The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

伊勢志摩サミット異聞 下

2016-06-11 06:35:16 | 世界経済
    
 新宿の歌舞伎町でクルドのオトコが店を構えている、奥さんが日本人なので、日本での生活が可能になったらしい、その筋の者が「ミカジメ料」を集めに來るのだが、この人、
 「はい はい 待っておりました」
 「・・・」
 「どうぞ お受け取りください」   

 いやなもんだろう、税金以外に、そんなもんを払うのは、ところが、
 「ありがたいんです」
 それは、
 「あちらでは いくつものグループから要求されます」
 「それが わたしたちの生活なんです」
 「ここではひとつだけで しかも 彼らが守ってくれます」
 「こんなありがたいことはありません」

 今回のサミット、なんとか無事にすんだ、アラブの人々の無言のサポートがあったのかもしれない、パレスチナのリーダー、外国人記者団に向かって、
 「この中に 日本人はいますか」
 「日本人になら 話してもいい」

 ヨルダンの青空教室で、アラブの子供たちに向かって、
 「ニッポンを見習いましょうね」
 ヒロシマの写真を見せて、
 「こんなにされてしまったんですよ わたしたち以上かもしれません」
 「あかちゃんやちいさなおんなの子まで ころされてしまったんです」
 「・・・」
 「それでも がんばってがんばって あんなに立派な国をつくったんです」
 「ニッポンを ニッポンを 見習いましょうね」

 「センセー ニッポンはキムチの国ですか」
 「いいえ キムチの国なんかではありません」
 「センセー ニッポン人は ロンドンのバーバリでウンコ・ブーブリした人ですか」
 「いいえ ちがいます ニッポンは どこに行っても清潔でタンやツバを吐くヒトがいません」
 「地下鉄でウンコ・ブーブリは」
 「そんなことは ゼッタイ・ゼッタイにありません だから 安心してくださいね」

 青空教室というのは、校舎がないのだ。