この国の複雑さは、祭政社会に日本的仏教が重なったためで、後者が前者に深さと価値を付与し、独特な彩(いろどり)を与える、その集大成が、あの江戸の町人文化ではあるまいか。
いくつもの祭礼、スモウに歌舞伎に浮世絵、あのヨーロッパの印象派の画家が驚愕したシュールな画法、彼らは中国の山水画には下げなかったアタマをニッポンの浮世絵師たちには下げた、ゴッホにマチスにゴーギャン、だから、そこには、自立した自由な個人が活躍していたのであり、ヨーロッパの市民社会に匹敵するものが、江戸の町人文化であったと明言してもいいだろう。
この神道と仏教のミックスを断ち切り、自分たちの地縁・血縁による利権を確保しよとしたのが明治の新政府の一面であり、薩長グループの工作と関与、それに資金を提供したのが士農工商の商人クラス、つまり、明治維新とは、田舎の下層武士と商人のリベンジであり、そこには日本的ルサンチマン(恨み)がある、坂の上の雲ではなく、坂の下の虫たちの暗躍、へコキ虫・クソムシ・フンコロガシたちの専横によって経営された、そして、この体質は、未だに、この国の社会のスミズミに機能している。
さて、スクランブル交差点、
「わたくしモンテクリスト・ジュニアが実況しております」
「スクランブル交差点とは なんでしょうか それは 日本そのものです これは日本と日本人でなければ成立しなかったのです」
「それでも 日本はサムライの国なのです 現在の日本人にもサムライの血が流れています 忍びに忍び 耐えに耐え 我慢に我慢を重ね そして 勝負は一瞬です」
「誹謗や中傷 いわれなき非難 キチガイのようにわめきたてる国に 冷静と品位を忘れません これができるのはサムライだからなのです」
「ゆずりあい 相手を思いやる礼儀と慣習 いや 文明があるからこそ このスクランブル交差点が可能なのです 交通できるのです」
「我々は 今 目のまえに ひとつの奇跡を見ているのです 前から後ろからナナメから横から うれしそうに歩いているではありませんか 自己の主張が他者の権利を奪うことがない ここにこそ 単純で卑近な高度な文明の証明がある」
ひといきつきましょうか、
「やっとパミュパミュがトージョーしました トリンドル・レナちゃんの人気で出番が少なくなっているキャリーのパミュパミュ それでも トージョーでーす」
「カリスマ性がなくなれば たたの白い小デブにしかすぎません あのファッション・コスチュームにもちょっとムリが見えてまいりました」
「それでは ちからいっぱい 歌ってもらいましょうか あっ 少年がおどりはじめました」
にんじゃり ばんばん
にんじゃり ばんばん
「スルー スルー」
「あっ パンツがおちました ゴムがきれたんでしょうか」
「フリ○○です フリ○○です
それでも
おどっています
おどっています 」
この騒ぎ、一体、どうなるんでしょうか。