えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

読書のたのしみ

2010年01月28日 | 読書
人にうずもれて手首で支え、親指と小指をつかってページを繰ります。
満員電車ではいかに手を自由にするかが肝要です。
黒いコートの背中と、ベージュのPコートの20センチ、細い首と太い腕の
差から生まれた隙間に本をさしのべて、読みます。

電車は揺れ、人は一向に減りません。
むくむくに着込んだ人々が押されあうたびに、じっとりと息で湿った
透明なスポンジのような空気が蛍光灯と人の頭の狭間で押し合いへし合い
しています。涼しい風が襟足をさすってくれるものの、そこから下は網目の
つまったタートルネックが隙間なく体温と空気をと閉じ込めていました。
暑いのです。
マフラーを外して鞄にくくりつけ、片手にぶらさげて本を読みました。
手が小さいので片手ではせいぜいが東洋文庫、新潮選書まででしょうか。
目は黙ってページを辿ります。飽きれば左手にすべる窓の底に目をやると
ビルの塊が黒の濃淡でつぎつぎと過ぎ去ってゆきます。駅に着きました。

また人と空気がぎっしりと詰め込まれて、肘の角度は徐々に胸の方へ胸の
方へと押されてゆきました。指をページに滑らせながら、紙が折れないように
抜いて本を閉じ、足を開けるだけ開いて踏ん張ると反対の手に隙間ができました。
首と本を右手に渡して褐色のページに目を落としました。
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子供は風の子侠気の子

2010年01月26日 | コラム
はなたれ小僧は元気な子~滝平次郎遺作展~ 逓信総合博物館(ていぱーく) 2月3日まで

 寒風、えりをかきよせてビルの影を中央線の線路に沿って歩いた。まだ二時だというのに、ビルに日の光をさえぎられてしまうとすっかり寒い。神田のほうに歩く。ぶつかった交差点を左に入ると日の光が見えた。光にそってまっすぐ歩いた先が、逓信総合博物館である。110円の入場料で、滝平次郎の作品を250点以上も集めた展覧会は開かれている。

 昨年5月に世を去った滝平次郎は、切手の絵で郵便局とつながっていた。享年88歳。「モチモチの木」や「花さき山」「ソメコとオニ」など、斉藤隆介の絵本をことごとくきりぬいた版画家は1995年を最後に刃物を収めていた。展示のほとんどは、絵本と朝日新聞日曜版に掲載されたきりえで埋もれている。でも彼は生涯、自分を「きりえ画家」と称したことは一度もなかった。彼は版画家だ。線そのものを刃物で切りだす版画家だった。
 
 その暖かさと味わいを十分すぎるほど味わってきた絵本に世界に浸るのはちょっと待とう。1940年代から1970年代前半にこれでもかとつくりあげた44点が最初にどんと待ち受けている。彫り残された黒からたちのぼってくるような線の塊。有島武郎の小説を思い出す「漁禁」の着膨れた体躯は、わずかに残る線が縦じまのどてらとなってこちらを向いている。白の散る青灰色を背景に、目玉をちょっと右上に動かすのもつらいまぶたの線が重苦しい冷えを放つ。あとの200点のぬくもりからはずっとかけ離れた画の数々は、これもまた滝平次郎の一面でしかない。

 彼が「ゆき」「ふき」の二つの作品でヒロインの放つ「おらと死ねッ!」のひと言を絵にしたことを忘れてはいけない。線だけ見れば、可憐な瞳と同じ線がそこにいる。だが雪山をはだしで駆け下る「ふき」の、地を掴んだ直ぐ後の丸まった足先、「ふき」の天を向く喉には気迫がこもっている。これらのシーンは、本展覧会には登場しない。だが44枚の版画は確実にこの二枚へ、いのちがけで立ち向かう人の姿すべてにつながっているのだ。
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繊サー

2010年01月20日 | 雑記
自動化が進むと人は「気ばたらき」をなくしてしまう、というようなことを
池波正太郎が言っていたと思いますが、今暮らしているとやっと、自動化交えて
「気ばたらき」を、つまり自動化されたものごとをこき使えるようになってきた
のではないでしょうか。

