志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

間違って送られてきた(?)詩集『海馬に乗って』長嶋南子は、日常の、関係する人間のシュールなリアリティを簡潔な言葉で編んでいる!

2020-08-20 23:34:02 | 詩、詩集
一見して、日常の関係性が断ち切られることも
老いることも比喩がドキッとする詩語で埋めていく!
  
  母親でした
  息子をつぶしてしまいました
  熟れすぎたトマトみたいにぐちゃっと
 
  妻でした
  夫の尻をたたいていました
  たたきすぎて手が腫れました

  子どもも夫も
  とこかにいってしまいました
  嫉妬深い目をかくして友をみています
  
   のようにさらにその詩は続く。

  運命に逆らったので長生きします
  女を取り戻すには愛人が必要です
  手遅れです
  おじいさんはすぐ
  死んでしまいますからね
   のように~。

 104歳で逝った母親の詩もシュールで、どこか鳥肌が立つような感覚を与える詩語が並んでいる。
 生まれて親の愛を受けて成長し、大人になり結婚し、子供の親になり、仕事をして老いて死ぬ。長ーい戦争も体験し、テレビも携帯も体験し
消える。子供の親として愛して、苦労して病んで、枯れて消え去る命。母。多くの命のサイクルがある。固有の生と固有の死を抱いている、と幻想を持って逝くだろうか。死は死。死の差異はいかほどのものだろうか。何億の人間がいて何億の死のドラマがあるに違いないと思っているが~、やはり何億の死の諸相があるのだと~。そして死も類型化される。多様な物語のコードに乗っていく。

この詩集は交通事故で息子を失った母親の悲しみが嘘のよう、「こんなはずではなかったのに」の思いが偽悪的に自己処罰のようにことばが連ねられているようにも思える。こんなはずではなかった息子の死!を通り過ぎなければならなかった時が、ことばに結晶された。何度か読み返したくなる詩集になった。ぞんざいに言葉を投げ捨てるように連ねられた詩篇は、存在そのもののシュールさをむき出しにしているようだ。
    
 歯がないとみんな死に顔になるね
 妹がいう
 父も男も口をすぼめて去っていった
                    いい詩集だと思う。ハットすることばの喚起はいい!じっくり何度も読みたい詩集。謝!

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