私の履歴書 岡本綾子
私の履歴書は、
政財界を問わず著名な方の半生記を記した日経新聞のコラムです。
これを執筆して、受勲するっていうのが
世の中のステイタスロード。
功なり名を成し遂げた老害の最後の花道ですわ。
そんなコラムに、プロゴルファー界で
ジャックニクラウス、青木功についでの3番目。
いかに、岡本綾子がすごい人物であるかがわかりますね。
その岡本綾子の私の履歴書が、異常に面白いんですわ
自慢話ばかり書く老害たちのしょうもない自慢話とは
一線を画してます。
幼少期の話
田舎の農家に育った岡本氏は、かえるを食ったり
インディアン遊びで頭から血を流しながら遊んだとか
野山を駆け巡った話から、
同級生に服の色を「びちぐそ」って言われたことに対する
恨みを今でも抱いていたり
クラスで、つららのことを「ちんぼ氷」といって自己嫌悪に陥ったりw
実業団のソフトボール部に入ってからは、
禁止されてる、「禁酒、禁煙、禁男」の戒律をすべて破っていたとかw
面白い逸話がいっぱいです
破天荒で恨みっぽい性格なのか
「いまでも恨んでいる」とか「今でも根に持っている」とか
「思い出したら、首を絞めたい」とかw
けっこう、過去の経緯を根に持ってる記述が多くて笑わせる反面
ちょっと怖い部分もありますねw
プロゴルファーになってからも相当面白いです
特に、仲が悪いとされている樋口久子に対する記述が、
読んでるこっちが、「こんなこと書いていいの?」って思うくらい
面白いんですよ。
たとえば
「(マージャンでは)樋口さんとも卓を囲んだ。考える時間がちょっと長
い樋口さんに『プレーはちゃっちゃやるのに、マージャンは遅いわ』と軽
口をたたいたこともある。」
「プロテストの再挑戦は(1975年)10月18日。樋口久子さんに初めて会っ
たのはその前日のことだ。名前を聞いたことがある程度だったが、澄んだ
目は眼光鋭く、一目見ただけで『あっ、この人は違うな』と思った。」
「プロ初優勝は(1975年)11月15日、美津濃トーナメント〈千葉〉である。
私は樋口久子さん、大迫たつ子さんと最終組でプレーした。その試合はギャ
ラリーもロープ内に入れ、ケガで欠場した小林法子さんが樋口さん、大迫
さんと並んで、私の5、6歩先を歩いていた。
すると樋口さんが聞こえよがしに、2人に『岡本って、飛ぶ、飛ぶと言わ
れるけど(大迫)たっちゃんより飛ばないじゃん』。これも駆け引きの一
つなのだろうが、ちょっとびっくりした。」
「ホールアウト後、『握手するところを撮らせて』と言われたが、樋口さ
んはカメラマンに向かって『嫌よ、なんで握手しなきゃいけないのよ』。
結局、握手を交わすのだが、あの言葉は強く印象に残っている。」
数年後。「ドライバーショットは、飛ばし屋の大迫さんより10ヤード先に。
女王の樋口久子さんと一緒に回ると、最低30ヤードは先を行った。彼女の
ランで転がったボールを、キャリーで越す。」状態になった。
「(77年4月、ワールドレディスの18番で)私はアプローチを1メートルほ
どに寄せパー、樋口さんは3パットのボギーだ。樋口さんがパーパットを
外して優勝が決まった瞬間、私は思わずガッツポーズをした。
ところが翌日の新聞に写真が載ると非難囂々。『人のミスを喜んで』とプ
ロ仲間やマスコミにたたかれた。・・・弁解するとよからぬ方向に行きそ
うだから、傷ついたけどぐっと我慢。(それ以降)私は余計に喜怒哀楽を
出さないように心がけた。」
などなど
これを読んだ樋口さんは、ニヤッと笑ってるのか
はらわたにえくりかえってるのか?w
前者であることを祈ってますw
まだ、しばらく続きますので
楽しみに読んでます