比叡山では稚児に対する風習が栄えたが、高野山は、
「ケツをさっしゃいと大師いい」
「さっしゃい」は、「ださっしゃい」、まったく、とんでもない風景だ。
彼らが、大唐帝国から持ち帰ったものは「大乗仏教」だけではなかった、彼の国の「悪しき風習」も持ち帰ってしまった、たちまち列島に伝播する、これによってメイワクを被ったのは遊女・遊君、
「失業してしまった」
そこで創案されたのが「男装の麗人」、一人で両様を備える、
「タイヘンなアイデアである」
あの「白拍子」はその産物である、だから、あの日のカマクラの静御前は、どれほどの、
「華やぎであったことか」