とはいえ、何をどういった道筋で機械にやらせるか、それを考えるのはまだまだ
人間のお仕事なので、むしろ自動化された上にまだ人がやらなければならないことへと
気をはたらかせなければならない。IT屋さんになると、作った機械を使う人の道筋と
さらに機械同士の働きをしっくりさせなければならないのでこれもまた気ばたらきです。

そうして人の働き、ドアを開ける、レバーを押す、ふたをあける、コックをひねるなど
動きのタイミングをあわせてあげるために機械が身につけなければいけないのは、
センサーです。
手を伸ばせば管の下に付けられた黒い帯がそれを感じ取り、水を流す命令を出します。
ガラスの前に立ち止まれば、天井か床かに設置された何かが人を感じ取って勝手にド
アが開きます。こうなるとケッコーな数と日々暮らしているのだなあと思いますが、
センサー君たちは意外に気ばたらきがわるい。

トイレに入りました。用を足しました。さて席を立とう。背中にはセンサーがある。
離れれば勝手に水を流してくれるので、そのまますっとドアを開いて出て行っても
よござんすよ、出て行っても。と奴は言っています。人間はちょっと不安です。
ここに入るまでそこそこ待ちました。外にはまだ4人ほど並んでいます。水の音へ
耳をそばただせ、ドアのきしみに足をぴくぴくさせながら、開いたとたん入れ違いに
すっとんで個室を閉めます。間隔があまりに狭い。流れなかったら。

そのまま行っちゃっても別にいいよね二度と会わないし、とドライに流せるには
まだ恥じらいというややこしいものがある。席は立った。無音である。流れない。
ドアへとにじりよって便器から距離をとる。いっこうにだめ。ズボンのももが
触れるほど近寄っても無言。

もういい、お前に言うことを聞かせるのはやめます。

手動に切り替えようとした手が止まりました。蓋に隠れた便器の背中は、すっきりと
太いパイプと短いパイプの数本にまとめられ、無骨に突き出た握りなんぞどこにも
ありません。浮いた手をやるせなく引っ込めます、手でセンサーを叩くなどという
賢い方法を出てから思いつきましたが今はひたすら、かつてはレバーのあった空間に
目線だけがレバーを形作ってゆきました。

と、がた、と便器の奥が動き出し、水がぐるぐると渦を巻いて重湯でも吸い込むような
低い音を立ててパイプの奥へとものを片付けだしました。

こういう奴の鼻を高くしないためにも、手段を選ぶ自由くらいは残しておいて
欲しいものです。完。(下世話ですみません)
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泉鏡花「婦系図」読了

2010年01月15日 | 読書
:「婦系図」(おんなけいず) 泉鏡花 1907年 新潮文庫

なんか前も叫んだ気がしますがもう一度。

泉鏡花萌えええええ!!!

本を開いて2秒で恋に落ちます。

 『素顔に口紅で美いから、その色に紛うけれども、可愛い音は、唇が鳴るのではない。
  お蔦は、皓歯(しらは)に酸漿を含んで居る。……
  (中略)
  眉を顰めながら、その癖恍惚(うっとり)した、迫らない顔色(かおつき)で、
  今度は口ずさむと言うよりも故(わざ)と試みにククと舌の尖(さき)で音を入れる。』

酸漿を鳴らしたこともないのに、唇で押さえた赤い実を頬をわずかにすぼませて吸う
あの所作が、目の前にクク、と、キュウ、とク、とを足したかのようにすべる音と
共に立ち上がってきます。口紅の他に化粧気のない唇に溶け込んた朱色の、
肌の皓さを浮き上がらせることといったらもうもう、なのです。

「湯島の白梅」と言えば通りがよいでしょうか。元芸妓のお蔦と文学士早瀬の愛は、
田中絹代や山田五十鈴、長谷川一夫に鶴田浩二といった時代の名優たちに演じられて
今に至りました。大小を問わなければたくさんの舞台で、たくさんの役者たちが
演じてきた女であり、男です。

