ニューヨークポスト紙の例えは面白かった。
「『恋に落ちたシェイクスピア』がチキンマックナゲットであるとすれば、
この映画は野生のキジと言えよう。」(笑)
なるほど、的を得ている。
古典の似合うジョニデが演じた中で、最も野蛮な男の、
ロチェスター風に言えば―
腐れマ○コのような人生
ただ、どんな性描写が出てこようと、いやらしくも下品でもない。
思わず図書館につっかえしてしまった事もあるが、
時々、芥川賞作家が、吐き気のするような性描写をするのに似ている。
芸術家は「これでもか!」と心の闇を露呈しなければ、気がすまないのである。
しかし作品にするのなら、挫折を乗り越えてつかんだ栄光とか、
地位や名声を得たがゆえの失脚を描くのが普通だろう。
共同墓地に放り込まれた「アマデウス」の悲劇にでさえもっと夢があり、
ドラマティックだった。
退廃につぐ退廃
これは、ロチェスター伯爵、ジョン・ウィルモット(通称ジョニー)の、
激しくもリアルな日常なのだ。
それが映画にするほど、面白いか?(笑)
女優を育てた事さえ、どうでもいいように思える。
あのカツラは、ジョニデの「デコ」が目立つ。(笑)
伯爵というより、ロックスターのようだ。
正直私は、4分の3くらいまで退屈していた。しかし…、
失禁してしまうロチェスターに釘づけ
梅毒になった不自由な身で、その屈辱を隠すような、くやしそうな顔。
私はそれをロチェスターではなく、ジョニデとして見てしまったのだ。
ああ、ジョニー ! 今のあなたが そこまで演る必要あるの?
私は思い知らされる。
ジャック・スパロウ以後のジョニデのスタンスに、まったく変わりがない事を!
夫に寄り添う「気位の高い家政婦」
そして、最後にソプラノが流れた時、私は泣きそうになった。
とっくに別れたと思っていた妻が、そこにいたからだ。
死ぬ時そばにいるのは、本気で関わった人だけでいい。
ジョニー(それはもう1人のジョニーでもある)は問う。
「これでも 私が好きか?」
3つの視線で私は答える。
あなたが―
ロチェスターだとしたら
「実際、話してみないとわかりません。」(笑)
ジョニデだとしたら
「それでも演じるあなたが好きです。」
夫だとしたら
「もはや感情はないが、見とどけるでしょう。」
思うにロチェスターは、放っておけない人だったのだろう。
国王とも仲良かったみたいだし。
「フロム・ヘル」で、アバーラインを王子様扱いしていたデブ刑事がいたように、
死にぞこないの召使い、オールコックがずっとそばにいた事が、
このどうしようもない人生を癒してくれた。
Permit me your fair hand to kiss,
When at her mouth her cunt cries,
YES!
by ジョン・ウィルモット
それでも この映画を観るか?