私は昔、男に「髪の匂いを嗅ぐと興奮する。」と言われた事がある。
つまり、「その時」の匂いが、彼を「パブロフの犬」状態にさせていたという事だ。
人はしょせん、脳への刺激で行動している。
副作用が「したくなる」、そういう薬だってあるのだ。
切ない「大人のメルヘン」
いい意味で、私は裏切られた。
「ある人殺しの物語」なんて副題は、ただの人寄せだ。
この映画は「サスペンス」として観たら不発だが、衝撃的な「メルヘン」として成功している。
無名の役者がよく演ったと思う。
無名のベン・ウィショーは、無臭のジャン・バティストと、みごとに調香された。
ジャン・バティストが虐げられながらも、
「皮なめしの仕事は自分のするべき事ではない。」と思うプライドは頼もしい。
バルティーニに弟子入りした時はワクワクした。
まるで「わらしべ長者」の「わらしべ」そのもののように、自らがグレードアップしていき、
ヘタすると、ビジネスサクセスストーリーに、なりかねない勢いだった。
彼の所有者が、彼を手放したとたんに不幸に見舞われるのが、
まさにメルヘンチックで面白かった。
ヘッド ハート ベース を求めて
私は彼の「鼻」より、むしろ「目」が気になっていた。
あれは、魚と一緒に捨てられかけた、彼の「心の闇」だ。
究極のパフュームは、生きたままでも抽出可能だったのに、
「体に脂を塗らせてくれ。」と言ったところで、理解は得られない。
「本能」と化した彼の「仕事」を、もはや誰も止める事はできなかった。
皆が言うほど、市場や調香のシーンで、匂いを感じる事はなかったが、
馬で逃げるローラの帽子が風で飛ばされ、赤い髪がなびいた時、
それを遠くで感じるジャンの様子に、とても美しい空気を感じた。
部屋にしのびこむ彼に、犬さえ気づかないのは、
匂いのない彼の存在の無さを、強調していたのだろうか。
私は最後まで、彼はローラを殺さないと信じていた。
「愛されたい」という名のパフューム
ジャンはおそらく、「最初の彼女」と「最後の彼女」に恋していただろう。
でも「愛され方」を知らない彼は、「愛し方」を知らない。
ただ近づき、犬のように匂いを嗅ぐ事しかできなかった。
本当のクライマックスは、群集の行為やラストではなく、
彼が、「最初の彼女」を回想するシーンだろう。
本当に求めていたものが「匂い」ではなかった事に、
ジャンと私は同時に気づいた。
そしてまったく同じところで涙を流した。
今も思い出すと胸がつまる。
私は、軽いショックを受けた。
この映画は「テーマ」そのものが「オチ」になっていたのだ。
もはや「殺人」も「香水」も、この作品の添え物に過ぎなくなってしまった。
ジャンは私に向けてハンカチを振った
自分の才能を仕事にできたら、どんなにいいだろう。
私は「アマデウス」の成功と失脚を思い出したが、
野心に燃えた彼の場合は、父親に溺愛されていた。
ジャンは母親の愛さえ知らない。
才能を野望に向けてのエネルギーにできなかったのは、
根本的なものが足りなかったせいか。
でも、その悲しい結末は、私を満ち足りた気分にさせた。
もし、全てを支配しようとする男の話だったら、こんな気持ちにはならなかっただろう。
場内で「いい匂いがした気がする」と感じた人がいるようだが、私もそうだった。
帰りの深夜の電車の中でさえ、澄んだ匂いがした。
ジャンの「愛されたい」という想いは、観ている者にもふりかかったのかもしれない。
大切なのは 「残る」気持ち
実は、私も匂いには敏感だ。
体臭、口臭はもちろん、加齢臭やタバコの臭いも苦手だ。
香水もつけない。
自分の匂いは、わりと好き。(笑)
「美女がいい匂い」というのは、ジャンの妄想だ。(笑)
彼が「恐怖を感じると匂いが変わってしまう。」と言っていたが、
確かにその時によって、汗の匂いも変わるものだ。
私の場合、「匂い」よりも気になるのが「色」なのだが、
いつも汚らしい格好をしていたジャンが、
最後に着ていたブルーの服と靴が、すごく気になった。
人々を魅了するには、あの格好にも意味があったように思う。
私は、美しい色を身につける男を、好きになる事が多い。
そういう男は、体臭もほとんどしない。
色にこだわるほど美意識が強ければ、自分の匂いを気にしないはずはないからだと思う。
以前、「エロス」という名のアロマオイルの匂いを、
バッグにしのばせていた事もあったが、男が寄って来たりはしなかった。(笑)
「ブルガリ」をつけていた見知らぬ青年に、
「どこの香水ですか?」と尋ねた事もあったが、ホレたりはしなかった。(笑)
しょせん、「色」も「匂い」もキッカケに過ぎない。
あなたのパフュームは
ヘッド …キッカケがあり
ハート …愛を感じ
ベース …それは残りますか?