ただこの一行と図書館で出会った時は、彼らの演技を見ていなくてよかったと
思いました。一度だけ、田舎舞台で「湯島の白梅」を観たことがあります。幸い
女形の顔がお蔦という女へ重ね合わせて覚えていなかったので、すっきりとした
女は言葉の通りに唇で酸漿をつまみ、すらりとした肢体のまま頭へ入ってきました。

所作の一つ一つをほんとうに大切に、丁寧に描く人だと思います。
何かを思ったときにふと出る癖、例えば誰かと話していて言いよどんだ時、うつむいて
顎を人差し指と親指ではさんでこすったり、まばたきをしてから目をあけてん?と
口を引いて笑ったり、パソコンのキーを叩いては冷めた燗酒を一口、叩いては猪口を
舌につけ、と、今ここにたった三行で書いた所作を一つの流れにして、指先の曲げ方
まで逃さないようにするすると追いかけてゆきます。
ものの動きを時間とともに、人の心とあわせて捉える目の正確さこそが、ことば以前に
もっと泉鏡花のすごさ、面白さだと思うのです。

お蔦は小説400ページで、実はあまり姿を見せません。
それでも、冒頭のこの文の鮮烈さは誰にも彼女を忘れさせることはできなくなるほど、
かっちりと捉えたイメージを読者に突きつけ、頭の奥に焼きゴテでも使ったかのように
くっきりと「お蔦」。という女を焼き付ける。最後まで。それがいい。
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おしゃべりの声質

2010年01月11日 | 雑記
電気屋さんもおもしろいことには敏感なようです。

東芝 Studio ToSpeak

こちら、今月から3ヶ月限定で公開されている”音声合成”のページです。
好きなキャラクターを選び、テキストを入力するとそのとおりに喋ってくれる、
というシステムです。
完全無料システムで登録もかんたんなので、期間中は誰でもかんたんに
文章を発音させた音声をつくることができます。
音声の入力画面は「かな漢字入力モード」と「読み調整モード」に分かれていて、
「かな~」のほうで文章を入力、「読み調整」で細かい音声の調整を行います。
「かな~」でプチプチ打ちこんだものを読ませるだけでもけっこう聞けます。

電気屋さんの大手がつくったとあって、声の質はよどみが少なく、音声合成
初心者の筆者もわりあい自然な声だなあと思います。電子的なひっかかりはありますが、
そこをどの程度調整でカバーできるかが考えどころです。
To Speakという東芝の音声合成エンジンを利用したシステムで、
喋る速度や声の太さ、さらには抑揚やアクセントまで調整できるという細かさ。
つくった音声はダウンロードして保存も出来るようなので、上手い人はこれだけ
そろってれば相当なものが作れるんじゃないでしょうか。

というか、普通にキャラクターが可愛いので一見の価値はあります。

今のところログインして使用できるのは、

若い女の子で”会話調”の「スピカ」(23)
男性で”読み上げ調”の「ディノ」(29)
少し落ち着いた女性で”読み上げ調”の「ユキノ」(34)

の三名のみとなっています。サイトでは他にも7名の声が紹介されており、
おっさんから少女までかなり幅広い声質で作られています。

反則だと思ったのは”アンドロイド”「Mr.ボロ」(2)。
人間じゃないのかよ。
でも合成音声そのものは、人間の声を真似たものですから、アンドロイドには
これほどうってつけな音声も無いのです。最初っから”つくりもん”という
レッテルを貼られれば、たとえばスターウォーズの金ぴかロボットに人間が
当てる声よりももっと自然に人工物としての聞こえ方を与えることが出来ます。
人工物同士だからこそある意味相性がとってもいい「聞こえ方」で、たぶん
公開されている音声の中では最も聞こえ方に違和感のない音声だと思います。

紹介文では「ぽんこつアンドロイド」とありますが、全然ポンコツじゃないし
むしろ一番しっくりしてますよアンタ。ひいき目かも知れませんがまあいいや。
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時速100キロのやきいも屋

