丸ペンに変え、細いタッチを重ねて、焦点が合わないときのあいまいなゆらぎが健在だが往年の不安感はずっと薄らいでいる。描くものも、読者も変化したためなのだろうか。ともあれ、諸星大二郎はかつてのインタビューに答えたとおり、誰にでも受け入れられるような作品を描けるようになった。と思う。

本書は1980年代前半に発表された作品を収めた短編集だ。収録されている作品は、

「子供の王国」「食事の時間」「広告の町」「感情のある風景」
「ダオナン」「ラストマジック」「会社の幽霊」「王の死」「オー氏の旅行」

の9本だ。(8本目と9本目の順番には不思議な悪意を感じる)。
このうち「オー氏の旅行」以外は全て文庫か単行本に再録されている。ただ、「オー氏の旅行」は、マンガではなく一ページのカートゥンであり、どの本かは失念してしまったが、他の単行本にも見覚えのある数枚が収録されていた。

幼い頃から彼に親しみ、重い筆使いには慣れているつもりだが、未だに正面からページを繰ることが出来ない作品がふたつある。一つは「地獄の戦士」。もう一つが、表題作「子供の王国」だ。前者はずっと未来のどこか、後者は未来の日本。どちらも私たちの生きている生活の延長が舞台である。

「子供の王国」は、『成長停止剤』のある未来だ。子供をおとなにしたくない親が飲ませたその薬は、身体の成長を10歳にとどめるものだった。子供のままで時は過ぎてゆく。子供のままで、頭はどんどんおとなになってゆく。だが、成長の止まった子供達は、親の望みどおり、心の成長も止めて永遠に遊びまわることを望んだ。知識は、おとなのものだ。大人の顔をする、子供でもない子供は、醜悪だ。

主人公の狩場は、親の意向で成長停止剤を飲まず、ふつうの大人として成長したために出世が出来ない。成長停止剤を飲み、子供のまま何十年も過ごしたものたちは”リリパティアン”と呼ばれ、身体は子供、心は大人の彼らが、社会の大切な部分――頭脳の殆どを取り仕切っているためだった。ここで、ん、となる。リリパティアンに「無邪気さ」は無い。大人の世知に長けている子供でも、ほんとうに年端のいかない子供ならばどこかに幼さがある。リリパティアンには、その最後の「幼さ」がない。
リリパティアンは、その振る舞いかた、極端な好悪の情で全てを判断することだけが「子供」なのだった。責任感や、思いやり、といった、他人と一緒に何かをするために大切な、大人となるのに大切な部分が、すっぱりとかけている。
取り残されて大人になった人たちを、リリパティアンは容赦なく攻撃する。ほんとうの子供は学校に取り残されて、大人の世知を身につけるために勉強し続ける。

諸星はこういうとき、何かを突きつけて問題提起するということはしない。ただ、自分の思った世界をそのまま出して、読者にほうりなげて、後ろを向いてすたすた去ってゆく。
諸星の話の中で、最も醜悪な絵づらが連発するマンガがこの作品だと思う。
それが悪いとはひと言も言っていない。むしろ放り投げるようにかける、諸星大二郎の手腕のすさまじさと、冷静さが、私は好きだ。






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わーい(本が発送されたらしい)

2009年09月16日 | 雑記
まだ花田さんをむこうで預かってもらっている最中ですが、
日、一日、浅村さんに慣れてゆくことがほんのり寂しく思います。

注文していた本は「ゆうめーる」で届けてくれるそうです。
捜しても周りの本屋だと3,000円とかする本なので、
配送量含めても1,300円なのはやっぱり嬉しいのです。

ここでこういう口調でものを書く事と、仕事、というくくりで、
会社のなかで書かなければいけない文と言うのは、ほんとに違うのだな、
とつくづく思わされます。
「書類」を読むということは、必ずしも「本」が読めることと同じではないのでは
無いか、そういう疑惑がぷつぷつ浮かんで消えません。

どちらも「伝える」という目的の元、書かれるものですが、
こうして目的の元に文を読め、と言うことを強制されていると、思ってしまう
ことが、なんとなく今までの本の読み方を浮き彫りにしてくれるようです。

