日本農業新聞 e農ネットに「保存して 「不屈の一本松」 復活のシンボルに 岩手県岩泉町 (2014/3/11)」という記事が出ていた。
内容は以下の通り
一本松が残る防潮林は、小本川の河口付近に集落を海から守るように位置する。
1933年の三陸大津波直後、県が約2.4ヘクタールの県有地で造成した。
樹齢約70年、約1500本のクロマツが小本地区の住宅や農地を塩害や強風から守ってきた。
・津波に耐え集落守る
震災では小本地区を最大20.4メートルの津波が襲い、集落をのみ込んだ。
クロマツもほとんどがなぎ倒された。
10本がなんとか残ったものの、1年ほどで1本を除き全て枯死した。
しかし、残りの1本は、不思議と今も葉が生い茂る。
小本地区の自治会長を務める長崎基一さん(66)は「他の木は津波の力で幹が剥がれたが、残った一本は無傷だったのが幸いしたのかもしれない」と指摘する。
岩手県によると、津波で浸水した防潮林で今も生き残っている木は「ほとんどない」(宮古農林振興センター林務室)という。
県は2014年度から現地で再び植樹を行い、防潮林として復活させる方針。
ただ、植樹するには土壌の塩分の影響を受けないよう最大で1メートルほど、かさ上げする必要があるため、木を切るのか、残すのか、結論は出ていない。
県は「一本松の存在は承知している。慎重に検討したい」(同)としている。
地元からは保存を訴える声が次々と上がっている。
水稲15アールや漁業などを手掛ける小成俊雄さん(80)は「あの津波に耐えるなんて本当にすごい。どうか残してほしい」と希望する。
岩泉町復興課も「1本だけ生き残った町の不 屈のシンボル。ぜひそのまま残してほしい」と県に要望する。
「小さなころはよく防潮林で遊んだ。いつの間にか大きくなり、集落に愛されるようになった」と思い出を語る長崎さん。
「震災の記憶を後世まで語り継ぐためにも、残してほしい」と訴える。
岩手県内では陸前高田市の景勝地「高田松原」で津波に耐えた「奇跡の一本松」が有名。
枯死したものの、「震災に負けない地域のシンボル」として防腐処理を施し、現地で保存することになった。
というもの。
保存することによって、悲しみが消えないという考え方もあるが、忘れないためにという、希望のためという考え方もある。
どちらを選ぶのかは、その場に住んでいる人たちの考え方だけだろう。
内容は以下の通り
一本松が残る防潮林は、小本川の河口付近に集落を海から守るように位置する。
1933年の三陸大津波直後、県が約2.4ヘクタールの県有地で造成した。
樹齢約70年、約1500本のクロマツが小本地区の住宅や農地を塩害や強風から守ってきた。
・津波に耐え集落守る
震災では小本地区を最大20.4メートルの津波が襲い、集落をのみ込んだ。
クロマツもほとんどがなぎ倒された。
10本がなんとか残ったものの、1年ほどで1本を除き全て枯死した。
しかし、残りの1本は、不思議と今も葉が生い茂る。
小本地区の自治会長を務める長崎基一さん(66)は「他の木は津波の力で幹が剥がれたが、残った一本は無傷だったのが幸いしたのかもしれない」と指摘する。
岩手県によると、津波で浸水した防潮林で今も生き残っている木は「ほとんどない」(宮古農林振興センター林務室)という。
県は2014年度から現地で再び植樹を行い、防潮林として復活させる方針。
ただ、植樹するには土壌の塩分の影響を受けないよう最大で1メートルほど、かさ上げする必要があるため、木を切るのか、残すのか、結論は出ていない。
県は「一本松の存在は承知している。慎重に検討したい」(同)としている。
地元からは保存を訴える声が次々と上がっている。
水稲15アールや漁業などを手掛ける小成俊雄さん(80)は「あの津波に耐えるなんて本当にすごい。どうか残してほしい」と希望する。
岩泉町復興課も「1本だけ生き残った町の不 屈のシンボル。ぜひそのまま残してほしい」と県に要望する。
「小さなころはよく防潮林で遊んだ。いつの間にか大きくなり、集落に愛されるようになった」と思い出を語る長崎さん。
「震災の記憶を後世まで語り継ぐためにも、残してほしい」と訴える。
岩手県内では陸前高田市の景勝地「高田松原」で津波に耐えた「奇跡の一本松」が有名。
枯死したものの、「震災に負けない地域のシンボル」として防腐処理を施し、現地で保存することになった。
というもの。
保存することによって、悲しみが消えないという考え方もあるが、忘れないためにという、希望のためという考え方もある。
どちらを選ぶのかは、その場に住んでいる人たちの考え方だけだろう。