2010年01月08日 | 雑記
寒い日は白い煙をふうふうはきながら歩くのが好きです。
重たいコートにかばん、スーツで駅から降りると服から寒さがしみこんで、
どんどん重たく冷えてゆく夜でした。
一月電車のお供をした本を閉じてまだぐるぐると熱っぽい静かな興奮が
おさまらずにふと見るとバスが止まっています。歩けば大回りですが
バスならば5分ほどで過ぎてしまう道を通りたくなって乗り込みました。


奴がそこにいました。


12月5日の日記に書いた男は、ジャンパーの肘にコンビニの一番小さいビニール袋
をかけ、腕と足を組み目を閉じて優先席に腰掛けていました。
その、すらりと伸びたふくらはぎは、肌の色がほのかに透けて見える
黒いストッキングに包まれ、黒いプリーツスカートから始まり
白いピンヒールの先の尖った27センチの靴にはまったつま先で終わります。
奴は悠々と右の太ももに左の膝を乗せ、床についた足先をわずかに伸ばして
組んだ足が台形をきれいに描く形で坐っていました。

バスが走り出してしばらく、奴は鼻歌を歌いながら手すりにぶらさがったチラシを
指先ではじき、席を立ちました。そこまで背は高くありません。ただスカートから
突き出た太ももの太さが、女の子ならちょうどいいはずなのに、男特有の密度の
濃い固さのせいか妙におかしな気持ちになります。
丈は膝上20センチ。
カーキ色のジャンパーから鍵盤のように突き出たプリーツに乱れはなく、足を
取り囲むようにくるりと白いラインが染め抜かれています。
1000円のバスカードを右手に振りながら、壁の広告を眺めていました。
普通男性の立ち姿というものは、両足の開き方がどこか角ばって、地面を掴むよう
にがちっと立っているものですが、奴の両足は足の内側の筋肉を全力でつっぱらせ、
そのくせ足元はそっと地面を踏む女性の立ち姿を取っていました。
足首から上とスカートから下の二本が描くアーチの線のやわらかさが、肉の固さを
補って余りある女性なのです。
飽きたのか、奴はまた左足を上に足を組んでもといた席に坐りました。
バスの揺れに合わせた揺れと、時折ぴしぴしとチラシをはじくほかは何もせず、
スカートから突き出た足を組んで坐っていました。
皆だまってそれぞれの前を見て坐っていました。バスは走ります。

信号をいくつか越えた停留所で私は降りました。奴は降りませんでした。

バスは私を追い抜いて、坂の上の自動車会社に続くネオンへまっすぐに走って
ゆきました。
この冬三度目の邂逅(年が明ける前、深夜の中央線にて)、同じジャンパー同じ靴
同じストッキングの男は、窓に頭をもたせかけることもなく、バスに運ばれて
町の奥へ消えてゆきました。


なめうさ母:「ハイヒールを履くと足がキュッ!と締まるのよ」
なめ:「実感しました」


:追記(帰宅して弟父親叔父を見て):

膝上20センチのスカートにも関わらず、太ももだけくっきりと見せ続けていると
いうことは、膝上20センチのスカートに堪え得る男性用下着、あるいは(勇気が無く自重)
もしかしたら(もっと自重)なのでしょうか。おそるべき重大な問題です。

この冬三度目の邂逅です。四度目は春一番かも知れません。
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年がきた

2010年01月05日 | 雑記
あけましておめでとうございます。
なんとなく続けてきて、二年目に突入しようとしています。
これから何をしたいか、何をしようか、
考えているまにまに時はあっというまに過ぎてしまうのだと
お正月休みのしょんぼりな短さを振り返って思います。

なんだかんだで、親戚たちとわーっと騒いで過ごせたのも、
祖母と買い物に行ったりするのも、毎年どおりですが
昔よりは楽につきあえるように、付き合いを楽しめるようになりました。
お酒を干して話を聴く。
それだけでもわりあい楽しいものです。

ここに目を通してくださる方々、
時々お話しする人々、
いつもありがとうございます。

今年もよろしくおねがいします。
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