作家のことばと、そのことばの選び方からみえる作家の視点や、
ことば自体の音の響きを楽しんで本を読む。

つまるところ日本語がこうして好きで、書くことが純粋にすきなのも、
音を自分の中でこだましながら書けるからなのかも知れません。

「書類」は、レゴブロックみたいに、でこぼこを組み合わせてお城の形に
する楽しみはありますが、出来上がったものは、やっぱり角が立っていて、
たまごのようになめらかな、音のやわらかさは無いものなのですね。

囲まれる文の比重がそういうものばかりで、ちょっと息苦しくなってきました。

いいんだ、まんがが届くから。(ゆうめーる)。





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怒りのプッチンプリン

2009年09月13日 | 読書
スタインベック「コルテスの海」(工作舎)を読了しました。
本の感想、といきたいところですが、思ったことをかきたくなったので
それをかきます。長いです。



「コルテスの海」は、スタインベックが海洋生物学者として、メキシコの湾岸を調査した旅を航海日誌風に描いた旅行記だ。しょっちゅう肝心な時に故障してスタインベックらを困らせるエンジン「海牛野郎」……翻訳でこれなのだから原文の怒りっぷりはいったいどうなんだろう……に頭をキリキリさせながら磯の生き物達を捕まえまくるスタインベックたち。海で生き物を取りながら、時折思索の時間が訪れる。そんな一章を読んでいて驚いた。こういうときに限ってしおりを忘れてしまうのだが、ともかくも彼はこんな趣旨の事を言っていた。

ヒトは、あんまりにも外のものと自分を同一視しすぎて、とうとう自分が見えなくなってしまっている。

と。
地位とか、家とか、お金とか、本とか、知識とか、そういう後付のものを手に入れて身につけただけで、それが自分だ、と言う風に錯覚して、錯覚した目でモノを見る。当然、あるがままには受け入れられない。そもそも、あるがまま、が見えなくなってしまう。あるがまま、現実を見るのは、自分の見たくないものを視てしまったり、思っていたよりも自分の思い通りにまわりは進んでいなかったり、ともかく嫌なものに気づいてしまうことがある。だがその気づきを受け止めてあげないと、何も出来ない。
何かするだけではなくて、モノを考える時にも、外物に囚われて、外のものに真理を見ようとすると、結局は何も得られなくなる。廻りまわって、戻るのは、それまで見てこなかった自分自身なのだなあとざーっと頭が理解したところでふと思い出した。

王陽明タンが同じ悩みを抱えていたのだ。

王陽明は五回迷った。既に有る膨大な考え方の一つ一つを吸収していって、病気になるほど吸収するための意欲を惜しまなくて、消化していったのに、それでも学んで学んだ先に求める答えはなかった。王陽明は最後に自分の中へ立ち戻ることでやっと、彼自身の考え方と言うものを見つけることができたのだ。
誰だって物を考える。その判断は古今東西老若男女通してそれぞれの違いがある。個々人の考え方と言うものが無い、と思っているヒトはいない。そんなものを見直すのに王陽明は人生の半分を使ってやっと気づいた。気づいたら、ふっとしがらみがとれた。それでも王陽明はその人生の最後まで、ずーっと悩み続けることになるのだが。

王陽明は、良知に到る、ということ、己の心にあるがままに、事物を見つめることが大切なのだと気づいてからはそれに専心しつづけた。集まってきた弟子に教えもした。考えて考えても、最後にまだ足りないと言い残して死んでしまった。「あるがまま」というのは、ひとたびモノ……考え方や習慣とか、目に見えないものも入る……に染まってしまうと、気づくのに時間がかかってしまうものの見方だ。自分の心と切り離して、それにあわせてゆくことは、誰でも行っている。だが、自分の心に嘘をつかず、かつ「ありのまま」を受け止めて動けるか、と言うと、これは相当に難しいことだと思うのだ。
「ありのまま」に見て、こういうことをすればよいのだな、と理解しても、手が動かない、心が頭にそぐって動いてくれない。それは、結局自分の心がまず「ありのまま」に見えていないだけであって、自分も含めて廻りすべてをぐるりと見渡せるようになった時、ようやく楽になれる。中国の仙人や外国の哲学者たちが、それぞれ思い悩む方向は別々なのだが、つまるところ思索をする人々というのがたどりつく大切なポイントとして、「自分丸ごとありのまま」に受け止める、ということがあるのではないだろうか。

