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(白緑 高貝弘也 と、表紙はただ彫り込まれている。白の表紙、存在は白く彫り込まれているのである!目次もない詩集:詩人が鉛筆の手書きで白緑と書いている。謹呈された詩集を読ませていただいた。謝)
高貝弘也氏は日本の現代詩の代表的詩人のお一人、沖縄の詩誌《EKE》の同人でもある。その中に収録された詩も紹介された新しい詩集が『白緑』(びゃくろく)である。
一遍の詩をご紹介したい。
《白緑》
I
それから あなたは 舞い降りて、微睡んでいる。
雨が止んだばかりの、
しろい穂波のきわ
白緑色のまぼろし
あなたが寄る、道草の末(うら)
しきりに半月が 囀っている。
(まるで、 あなたにしがみつくように)
白光し、残花がふるえている。
ほそく染み渡る このこころもとなさは
空明かり
舞い降っている 毛物のようなもの・・・・・
ーーーあれはなに?
(あなたに、そう 初めて尋ねられた)
一際やさしい 光が 狂って。
それは ふたおもての、水ぎわに溜まって
II
野草に ふぃに搦めとられて。
あれは、 地霊のおもむくところ
ーーー人攫い・・・ 鳥飼・・・
しきりに、あなたが呼んでいるのは
小走りに近づいてきたので、ずっと
口をすぼめた。泣きそうな 赤い狐目をして
ああ烏滸! あなたは、しがみついて。
とても胸のすくような 声で
十万頭の豚 逆さになって。
県堺 体液のついた、塵が舞う
羽状葉 遠く(とおく)響かすよ。
あなたが眠る、 白緑色の その葉緑から
****************
烏滸(おこ)=馬鹿げていること
この詩を読むと、存在のはかなさ、いたみ、模糊とした生きるいとなみや災害・生きる淵の中で
それでも芽吹いている植物が頭に浮かぶ。高貝弘也は植物の花や実や茎や葉について語る。
ことばが鮮やかにきりつする、その詩人のことばにふゎーとした存在そのものの切なさ、エロスとタナトス
をまた喚起させられる。生きとし生けるものの宿命が風のようにうねって引いていくような、なんだろう
やはり存在の痛み、歓に思いいたる。微細に生きものたちへ眼差を向けることばが溢れているね。体液の塵!
やはり自分の詩集を出したいと思う。「写真と詩」、きっと実現するね。何らかの賞を目指すものではない。
この生きているモメントを記憶を体感を一冊にまとめて共感できる誰かがいたらそれでいいのかもしれない。
小さな写真と詩の本!実現できるね!
半分神人(カミンチュ)の風貌のSさんは祈りの時(~できました)と完結に語ることだよ、とアドバイスしてくれた。
信心深くはないわたしはその教えにそって祈る。
****************転載です!
びゃくろく~白つつじ~ http://www.geocities.jp/simomex/sakuhin/sakuhin-akuriru/akuriru-sakuhin/tutuji.html
白緑(びゃくろく)の くうきを あざやかに すいこみ たおやかな花弁で かがやきを ふりまく 浄化する いろ 昇華する いろ しずかな語り部の いる風景 白つつじの花 制作:2002年 冬 |
※『白緑(びゃくろく)』というのは、日本画の絵の具にある名前です。
銅の錆びた色を『緑青(ろくしょう)』といいますが、それよりもっと色の淡い、白みのある色です。
日本画の絵の具(岩絵の具)は同じ色でも粒子の細かさを変化させて使い分けます。
『白(びゃく)』というのはその中でも、一番粒子が細かいことを表わします。
(以下はウィキピディアで紹介された高貝氏の略歴である)
高貝 弘也(たかがい ひろや、1961年8月30日 - )は、日本の詩人。
東京都品川区生まれ。東京都立国立高等学校、京都大学文学部仏文科卒。「歴程」同人。
1982年城戸朱理、田野倉康一、広瀬大志と『洗濯船』創刊。1995年粕谷栄市、江代充、法橋太郎と『幽明』創刊。同年『生の谺』で第6回歴程新鋭賞受賞。2001年『再生する光』で第19回現代詩花椿賞受賞、2004年『半世記』で第12回萩原朔太郎賞候補、2009年『子葉声韻』で第39回高見順賞および第9回山本健吉文学賞受賞、2010年『露光』で第48回藤村記念歴程賞受賞。
国会図書館のデータベースでは名前の読みが「こうや」となっているが、『文藝年鑑』で「ひろや」とあるのに従う。