榎本武揚の蝦夷政府は、プロシア人・R・カルトネルと北海道の広大な土地の租借条約を締結、私は10年に渡って調査した、終に、函館の図書館で確認、これを当時有名な評論家に話すと、巧妙な手法で自分のものにしようと画策、大学時代からの友人の助けによって、なんとか阻止することができた。
サミットのホテルの名物は「イセエビのスープ」、これを草柳大蔵に贈ったことがある、満州国の資料のお礼であった、それほど参考にはならなかったが・・・
ところで、壮大な実験国家・満州国については、もっと知っておくべきだろう、戦前の日本がすべて悪いということではない、台湾の老知識人は、かつての日本について、
「下町には下町の良さが 山の手には山の手の品格がありました」
戦後しばらくは、訪日がかなわなかった、彼は、
「もう一度 皇居の松の緑が見たい 白雪を戴く富士山が見たい」
その願いがかなわず亡くなられてしまった、彼の息子さんが位牌を持って来日、皇居の松と壮麗な富士山を見せてやった、という。
幕末のハリス、下田から江戸に向かったのだが、手綱を持つ馬子が、
「ここからさきは 馬をおりてください」
意味がわからない、すると、東海の空に、真っ白な雪をいただく荘厳な富士山があらわれる、
「ああ これだったのか」
「一字も読めない デンプヤジン(田夫野人)にも 崇高な心がある 高貴な精神がある」
「それがそれが 日本人なのだ」
ところで満州国、1930~1940年台の世界は、どの国も不景気に苦しんでいたのだが、たった二ヵ国だけが躍進していた、それが、計画経済のソヴィエトと国家社会主義のナチス・ドイツ、満州国は、これを研究する、そのために内地から優秀な官僚を呼び寄せたのだが、そのリーダーが今の総理の祖父・岸信介、だから彼の姿勢には、その影響があるのかもしれない。