リュックサックに子猫をつめて―
大槻ケンヂの詩には、このフレーズがよく出てくる。 そう言えば、市橋の背格好は、 20代の頃のオーケンに、よく似ている気がする。 (水嶋ヒロほど、爽やかではない。)
この本を、ドラマにするなら、エンディングは、 筋肉少女帯の、「キノコパワー」以外に、考えられない。
驚く
何だろうね、このエネルギーは。(笑) 親のスネかじりが、人を殺して逃げているにもかかわらず、 常に、目的意識を忘れない。 もしかしたら、怖くて、気を紛らわせていたのか。
英語を勉強しながら、逃走するなんて、考えられない。 公園で、残飯をあさりながらも、 「ライ麦畑でつかまえて」を、原書で読む。
島へ渡る時には、パスタを買い、 ラジオから流れる、「Born To Be Wild」で踊る。
大学で学んでいたのが、風景建築であった事から、 川沿いの美しい景色を見て、覚えておこうとする。
とても、将来の無い、殺人犯のする事じゃない。
私は、この手記を、懺悔本だとも、サバイバル本だとも、思わない。 人が生きる上で、感じなきゃいけない事が、たくさん詰まっている。 そういう意味では、市橋が、これを書いたのは、ムダではない。
不覚にも、私の中では、吉川英治の「三国志」、 SF「アルジャーノンに花束を」に続く、BEST3に入ってしまった。 殺人犯の行動だと分かっていても、泣きながら読んだ。 そのことじたいに、驚いた。
呆れる
意外だったのは、リンゼイさんを殺した時に、 彼には、付き合っていた彼女がいた、という事だ。
「あなたの唇、黒人みたい。」そう言われたのを思い出し、 自ら、下唇を切った彼は、 リンゼイさんに対する、コンプレックスがあったように思う。
私は、てっきり、独り身の彼が、 リンゼイさんに、片想いしたゆえの犯行かと思った。
しかも、犯行直後に、彼女に電話していたなんて! 一緒に死んでくれ? そりゃムリだろ。 彼女にしてみれば、殺人以前に、自分という女がいながら、 リンゼイさんに、ちょっかい出していた事に、まず腹立つだろう。(笑)
でももし、彼女が電話に出ていたら、 自首を促されていたかもしれない。 そして彼は、苦労知らずのまま、刑務所に入り、 ヘタレのまま、人生を終えただろう。
まだ、ヘタレだった彼が、彼女に電話するのも、しかたないか。 ビニールハウスで、シイタケをかじる、頼りない彼は、 やがて、島でヘビをさばいて食べるくらい、たくましくなっていく。
使える
その内容から、単なる自慢話だと、読む人もいるようだが、 市橋は、生きる為に、 自分の知識と能力を、総動員させたように思う。
大学では、園芸部だっただけあって、植物に詳しい。 何でも、図書館で調べてから行動する。 さすが、インテリの逃げ方は違う。
そして元々、彼に備わっている雰囲気。 ボン育ちで、ヒョロっと背が高く、「ハイ。」と素直にしていれば、 汚い格好をしていても、飯場じゃ、 「ハキダメにツル」だったに違いない。
同僚にも、「使えないのに、使ってもらえるのがよく分かる。」と言われ、 沖縄の女性店員にも、「あんた、モテるでしょ。」と言われている。
彼が捕まった時に、イカれた女子達が、ネットで、 「水嶋ヒロに似てて、カッコいい。」などと騒いだが、 あれも、しかたない。
市橋が、周りに身を任せるたたずまいは、 「腹減ってないか?これでも食べろ。」と、言いたくなるような、 放っておけない感じがする。
実際、彼は、チケット代を不正し、フェリーに乗った時、 「仕事が無い。生きていけない。」と土下座して、許されている。 見た目も、生きていく為の武器になる、という事だ。
浮ぶ
それにしても、細かい事を、よく覚えているものだ。
公園のトイレで、水を流すボタンと間違えて、 警報ブザーを押した、というのには、笑えた。 この時は、まだ、パニくっていたのだろう。
「車両は、中央の通路を挟んで、長い席が向かい合うかたちの電車だった。」の後、 「車両は、中央の通路を挟んで、2人掛けのシートが続く電車だった。」と、 もう一度、似た表現を繰り返すが、この微妙な違いも、 彼のたどったルートが分かるようで、興味深かった。
寄ってきたハトに、「おまえらにやる食べ物なんか無い。」や、 片足だけのバスケットシューズを見て、 「もう片方あれば履けるのに、と思った。」などは、 「辛い」という言葉を使うより、状況が分かった。
つぶしたアルミ缶が、大きなポリ2袋で、300円満たないとは。 私が、座ったまま稼ぐ時給は、1400円だ。 市橋の「初任給」に、涙が出た。
しかし、そんなホームレスから、 服だの食べ物だのをもらえる、日本という国は、 いったい、どういう国だ?(笑)
私達は、恵まれ過ぎだ。 感謝を忘れているのは、市橋だけじゃないだろう。
映画や本のタイトルも、よく出てくる。 内容と、その時の自分を、照らし合わせる。 私は、彼が紹介する作品を見たくなった。
淡々と書かれた事はみな、正直に思える。 編集者が、どれくらい手を貸したか分からないが、 これが、彼のオリジナルの文なら、 読み物として、とても良く書けていると思う。
学ぶ
感謝を知らなかった彼が、寝場所にも、一礼するようになった。
過保護な子供達よ、毒を口にして苦いと感じたら、 市橋のように、自分で吐き出せよ!
フヌケな警察、TVのウソ、安全対策のウソ、 そして、人間そのもののウソ。
ハイレベルな生活から、 「生きとったか?」が挨拶の、人間扱いされない生活へ。
市橋の両親は、この本を読んで、号泣してるだろうな。
「仕事ができる人は、余計な事もする。だから嫌われる。」 人生のベテランから、生きていく術を教えられる。
「最初の印象がいい人は、後になって態度が変わるから信用しない。」 同感だ。私の周りにもいるよ。
怒ると、力が出る。 怒りを、仕事に向けた。
細かい事は、どうでもよくなる。 人としての、キャパが広がったのだ。
明日は無くても、飯場で暮らす市橋は、 生きる気力に満ちている。
市橋は、一生涯かけてやる事を、 2年7ヶ月で、やってしまったんじゃないか。 しかし、それは、彼にとって、順序が逆だったけれど。
学ぶ事に、年齢も立場も、関係ない。 犯罪者から、それを感じても、恥だとは思わない。 私は、この手記から、改めて「生きる」という事を学んだ。
My Life is for me
私達は日々、「市橋」にすれ違っているかもしれない。 ドトールで、楽しげに語り合う2人が、 次の日には、血まみれになっている可能性もある。
彼が、若くて丈夫だった事、 1人で過ごしたのが、沖縄だった事、 周りの人が、意外にも親切だった事、 それらが、彼に幸いしたように思う。
そして、市橋には、自殺しない強さ、したたかさがあった。
もし、フェリー乗り場で捕まらず、島へ渡っていたら、 彼の言うように、餓死していたかもしれない。 捕まった事で、彼は又、生き長らえた。
刑務所での生活は、自由なホームレスより、辛いかもしれない。 しかし、市橋が、犯した罪は重い。
一生、自由を奪われ、自分が殺した人の影に怯え、 小さな花壇でも設計して、「リンゼイ」という花でも咲かせよ。
せっかく、生き方を学んだのに、 彼にはもう、それを試す人生は無い。 皮肉だ。