だとすると、社会に出て成功しているヒトも「ありのまま」事物が見えて、その動きを把握して機敏に動く、ということは誰よりもきっと滑らかなのだが、この人たちの見方と、思索をするヒトが選ぶ「ありのまま」の見方はどのように違うのだろうか。そんなに違わないかもしれない。根は同じかも知れない。でも社会にいる多くのヒトは思索をしていたら手が動かなくて怒られて、減棒されて職を失ってえらいことになる。思索ではなにもできないでしょう、という「ありのまま」を彼らはみんなに突きつけて生きている。

息苦しいことのない世界に暮らすヒトとは、あんまり仲良くなれそうに無いな、と文中でスタインベックが言っていた。また栞を忘れてしまったが、苦しいことが無いとヒトの苦しさがわからない、ヒトの苦しさがわからなければ優しさもない、そんな傲岸なヒトには耐え切れない、そういうことだった。同じことをいろんなヒトが言い続けてこの言葉も擦り切れてきているとは思うが、それこそ王陽明が「到良知」を説くにあたって弟子達が上っ面の解釈ばっかりしてしょうもない、と嘆いたように、自分が苦しいことを乗り越えてもヒトの苦しさを受け止められる、聞いてあげることができるということは相当にまれだ。ありのまま、事象を見つめるのは、苦しみも優しさも持ちながら、それを一度脇に取りのけておけることが出来ないと、深みがなくて、味付けが薄くなってしまう。

海を眺めるスタインベックの目は、旅の楽しみに跳ね回っている。けれどその楽しみの前に、亡くした生態学者の友人エドワード・リケッツについて裂かれている一章が立っている。スタインベックの目はこの人と共に有る。でも、この人は一緒に旅をしたはずなのに旅の中でスタインベックが名前を出すことは無い。ひたすらに自分の目だけで、時折アクセントを織り交ぜながらも、この人の名前は出ない。

「ありのまま」は、あからさまにしなくてもよいものなのだ。



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調べていたらデータがかけていた(マンガ)

2009年09月12日 | 読書
まだまだ勉強不足だなあ、と思いました。
ちょっとシルバーウィークは本のハントに出かけようかと考え中です。
ネットはいまさらながらにすごい。
タイトルは内緒話です。


マンガや絵を見るときに、線の好みと言うものがあると思うのですが、
私はわりと丸ペン、少女マンガでよく利用される細い単線が苦手で、
反対にごってりインクの乗った、筆のあとが見えるようなペン先が好きです。

このごろは、PCの技術が発達して、原画を取り込んでコンピュータで
手描きのように仕上げる技術、というものが可能のようですが、
確かに一見して線の書き味やタッチがやわらかくて、手描きにどんどん画面が
近づいている。ただ、最近コンピュータを使い始めて、下絵を取り込んでから
コンピュータですべて下地をやっている人―例えばこやま基夫とか―はかえって
コンピュータ仕上げにしてから絵が雑になってしまい残念なことになっています。
手描きではきれいに引けていた曲線が、途切れ途切れになっていたり、
本来筆圧で強調していた輪郭の線が、コンピュータのペン圧だと少々
つぶれすぎてしまっていたり、とか、何よりカラーの重ね塗りで、紙とインクの
兼ね合いのみが生み出すあたたかい空気だとか、そうしたものを表現できる
ほど使いこなせていないと思いました。

コンピュータの絵に、どうしても違和感をおぼえてしまうのは、
色の重ね方があまりにも光の三原色のような透明度がありすぎて、
水彩タッチでも暗さがないところです。
液晶画面をいつまでもみていると目が疲れるように、CGで描かれたものは
光が強すぎて、目が痛くなってしまいます。

きれいすぎる。清潔すぎる。潔癖すぎる。

ちょっとそういうものが多すぎるんじゃないでしょうか。
マンガにしろ小説にしろ、エンタメにしろ。
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